『洋行之奇禍』 その27

last updated: 2013-01-23

其二十六

乞う之より僕をして現われ出でたる三人の同胞に付て聊か語らしめよ、甲者は年の頃は三十を超ゆること六七にして在米已に十三年、其初めは何れの処に居られしや僕の伺い知ることにあらざれども、当市に来り富を論ずる経済学の研究と云う名目を以てエール大学に籍を置きしより已に七年の長きに達すれども、 何が故にや君が唯一の目的たる免状と称する怪しき守札は君の掌中には落ち来らず、年々歳々後の鳥に先んぜられて残念無念遺る方なく、本年こそは奮起一番首尾(注1)能く年来の志望を遂げて錦衣故山を照すは愚かな事、洋服高帽に鍍金時計、頸の廻らぬハイカラに赤色のネクタイをばくるりと結び着けて、 之が米国最近流行の紳士風なり、我は洋行帰り、在米十三年、エール大学に学ぶこと七年、経済学の深奥を究め之が運用の妙を得たり、 経済学なる哉、経済なる哉、経済学は富を論ずるの学なり、富を論ずるとは富を得んことを講ずるの意なり、人間富なければ死せざるべからず、 国家富なければ滅びざるべからず、富は人間生命の母にして国家生存の父なり、富を有する者は繁え富を失う者は衰う、 富を有すれば目に一丁字なき阿呆男と雖ども金殿玉楼に阿呆威張を為すことを得べく、富を有せざれば胸に万巻の書を貯うと雖ども下宿屋楼上に閉息せざるべからず、 富の嚢は底深し、小野の小町も入るべし楊貴妃も入るべし、山も入るべし川も入るべし、家も入るべし倉も入るべし、賢者も愚者も、盲者も唖者も、酒も肴も、菓子も団子も、凡そ世の中に有りと有らゆる品物は其大小を問わず軽重を論ぜず取て以て富の嚢中に入るる能わざるものなし、 智恵の嚢は底浅し以て一個のお多福面を入るるに足らず、以て一本の焼芋をも匿すに足らず、一升の米一合の醤油、一匹の鰯に一把の薪、取て以て之を嚢中に押し込むは容易の事にならず、 豈んや山をや川をや、家をや倉をや、小野の小町をや楊貴妃をや、智恵の嚢に入り来る虫は夏の夕の蚊群にあらざれば冬の寒さを凌ぐ虱連なり、 扨も広大なる哉富の嚢、不潔なる哉智恵の嚢、人間須らく智恵の嚢を抛げ棄てて富の嚢を求むべし、 人間の仕事は富の嚢を得るに在り、国家の仕事も亦然り、国に富なければ兵を養うことを得ず、軍艦を製すること能わず、 兵なく軍艦なければ戦に敗けざるを得ず、何くんぞ世界に雄飛するを得んや、ああ富なる哉々々々々、此より我が島帝国をして東洋の商業国たらしめ富国の実を挙げしむるの責任は掛つて乃公の双肩に在り、 汝等日本の馬鹿野郎共謹んで我輩が高説を拝聴し我輩が指導の下に汗水流してせっせと働くべしと、 吹て吹て吹き飛ばし、某々等一派のハイカラ株をば根抜き葉抜きに倒し呉れんと思いしは一夜の夢にてありし、翌朝ひらりと舞い込んだ一片の端書を、取る手遅して見つめたときは、然しも色好き君の顔も見る見る土の如く灰の如く死人の如くに変化して、之を見たる同室の友は唖と為り鼠と化けて窃に戸外に忍び出て終日我家に帰らざりし、 君は是に於て最早事の為す能わざるを悟り檄を四方に飛ばして哀訴嘆願以て或る物を要求せしが、捨てる神あれば拾う神ありとかや、米国四百有余の大学中君の願を聞き届くるもの唯一つオンリーワン、君之を知るや欣喜雀躍手の舞い足の跳るを覚えず、立ろに空前絶後珍無類の大論文を認め一葉のチェッキと共に之を封してポストに投げ込みしが、 十日も過ぎし頃祝宴の通知に接し蒼惶行て彼を伺えば会する者主公を合せて僅に四人、ビール三本に林檎十二个、此で祝宴の饗応とは余り人を馬鹿にするではないかとは、或る者が病床の僕を慰めんが為めの物語なりしが、 何んだか釣り裾の合わない「フェアリー、ストーリー」の如し、其何事を意味するやは今に至るも更に解からず、去りながら過ぐる初夏の頃、一寸僕を訪われし時に、もう此秋には学校に帰らなくとも宜しいと言われたが、 今日の此頃此処に於て其尊顔を拝するとは此には何か深き子細の存ずることならん、 恐くは研究の上にも研究を重ね、運用の上にも運用の妙を知らんとの熱心なる一念より起りたるものなれば日本国家の為めには三杯を挙げて之を祝せざるべからず、 此人流石に経済学者だけあって百事頗る経済的である、彼の八釜敷屋の関渉好の欲張の幽霊婆をば物の数とも思わず、其家の天上に七年間、尤も「クリスマス」と暑中休暇中は何れへか影を隠すとも去りとて七年間の辛抱とは仲々通常人の為し得る業にはあらず、 然れども鷙鳥搏たんと欲して先ず翼を歛む、大に為さんと欲せば大に屈せざるべからず、君は常に此格言を眼膺し鷙鳥と為りて天に中せんと欲し大に為さんと欲して今や大に屈せるなり、 去れば彼を見て笑う者は近眼の徒にあらざれば愚物の輩である、 僕は常に彼を弁護し彼を賞揚し而して彼に向て一片の同情を寄せた、彼は此地に於ける同胞中第一等の先輩者なるが故に、名声赫々として権威并び行われ広からずと雖ども此天下の住民、悉く我が意の如くならざるはなしとは彼れ独りを除いては誰も之を許す者なきに気付かず、 稍もすれば空手空拳(注2)を振り舞わして自ら傷を求むるとは笑止千万の至にあらずや、古来英雄豪傑の為す所多くは人の意表に出づ、君は此点に於ては確かに英雄派の一人豪傑党の一員たるに愧じず、

