『洋行之奇禍』 その36

last updated: 2013-01-23

其三十五

僕は長途の疲を慰せんが為めに暫く鎌倉に足を留めて鎌倉病院の手当を受けしも斯くして空しく過ごすべきにあらざれば数日の後に東京に出て予期したる日本第一の外科医佐藤博士の手術を受けんが為めに直に順天堂病院に入った、 四月四日激烈なる手術を施されて八時間有余は全く人事不省の有様に落ち入りしが覚めし後ちの苦痛は例えんに物なし、 去れども弥々此が最後の苦痛なりと思うて聊か我心を慰め居りしが是れ亦一場の夢と為りて消え失せたるこそ是非なけれ、 留まること二ヶ月有余にして其間百方手を尽したれども頑強なる病根は未だ以て退かざるのみならず深く骨肉に深入し再び余勢を張て我を襲撃せんとするものの如し、 嗚呼我は実に無益なる苦痛の為めに悩まされたるか、去れども今は斯る事をば考うべきの時にはあらず、更に刀剣を振うて速に之を駆逐せざるべからずと決心し、 復もや鎌倉の海岸に遊んで元気を養い、再び上京して帰院せんとせしときは博士は已に去って院内に其影を止めず、 彼は我が忠勇なる負傷兵士を療せんが為めに関西地方に出張したのである、是に於て転じて大学病院に入り七月四日近藤博士に依て第五回の手術を受けた、其効果甚だ顕著なりしも未だ以て完全するに至らず、 更に他の治療を要すれども病後衰弱の身を以ては到底引続き大手術に堪えざるが故に暫く山青く水清き辺に遊んで衰勢を挽回せんが為めに医士の勧めに依りて八月上旬一先ず退院して飄然独り野洲那須の温泉に向て出立した

上野停車場より汽車に乗れば数時間にして黒磯駅に達せり、此処に於て下車し一旅店に休息して那須への里程を問えば、此より四里半の坂路を上らざるべからずと言う、 二人挽の腕車を命じて其道に向えば深林を別け上る悪道の険道は宛然石河原に泥を流したるが如し、揺られ揺られて幾度か覆らんとして覆えらず、尻も腰も脹れるばかりに打ち痛め、 二時間余も費して漸くに一里半を進み一軒の茶屋にと腰掛くれば後より来れる一輌の腕車は追い着いて此処に止まれり、車中の者は何者ぞやと見れば盛装したる年若き婦人なれども幌に蔽われて其顔を見ず、又之を見るの必要もないが、 何故にや車は止まれども彼は下り来らず、車夫も茶屋の嬶も頻りに下りて御休なされと勧むれども彼は依然として車中に其顔を隠して居るああ日本婦人は何んたる臆病者ぞや、 人の前に顔を出す能わざるが如き者は一人前の人間ではない、斯る不活発なる因循者が何んの役に立つものか、夫れにしても人通りなき此の山中をば唯一人にて来るとは聊か大胆なる所もあるが如し、 ははあ此奴は黒磯辺の田舎芸者にして那須温泉場に稼ぎに行く者である、実に賤むべき奴である、斯んな者等が彼の野卑醜陋なる声を叫んで騒ぎ立てたときには八釜敷のみならず甚だしく心を傷つけられなくてはならぬ、 今でも斯んな奴等をば相手に馬鹿騒を為して嬉しがる酔漢も世の中には在るであろうか、 実に情けない訳ではないかと思い居りしが、其の内に車夫等は行李弁当を食い始めて仲々出立しない、彼の女も待ち兼ねたるにや車を下って僕の傍に腰掛けたるが、僕は彼を賤業婦と認定したる先入主となりて彼が施したる黙礼に対して些少の点頭をも与えざりしは人類を以て彼を遇せざりしが故である、 間もなくして僕は人間動物を叱咤して走らしむれば彼の車夫も之に次で来た、此の山道をば賤業婦との道連れとは実に堪えたものでない、 若しも僕が知人にでも遇えば彼れ必ず例の誤解を為すならん、去りとて彼に向て我に次ぐ勿れと命令することも出来ず、 頗る不快の思を為しつつ復もや一里半を進み再び小茶屋に休めば彼の女は此度は何んと思いたるにや直に車を下りて僕の前に来り甚だ失礼致しましたと挨拶した、 僕は之を聞て弥々嘔吐を催した、賤業婦の分際にて我輩に向て口を開くとは生意気にして鉄面皮なると黙して答えざりしが僕が出立すれば彼は再び次て来た、 此に至て僕が不快は益々増長せしも之を拒ぐに術なし、夕景小松屋に着すれば主人夫婦は番頭下女と共に出でて御両人様能くこそ御出で遊ばしたと叩頭以て我等を迎うるを聞て呆れて其言の終るを待たず僕は両人ではない、唯一人だと言い放てば彼の女は女亭に向て何か小声ににて語りしと見るや、 女亭は直に「貴嬢様は○○さん御嬢様でござりますか能くこそ御一人にて入らっしゃりました、旦那様は御待ち兼ねで御座ります、あのお松や何番に御案内申して御呉れ」扨は彼は醜業婦にあらず田舎大尽の娘ならん、 心の中にて賤しみし(注1)は僕の誤なれども別に失礼を為したる訳でもなし、何に此位な誤は構うものかと思うて気に止めざりしが、翌日彼の父は彼の女と共に僕が室内に入り来たり慇懃に礼を述べた、

