『回顧七十年』 その7

last updated: 2013-01-23

議会で謝罪文を朗読

六月二十三日より特別議会が開かれたが、院内の形勢は一変して憲政会は少数党であるのみならず、手を携える友党もなく、全く孤立無援の状態となった。 この時に当りて憲政常道論を唱えても、最早相手にする者はない。 内閣不信任案を提出せんとして国民党に交渉するも、彼らはすでに政府与党と変化してこれに応ずるの色はなく、前には憲政常道論を理由として内閣不信任案を提出した者が、後にはこれを捨てて内閣の与党となり、奴隷となる。 政党としてこれに過ぐる不信不義はないのであるが、世間はこれを責め、これを制裁する力を持たぬ。 日本は政治道徳の行われない国である、それでも憲政会は今更黙してやむことも出来ず、単独をもって内閣不信任案および内務大臣不信任案を提出したが、いずれも大多数をもって否決せられ、次いで外交調査会に関する決議案を提出するに至った。

この決議案に対して私は党を代表して演壇に起ち、外交調査会の憲法違反なることを痛論した。 その演説中において、政友会の議席より盛んに弥次妨害が起こったから、壇上より彼らの議席を指し、議員の言論を妨害することをもって常事とするわいわい連中は深く自ら慎むべしと叱咤したところが、彼らはますます狂乱怒号し、わいわい連とは議員を侮辱するものなりとして、私を懲罰に付するの動議を提出し、多数をもってこれを決議したから、私の演説は半ばにして中止せざるを得ないこととなった。

翌日懲罰委員会の結果は、私に謝罪文を朗読することを命じたが、これを読むか読まないかについては党内に議論があったけれども、読まざれば院議に従わざる理由をもって再び懲罰に付し、次には出席停止を命ずるに至ることは疑いない。 そうなればせっかくの演説を続(注1)けることが出来ないから、私は自ら決心して愚劣なる謝罪文を朗読し、直ちに演説を継続したが、その時は満場水を打ちたるがごとく静かとなり、残りなく論旨を尽すことが出来た。

決議案は葬られたが、私の演説は上出来であったとみえて、終了後には政友会の議員すら賞讃して、君はとうとう院内第一の憲法学者となったとお世辞を呈してくれた。

脚注

(1)
原文では「読」と表記されていますが誤りでしょう。