次に現れたる乙者の来歴如何と尋ぬるに、君は在米年限并に年令に於ては甲者に比して稍々遜色ありと雖ども所謂「稍」なるが故に甚だしき懸隔なきことは何人も推測し得るならん、 君はエール大学に在りしこと六年、本年を以て第七年目と為す、其年限や短しと云うべからず、哲学を研究すと云うには其名のみにして其志の向う所はパンにあり、パンの為めには哲学も糸瓜ヘチマもあるものかとは君が平生の持論にして又驚くべき卓見と云わざるべからず、 宜なる哉其学の遅々として進まざるや、心茲に在らざれば見れども見えず聞けども聞えず、パンの為めに心を奪わるる者何くんぞ学問の進歩を望むべけんや、人生の目的を論じ宇宙の直理を究むるはパン在て然る後に於て之を為すべし、 パンは百芸の源なり、パンを得ざれば人間は唯死あるのみ、人間死して復た何事をか為さんや、 去れどもパンを得んが為めに哲学を研究するはパンを得るの途を知らざるものなり、哲学は貧乏学問にしてパン的の学問にあらず、ダイオゼネスの如く蓬頭垢衣、盥中に虱を捻って王公の前に笑談する者は哲学を究むべし、 貴人の栄華を羨む者は哲学の文学を遠けざるべからず、 去ればパンを得んが為めに哲学の研究を始めたるは君が一生の誤り、憫むべし君は終生貧乏と戦わねばならぬ、 已に其現象は顕然として君の面想に尽かれ、哲学の端緒は未だ開けざるに早くも貧戦の序幕は終を告げたり「嗚呼此の如くにしてソクラテスたり、プラトーたり、カントたり、ヘーゲルたるを望む抑も亦難い哉、 彼等の弟子の弟子の其又弟子と為りて、糟粕の糟粕の其又糟粕を嘗めて、貴き人間の一生を無残や空理空想の中に葬るは惜むべしとや云わん嘆くべしとや云わん、 幸にして華厳瀑下の者と為らずんば先ず以て賀すべし、 去りながら世は広し人は様々、斯く申す某の如きも夙に空想に追い立てられた其末は薬臭き病室に痛い目憂辛い目に其日を送るにあらずや、 人を責めんと欲せば先ず己れを責めよ、懶惰者人の頭の蝿を払う、これは(注3)兎も角も君も亦小社会の元老の一人として甲者と殆んど伯仲の地位を占む、同気相求め肝胆相照し、常に相提携して新進有為の青年を押えんと企つれども彼等に押えらるる如き無気力の腰抜者は一人もなし、 是に於てか元老社会は大凶荒を起し、元老株は頓に下落して其価僅に一銭五厘、不景気挽回の為めに日を夜に続いての元老会議も小田原評議と為りて終り、有らゆる脳漿を絞り出したる苦心経営も遂に水泡に帰し、元老無能の声は四方より起り信用全く地に落ちて今は誰ありて顧みる者なし、 退かんが未だ免状を手にせざるを如何せん、止まらんか其地位を保つ能わざるを如何せん、進退維谷まり(注4)(注5)下宿屋楼上人生意の如くならざること十に八九と嘆ずる者は夫れ君ならん、 広き世界に誰ありて君を慰むる者なく、偶々入り来る者は此家の老婆、遙々と愛蘭土より海を越えて此地に移住したる一匹の狸老婆が、丸き茶色の狸目をば弥々丸くして言い出すことは是れ室代の催促、 嗚呼茲に至て元老もなし哲学もなし、人間の事総て是れ空々寂々、残るは唯一の室代あるのみ、此人数年以前一米人より君は幾年米国に在るかと尋ねられてフット、ハンギング、ファイブ、イアーズ足掛五年と答えて其何事なるかを解する能わず、彼れ米人をして幾度か首を捻らしめたりと云う、哲学書中には此の如き困難なる熟語あり、君が哲学研究に年を費すは抑も故なきにあらず、

