『回顧七十年』 その23

last updated: 2013-01-23

粛軍に関する質問演説

五月一日より二十一日間の予定をもって第六十九(特別)議会が召集せられ、六日より本会議開かれ、首相、外相、蔵相、陸相の演説に引き続いて例のごとく各派代表の質問演説が開始せられた。

今回の議会は反乱事件直後の議会であるから、該事件に関し国民の総意を反映せしむべく、徹底せる質問をなすことが議員一般の希望であった。 私がこの問題を提げて質問演説をなすや否やについては、裏面において種々の策動が行われたようであるが、多数議員の希望はぜひとも私を起たしむべく、幹部会および議員総会の問題となって現われたから、何人もこの勢いを阻止することは出来ずして、遂に私は翌七日わが党の代表者として第三位に登壇することになった。

私の演説(注1)の骨子は、前段において革新政治の内容と外交および国防について論及し、後段において反乱事件の原因と軍部当局の態度を論難して、粛軍の大義を闡明せんめいし、併せて該事件に対する国民的感情を披瀝したものであった。 特に粛軍問題については一言一句十分に洗練して、いずれの方面よりの攻撃に対してもあらかじめめ防禦の注意を怠らなかったつもりである。

三時三分に登壇し、四時二十八分に降壇、演説時間はまさに一時間二十五分であったが、その間満場は粛然として一言の私語を聞かず、要所要所に急霰きゅうさん拍手を送るのみであった。 無事に演説を済ませて降壇したる時には、各派の議員より握手を求めて衷心より感謝の意を表せられたのは意想外であったが、さらに意想外であったのは、私の演説が全国民に与えたる影響である。

翌日都下の大新聞はいずれも第一面全部にそれぞれ大文字の標題を掲げ、私の演説中の粛軍に関する速記を満載して、議会未曽有の歴史的大演説であると激賞した。 試みにその中の主なるものを拳ぐれば、

東京朝日新聞標題
「衆議院の大論戦展開、事件根絶に一刀両断、軍当局の決断を望む、斎藤隆夫氏の熱弁」
東京日日新聞標題
「斎藤氏熱火の大論陣、国民の総意を代表し今事件の心臓を衝く、軍部に一大英断要望」
読売新聞標題
「軍民一致の大感激、儼たる議会の威信、一刀両断の処置を執れ、肺腑を突く斎藤氏の舌鋒、陸相又率直に答弁」
報知新聞標題
「舌鋒議場に蘇える、言々凄愴憂国の至情、斎藤氏軍の責任痛論、満場粛然寂として声なし」
時事新報標題
「事件の処置に英断を要望、五・一五事件に対する判決は極めて不公平、斎藤氏の火を吐く演説本会議熱狂」
大阪朝日新聞標題
「斎藤君言々句々粛軍の大義を闡明す愛国の至情迸しる質疑応答、衆議院に深刻なる感銘」
大阪毎日新聞標題
「禍根は初に断ち、曖昧の中に葬るな、軍人の政治運動は危険、斎藤氏の舌鋒鋭し」

なお多数言論機関の批評中の一節を挙ぐれば

東京朝日新聞
「七日の衆議院本会議に、庶政一新並に粛軍問題を提げて起つた民政党斎藤隆夫氏の質問演説は危機に立つ立憲政治の擁護を叫び、二・二六事件に関連して真摯大胆に其言はんと欲する所を言ひ、粛軍の大義を闡明したるものとして、満場嵐の如き拍手裡に深刻なる感銘を与へた。而も単に無責任なる批評乃至放言に堕せず、言々句々粛軍の大義を説いて陸相に詰寄つた熱論と更に又之に答へた寺内陸相の真面目な態度とは、問題が問題だけに議場は一種の凄愴味を呈し、問ふ者も答へる者も愛国の至情が迸出で、非常時議会に相応しき非常なる緊張を呈した」
同紙同月十四日記事
「今議会の前半を通観して、最も活動した人々を数へれば、万人挙つて第一に斎藤隆夫君を推さねばならぬ。実に去る七日衆議院本会議に於ける斎藤君の粛軍に関する質問演説は近来稀なる大論陣であつた。軍人の政治不干与に関する鉄則の糾明、近年の不祥事件に対する軍当局の処置糾弾、立憲政治の高揚を論じ去り論じ来つて、最後に「国民の忍耐力には限りがある」と喝破した時は、演場闃として声なく、斎藤君の舌鋒は恰も火を吐くの概があつた。之は又寺内陸相が「御趣旨には全く同感である」旨を明確に答へ、粛軍の決意を披瀝したことに依つて、斎藤君の論陣は、朝野を引操めて一つの大きな国民的感動の中に捲込んだと云ふ効果さへ羸ち得て居る。蓋し斎藤君こそ今議会切つての花形であり、議会論壇の歴史附歯車を大きく一つがたりと廻して呉れたものと言つて宜い」

同月九日の東京日日新聞及び大阪毎日新聞は、「国民的の声斎藤氏の大演説」と題して社説を掲載し 「斎藤氏の演説は論旨透徹、理路整然、又国民の言はんと欲する所を道破したる近来の名演説」と激賞し、又「同氏の言に依つて国民の沈黙、政党の沈黙が破られたるを思ひ、明朗日本の曙光を認め得たることを感ずる」と論じた。

