『洋行之奇禍』 その37

last updated: 2013-01-23

其三十六

入院後数日にして第六回の手術を受けた、料理場に連れ行かるる途中続いて来れる知人に向て「僕は今屠所に引かれて行く羊ですよ、併し死んでも肉は食えないから其積で居て下さい」と言えば彼は「冗談を言う時ではないじゃないか、貴方は左様な気楽な事ばかり言って居るから病気が治らないのです」と言いしが果して其言の如く今回の治療も未だ全く病魔を駆逐するに至らず、 復もや元気を回復するが為めに田舎生活を為さねばならぬ、漸くにして回復すれば奪い取られ、やっと元気付けば直に弱めらる、帰京、退京、入院、退院、一体同じ事をば幾度繰り返さねばならぬか、 去りながら斯くなる上は致し方なし、三年でも五年でも十回でも二十回でも為すだけ為したら生きるか死ぬるか何んとか片付ならんと諦めて十二月上旬三ヶ月分の繃帯を携えて伊豆の伊東に向て出発せり、

新橋停車場より汽車に乗じ、国府津より電車を捉え小田原に至て一泊し、翌日は人車と名つくる変体動物の背にはあらで腹の中へと包まれて長々しき山鳥の尾に百万倍せる四時間有余の道中に百回以上の欠伸を吹き出して、 熱き夏の熱海にはあらで寒き冬の熱海に着すれば此処は負傷兵士の療養所、休まんと欲して休むべき場所もなけれども休まざれば船の来るを待つこと能わず、 船に乗らざれば伊東に行くこと能わず、斯る時には宿屋は威張って客は却て腰を曲げねばならぬ、 強弱地を代ゆればなり、去れども斯る時にても威張る宿屋は自分を知らざる阿呆宿屋である、熱海には此阿呆宿屋が多き故に彼等が近年の不景気を嘆ずるは当然の事である、 僕は此際に及んで宿屋の阿呆と否とを吟味するの暇はない、暫く豕小屋の隣室に雨を凌いで船を待ち受け、之に乗ぜば一時間半にして伊東に着せり、山田屋に投じて此日より六十日間は無言の業、

世間多くの人は独座の淋しきを嘆じ、閉居の無聊に苦むと雖ども僕は却て独座は大好にして閉居して未だ曾て無聊を感じたることなし、 群居すると碌な目には出遇わない、大酒を被りて馬鹿口を叩き賤婦を引捉えてキャアキャアと騒ぎ立つる者は交際社会の豪傑である、 起ては踊り坐しては歌いウーウーオーオーと唸声を出して義太夫を真似る者は交際社会の才子である、 獣行自慢を高談し道楽遊を喋々する者は交際社会の達弁者である、尤も蛮言を弄するに巧なる者は尤も勢力家にして尤も蛮行を演ずるに妙を得たる者は尤も寵愛せらるる者である、 オオオオ奇妙なる交際社会よ、不思議なる交際社会よ、滔々たる天下有為の青年が此奇妙不思議なる交際社会の勢力家と為り、寵愛児と為らんが為めに日夜苦心忙殺せらるる有様の何んぞ夫れ憐(注1)なるや、 彼等は何が故に此の如き交際社会に囓り付くや、彼等は糞土と共に之を捨つるの勇気はなきか、僕は斯る交際社会の捨児と為るも寵児と為ることを欲しない、 閉居独坐は僕に取りては寧ろ最上の快楽であるから隣室の客にも声を掛けず向うの人にも御無沙汰に打過ぎ宿の者等にも口を開かず、 沈々黙々の間に六十日に過ぐれば携え来れる書物も平げて最早為すべき事はなし、去って湯ヶ原の温泉場に遊び大磯の海岸に逍遙し、三月の中旬には帰京して四たび病院の臥床に横われり、

顧みれば病初以来二ヶ年は過ぎた、其間に俎上に横わりしこと前後六回にして今回を以て第七回と為す、 或る者は七たび死んで七たび回ると云えども僕は此の如き洒落を為すには及ばない、一たび生まれて一たび死んだら結構である、再び此世に生れ来て大望を遂げんとするの野心は有せないが、 唯々願うものは生か死か何れか其一である、生でもなく死でもなく、生死の間に漂う浮浪の徒と為りて細き命脈を渇望し長く人間の勤を欠くことは断じて僕の欲せざる所である、 是に於て僕は医士に向って明白に請求した、生死は素より意に介する所にあらざれば今回こそは思い切て最后の治療を為して下さい、彼が諾と答えしは三月の二十日でありしが如何なる手腕を振いたるやは人事不省の間に在りし病者の敢て語り得べきことにあらず、 夫れより三十日を過ぎたる後に至り病敵の運命は未だ容易に測るべからずと雖ども去て再び湯ヶ原の温泉場に趣けり、

相州熱海街道門川の海岸を後に僅かに傾きたる坂路を上ること約一里にして山高く水清き渓川の辺に添うて一個の小村落を見る、 是れ即ち湯ヶ原の温泉場である、 其土地の狭きは山間の山間たる所以にして洋風の家屋を見ざるは風雅の風雅たる所以なり、潺々たる渓流の音は仙女の楽を奏するが如く颯々たる松風の声は天人の笛を吹くかと疑わる、 渓流を遡れば数条の瀧あり、更に遡れば無数の谷あり、 谷は谷を生じ、峯は又峯に連り、蜒々たる細路を辿り点々たる飛石を踏んで進む時は行けども行けども限りなく、山に木を切る樵夫を見ては仙人かと誤り、小屋に働く山婦を見ては此でも欲ある人間かと怪しまる、 時しも初夏の頃にて満山の樹木は嫩芽を発し、満地の草葉は新緑を帯び、山桜は未だ散らざるに山躑躅は已に開き、山腹に宿れる山畑に今を盛りと咲く菜花は細き谷川を翳す山吹の花よりは劣れりとも彼等は互に誇り顔をも見せざれば羨む色をも現わさず、 歌わなけれど蝶は舞い、舞わなけれども蜂は歌う、時々に聞ゆる子規の声、ああ美なる哉天然よ、静なる哉此世界、 人間は何処に居るか、喧嘩は何処に在るか、人殺は何処に在るかと、独り西山に上て蕨を取る者は世を捨てて山に隠るる伯夷叔齊の徒には非ずして、此より再び山の奥をば匐い出でて、 汚れし浮世の汚れし巷、幾千万の餓鬼共と摩った揉んだの争に、貴き人間の一生を過さんとする俗中の俗物泥海の一粒である、 彼は意地悪き病魔の為めに攻め立てられ追い立てられて広き世界に身を置くの処なく僅かに狭き此山間の一隅に引籠りて静に命を養いつつありしが、 何時しか此処を忍び出でて三たび鎌倉の古巣に帰り、由比ヶ浜の辺にぶらりぶらりと杖を引く間に長々しき二年有半の奮戦苦闘は一先ず終を告げて惜しからぬ命は尚お暫くの間は彼を見捨てざるものの如し、 往事を顧みれば茫として夢の如く、遙に空洋の天を望めば唯陰雲の飛走するを見るのみ、 彼は此より如何に為るであろうか、天に問えども天は語らず、地に問えども地は答えず、神も知らねば仏も知らず、 運命の怪物に勝手気儘に玩弄せられて広き大海原を浮かり浮かりと漂うであろうよ、 有り難くもあり有り難くもなし、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経(注2)アーメン、あなかしこうかしこう。

脚注

(1)
原文では「隣」と表記されている。
(2)
原文では「南無妙法連華経」と表記されている。