夫れから次に来るは丙者、此人は僕より二年以前に此地に来り、追々と秩序的進歩を為して元老の末席に列なるは最早遠きにあらず、元老の候補者としては第一に指を折らるるの人なり、 此人北陸地方に於ける某寺院の住職なるが夙に東京に出て名ある某学校に学ぶこと数年にして、奮然此地に来り西洋哲学を研究し、尚お進んでは印度哲学の蘊奥をを究めて天晴なる名僧智識為り、親弯、日蓮、蓮如、弘法は尻食え、我は彼等が建立したる日本の仏教社会に大改革を行い、生臭坊主の円頭をば片端から打ち砕き、 愚夫愚婦の迷夢を破り、有り難き仏の光明を放って日本の天地を輝かさんとは、彼が常に抱持せる理想にはあらずして、 彼は矢張り食の為めに法を説き衣の為めに木像を拝し、愚夫愚婦を欺て臍操銭を投ぜしめ、之を以て肉を食い酒を飲み大黒を囲まんと欲する平々凡々たる偽僧の一人である、日本の仏教社会は改革すべきものにあらずして根底より破壊すべきものである、 仏の光明なぞは日本の天地には最早必要なきのみならず却て有害である、猶太の産物が大和民族の嗜好に適せざると均しく、印度の衣服は日本人に取りては不便にして不経済、衛生を害し発達を妨ぐるものである、 見よや西京に行き本願寺の建物を見よ、如何に此建物が幾十万の愚夫愚婦の懐を寒からしめたるや、 此内に住する坊主は常に何事を為しつつあるや、彼が戸籍を一覧したる者は何人も彼が作りし数多の私生子を見て驚かざる者なからん、 此の如く人倫を破壊し人道(注6)を蹂躙する天下の破戒坊主を押し戴いて王と為し、 彼が号令に服従する日本のお仏教社会は改革の問題にあらずして破壊の問題である、又歩を転じて何れかの山寺を訪えよ、 ゴンゴンと鳴り渡る鐘の音は諸業無常を告ぐるにあらずや、 ポンポンと響き渡る木魚の声は瞑途に迷う亡者の泣声に非ずや、 棚に列る位牌も墓場に立てる卒都婆も、細煙を吹き出す線香も坊主が唸る御経の声も、其他見る物聞く物一として陰気の種と為り悲観の思を起さしめざるはなし、 青年一たび其門に入れば立ろに勇気を阻喪し、老者一たび其堂に上れば思わず南無阿弥陀仏を唱う、此の如く未来を説て現在を説かず、死あるを知て生あるを知らず、 因循なれよ臆病なれよと教ゆる迷信教が科学の進歩に汲々たる現今の日本社会に適合するや、進取と膨張とに依て生存し発達せんとする大和民族の奉戴する宗教として益ありて害なきや、日本国家の国是と衝突する所なきや、 世界の大勢に逆う所なきや、腐敗せる家屋は修理すべき者にあらずして根底より破壊すべき者である、此を破壊するは新なる家屋を建設する所以である、 然るに世の仏教徒が稍もすれば仏教の改革を口にす、彼等は如何にして之を改革せんとするや、彼等の所謂改革は漸くにして寺院の廃興にあらざれば坊主の改良に止まる、 其れすら何等の効を奏せざるのみならず益々弊害を高むるに非ずや、彼は仏教の本体を如何にせんとするや、三千年に於ける釈尊の説法は悉く千古万古に変わらざる宇宙の真理なりと心得居るや、而かも彼等は其経典の万分の一を咀嚼するや、 