「昨日は此娘が大変に貴方の御世話になりまして何んとも御礼の申様も御座りません、平常内ばかりに居りまして外に出たことのない者で御座りまするから下女でも連れて来いと申して遣りましたにあんな淋しい道とは知らずに唯一人で来まして大変に心配しましたそおうで御坐ります、 途中貴方に遇て道連れにして貰って大変に安心したと申しました、誠に有り難う存じます」

「本当に私はどう仕様かと思いました、雨は降り出しますし、車夫は嫌なことばかり喋りますし、引き返すには引き返えされずどんなに心配しましたか知れません、 茶屋に休みましたときも何んだか薄気味が悪くて下りることが出来ませんで誠に失礼致しました、あの時に貴方が早く出立しないかと言て叱て下って大変に心強く思いました」

「そうですか、いや少しもお世話も何も為さなかったのです、一向何事も知らないものですから、御礼なぞを言われては却て迷惑致します、

彼は東京の一紳商である、去れば彼の女を賤業婦と認めしも田舎者と思いしも僕の誤り、後に至て此事を宿の老婢に語れば、彼は夫れは無理もありません、 今の世の中は世が逆まで立派な内のお嬢様は芸者の風をする芸者はお嬢様や奥様の風をなしまするから貴方がお間違なかったは当然であります、 貴方が悪いのではありません、先方が悪いのでありますと言った、去る頃一友と共に日比谷公園の洋食店に上れば数人の婦女子が一人の老女と共に食卓を囲んで居る、眼鋭き友人は直に僕に問うた、

「君は彼等をば何者だと思うか」

「あれかい、新橋か烏森辺の賤業婦だろう、あんな奴等の傍に居ると食物の味を害するからモット離れた所に行こうじゃないか」

彼は稍々不平の色を示した

「君は女を見るの眼を有せない、彼等が賤業婦だものか、彼等は立派なる家の令嬢である、彼の老女は彼等のお袋である、君は誰でも彼れでも賤業婦だと言う、 先日僕が妻や妹の写真を見ても直ぐに賤業婦だと言ったじゃないか、君の前には堅気の婦人も顔色を失わなくてはならんよ」

「そうかね、そう言えば成程そうらしい所もある様だなあ、夫れにしても令嬢なら何ぜに令嬢らしい風をしないだろうか、何んだろうあの変な色の衣物を着て、顔にはべたべたと白粉を塗って、見られた態ではないじゃないか、どうも如何に欲目で見ても彼等が姉妹はヘチャマクレの鈍物たるを免れないなあ」