嗚呼憐れなる三文坊主等よ、汝等は常に死者に向て引導なるものを渡す、我は生者たる汝等に向て一言の引導を渡して呉れん、恭しく惟るに、抑も坊主なるものは頭を固く光らして、墨の衣に墨の袈裟数珠を手にして木像に向い、ゴンゴンと銅鑼を叩きポンポンと木魚を鳴らし、太鼓はドン拍子木はカチカチ、南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経(注7)をば百度千度繰り返して夫れで足らいで御経の文句をジョウジョコジョウと唸り出すと雖ども、其唸り声は唐人の寝言か猫の啼声、 言う者も分らねば聞く者も分らず、門口に立つ乞食坊主が唸る阿呆陀羅経は眠け覚し薬との為るも、汝が唸る御経の寝言を聞く時は眠らぬ者は一人もなし、 然れども汝は有難い有難いと口癖に言う、若しも汝が喋べる御経の声が有難いなれば、犬の声も猫の声も、鳥の声も雀の声も、凡そ世の中に有難たからざる声とては一つもなし、 汝が有難いと言うは人を胡魔化す方便なり、汝は此声を唸って賽銭を集め、御布施を貰い、寄附金を募り、台所の棚には鰯を匿し奥の座敷には大黒を押し込め、尚も高座に上りては五戒を説き十戒を説き、貪欲を戒め色欲を戒む、 汝が人の貪欲を戒むるは己の貪欲を充たさんが為なり、汝が人の色欲を戒むるは己の色欲を蔽わんが為なり、凡そ世の中に善人を装う悪人は多しと雖ども汝の如き偽善者は恐らく他に求むることを得ざるべし、 汝は此の如くにして、長き年月の間人を欺き人を胡魔化して己れの欲を充たし己れの腹を肥やしたりと雖ども、世は段々と開け行き愚人は段々と死し去りて、汝が声に耳を傾くる者は益々減少し、汝が財布は弥々空乏を告ぐるに至れるは汝の為めには不幸なるも世の為めには大なる幸なり、 見よや汝の寺の屋の瓦は壊れて木像の頭の上には雨が降り、汝が寺の大黒柱は腐り果てて中より虫が現わるるとも誰ありて之を顧みる者なきにあらずや、 然かも汝は執念深くも貧乏寺に噛り付き大根を噛り糊を啜り、破れ衣に破れ草履、オーオーオーと人の門口に立て食を乞う、 何ぞ汝が生活の憐れなるや、嗚呼憐れなる天下幾万の阿呆坊主よ、汝等はいっその事にて寺も道具も売り飛ばして鋤鍬を買い求め、行きて田圃に耕すべし、 否らざれば海に投じて魚腹の物と為れよ、之を要するに仏教も駄目、儒教も駄目、基督教は尚お駄目、神道や武士道は以て宗教と為すに足らず、今や大和民族は新なる宗教を渇望しつつある、 新に現わるる宗教は舶来的なる可らず、異人的なる可らず、迷信的ならざる可らず、退歩的なるべからず、大和民族固有の特性に基て日本の土地に発生し、万古の真理を基礎と為し進歩せる学理を応用し、国民の幸福と国家の目的に適合せる一大日本教ならざるべからず、 現今日本の社会には碌々として平凡なる千の哲学者万の宗教家を要せず、要する者は唯一人の偉人である、日本教の釈迦、日本教の基督である、