僕は此より六十日間那須の山中に立て籠った、仰げば高き油井ヶ嶽は絶えず大気焔を吐きつつある、 伏すれば広き那須野ヶ原は十里一望下に横われり、名に負う殺生石なるものを訪問して「飛ぶものは雲ばかりなる石の上」との芭翁の残したる一句を見ては彼が気楽生涯を思い起し、 歩を転じて食初庵に至れば真二つ割れたる大巌石あり、其何故なるかを問えば昔九尾の狐が此中に潜伏せしを日蓮上人とやら云う豪い坊さんが数珠を以て之を割れば狐は跳んで何れへか形を隠し直に化して殺生石と為れりと語る、 成程そうかと感服して温泉神社に至れば此処には那須の与市が壇ノ浦にて扇子の的を射落したる古矢あり、集まれる多くの歴史家先生は之を見て感動の念に堪えざるものの如くなりしも僕は全く無感覚にてありし、 宿屋は客の花盛り、義太夫なるものも聞かされたり、落語なるものも聞かされたり、米の話も麦の話も、蚕の話より大根の話に至るまで強いて聞かされたり、 隣坐敷の新聞小説の朗読を耳にしては山の奥にも学者あることを思い、滔々たる放談万言を聞いては寒村僻地にも驚くべき雄弁家あることを悟るに至れり、扨は人間病者と為れば種々なる経験に出遇い多くの名人に接するものかな、 有り難し有り難しと思いしも僕は不幸にして有難き此等の学者先生や雄弁家の明論卓説を拝聴するには余り無智の者なるが故に此より十年学んで及ばずと雖ども彼等の門弟たるの位を得るまでは孜々として勤めざるべからず、 敬して彼等を遠けざるべからずと信じ、出でては緑滴る林間に逍遙し、入ては狭き一室に閉居し、斯くして九月も央ばとなれば鎌倉の名僧釈宗演法師は二三の門弟と共に此家に来れり、 地獄にて仏に遇うとは此事なり、出でや彼に向て救を求めんと願えども、元来罪業深き此身なるに其上加えて屡々仏の悪口を叩きし舌の根は鬼が来るまでは抜かれずも一々地獄の帳面に記しあるが何よりの証拠、 閻魔大王現われて善か悪かの裁判を下すまでは仏の力を借すべきにあらざれば先ず夫れまでは悠々自適と太平楽に遊ばるるが何よりか御身の為ならん、 我も暫く此地に在れば共に山川を跋渉して自分免許の仙人たるは是れ亦滑稽世界の滑稽ならんかと申し聞かされたり、 地獄の中にて仙人遊び此は甚だ面白し、百千万億の餓鬼共は閻魔や鬼に肝を潰ぶせども我は却て彼等の魂を奪わんと、此より相携えて山に上り川に遊んで悠々と日を送る間に、 図らざりき娑婆の米友実山氏は紀州和歌の浦の絶景を眺めつつ数百の健児に向て教鞭を振いつつあることは仏の口より漏らされたり、 扨は仏の眼力は鋭き者かな有り難し辱なしと直に筆を取り上げて地獄遊の消息を認めて彼に送れば数日の後に一丈有余の長文は来れり、 彼は慰むるものの如く励ますものの如くしかして最後に君の病敵は旅順の籠城軍よりも尚お頑強なりと言いしが実に然り、 翌年一月一日旅順城頭には上る旭日に白旗の飜えるを見しも僕が病敵は其時に至るも未だ容易に屏息するに至らざりし、

九月末日帰京して再び病院に入らんと欲すれば医者はモウ暫く遊び来れと勧む、遊ぶことならば不同意なしと復もや京地を去って銚子犬吠が岬に嘯けば、此処は幽翠にして閑雅(注2)なる那須の山中とは全く異なり、天風海濤砂を巻き岩を砕き満目悽愴として其殺風景云わん方なし、 草もなければ花もなし、僅に硬骨なる松柏の抵抗を試むるあるのみ、優勝敗劣適者生存の原則は自然界に於ては尤も露骨に適用せらるる者である、 一日先輩者某一の婦人を伴うて此宿に来れり、容貌秀絶にして嬋娟人を迷わすが如し、僕は心窃に彼が好伴侶を得たるを喜び慇懃に挨拶すれば彼れ亦礼を正くして之に応えり、 何くんぞ知らん、後にて聞けば是れ彼が清潔なる家庭にホウホケキョウと囀り遊ぶ寒香梅の鶯にはあらずして汚れし陋間に出没する一夜の玩弄物ならんとは、 嗚呼世人が我輩を欺く実に酷なりと云うべし、秋の好天気に海を見晴らす暁鶏舘、三十日間の清遊に思い掛なき数多の好知己を得て十一月の上旬出京して帰朝以来に三たび病院中の者となれり。

脚注

(1)
いやしむ【卑しむ/賤しむ】の意味 国語辞典 - goo辞書いやしめる【卑しめる/賤しめる】の意味 国語辞典 - goo辞書
(2)
原文では「閖稚」と表記されている。