扨も此処に引出したる丙坊さん前に於て此の如き事を説くも犬に説法、骨折り損の疲れ儲け、 君は莞爾として何事をか考うる者の如し、或人告げて云く、君は去る頃写真上の結婚を為せりと、其何事を意味するやと尋ぬれば、君は在米一友の媒介に依て在日本東京の某女子と写真を取交わし、 之を以て三々九度の儀式に代え、天地開闢以来未だ嘗て存在せざる新奇発明の経済的結婚を為せしが、爾来一葉の写真は君と共に寝ね君と共に起き、君と共に学校に行き君と共に遊び、瞬時も片時も君の肌身を離れたることなし、 貧乏下宿屋の五階、六畳に足らぬ大広間、暫く彼と仮住居、解らぬ梵語に厭き果てて傍ら人無き時は、徐ろにチョロツキの釦鈕ボタンを取り外し内より取出したる一葉の写真を見て語るが如く笑うが如く叱かるが如く謝びるが如し、 アア偶に置けない坊主さん哉、止せばよいの梵語の研究なぞは、早く帰るが彼への効徳とは悪口上手の一人が僕に語りたる話であったが此話のみなれば僕は別に驚かないが、近頃一米友よりの通信に依れば、君は爾来追々と文明化して柄にもなきハイカラ風を真似る様になったが其末は、無残にも此写真をば引き裂いて未だ顔見合せたこともなき可憐の処女に破約の宣告を与え、怪しき一米女と切っても切れぬ間柄と為り、エール大学も見捨てたり、 梵語の研究も廃したり、友人にも不義理を重ねたり、而して後は唐人の皿洗と変化したり、有りと有らゆる我身心を犠牲に供して赤髪の、茶色眼の、腰の細い、婀娜者と腕を組み合せ足を揃えて時々薄暗い中央公園を散歩し、 之を以て人生無上の快楽と放言せりとは扨も扨も禅宗坊主の心機一転ほど恐ろしきものはない、

扨も此処に現われたる三人の変則豪傑は僕に向て何事を語り出したるか。

脚注

(1)
原文では「終尾」と表記されている。
(2)
原文では「空手空権」と表記されている。
(3)
原文では「开は」と表記されている。
(4)
進退維谷まる とは - コトバンク
(5)
原文では「で」と表記されている。
(6)
原文では「人通」と表記されている。
(7)
原文では「南無妙法連華経」と表記されている。