報知新聞
「斎藤君が起上つた。決死の咆哮一時間二十五分!非常時を缶詰にした議事堂は揺いだ、議員も傍聴人も、大臣も有ゆる人の耳は震へた。七日の非常時議会は遂に斎藤隆夫氏の記録的名演説を産んだのだ。斎藤さんは先づ議会政治の擁護、粛軍の偽なき信念、論旨は進む、舌端は火を吐く、其一言々々慨世の絶句だ。斎藤さんの口調に段々熱気が増した。場内の私語がぱつと消えた。広田首相、寺内陸相に質す其一句毎に万雷の如き拍手が起る。民政も政友も無産も与党も野党もない。煮え繰返る場内から拍手の連続だ。五・一五事件のことに及んだ時、議席の犬養健君がはつと俯伏した。涙を拭つて居る。憲政擁護に生涯を終始した父君の面影が、身も心も感奮の為め躍り上つたのだ。健君は落ちる涙を掩ひ兼ねた。首相も陸相も俯向いて居る。
傍聴人も身を乗出して聴覚を尖らして居る。秋霜烈日!深山を闊歩する猛虎の叫び、四時二十八分!熱気毒びた拍手、斎藤さんは壇を降りた。後方の議席に帰る途中、両側の議員は手を差伸べて斎藤さんと握手した。声もない。沈黙、感激の握手の連続だ。場内は冷水をぶつ掛けられたやうにほつと緊張を弛めた。首相、陸相の答弁も慎重を極める。非常時の重圧が生んだ名演説、控室の斎藤さんは黙々として何も語らない。其処へ政友会の代議士がどうも有難うと感謝の挨拶、斎藤さんはにつこり握手した」
読売新閣標題
「其一瞬!感激の議場、果敢なる挺身、言論の自由茲に返り咲く」と題し
「斎藤氏の演説は正に身を以て言論自由の範を垂れたものである。議会人多しと雖も、あれ程思ふ存分粛軍問題を俎に載せ得る者、同氏を措いて他にありやと言ひたい。五尺そこそこの痩躯壇上に於ける風采こそ挙らぬが、彼が殆ど満面に決死の色を漲らせながら、腹の底から湧出す言々句々は全く満場を魅了してしまつた。一時間余に亘る演説中、満場が極度の緊張に掩はれ一言一句も聞逃すまいと耳を傾け、急所々々では万雷の拍手だ。演説が終つた時などは満場感激の坩堝と化し、拍手喝采暫し鳴り止まぬ有様だつた。斯る真剣な質問、斯る議場の緊張した空気は近来の議会にないことだ」
同新聞同月十二日の記事
「斎藤隆夫君の演説が如何に議場にセンセーションを捲起したかは、次の日の諸新聞が、此為に一頁も費して大袈裟に報じたことに依つても知られることである。実に速記を通じて見ただけでも同君の悲壮なる決心、此老代議士の志士的な熱情、流石に多年訓練された議会政治家らしく壇上に於ける此人の颯爽とした風貌と、之に喝采を送つてゐた議場の感激的光景とが手に取るやうに映じ出されて居る。吾々は斎藤君の成功を祝する。是は恐らく斎藤君に取りて一世一代の昂奮であらうし、又此議会切つての昂奮した瞬間でもあらう。此一つの瞬間を持ち得た議会は、それだけで既に一会期の意味を持つたとさへ言ひ得る」
雑誌『民政』六月号の記事
「斎藤君の演説を聞いて居る間に、落涙を禁じ得ない程の感激に打たれた。あの演説には私心もない。自分もなけれは党もない。名も求めなければ欲もない。命さへ捨てて顧みない。唯々上は聖上、下は万民、日本帝国の為めより外には何の考もない。是があの言論を吐かしたのだ。全く吾々が嘗て雄弁家を以て夢にも期待しなかつた人から、あの大雄弁が吐露されたのは、全く人力でなくして天意である。日本国土を護らせ給ふ神が之を言はしめたのである」

翌日より十数日間は、内地は言うにおよばず、上海、満州、台湾、朝鮮方面より、知人またはその他の人々から続々電報郵便が到来したが、その二、三不明のものを除き、他はことごとく私の演説に対する感謝状であった。 ほとんど異口同音に、数年来全国民の言わんと欲して言い得ざりしことを、国民に代って議会に吐露せられたることを、心から感謝するという意味である。

なお全国無数の雑誌の六月号においては、演説の全文または一部を掲げて、思い思いの論評を下し、欧米の新聞も電報通信によりてこれを掲載し、在留米人メーソン氏は特に私に面会を求めて、私の演説は米国独立史を飾る彼の有名なるパトリック・ヘンリーの演説とともに、永く世界の歴史に残るものなりとまで激賞するに至った。

私はこの演説がかくまで国民的歓迎を受けるとは全く予想しなかった。 同時に、私は死すとも、この演説は永くわが国の憲政史上に残ると思えば、私は実に政治家としての一大責任を果したる心地がした。 議会は二日間延長せられて、二十六日無事に閉会を告げた。

脚注

(1)
粛軍演説の全文は、「粛軍に関する質問演説」にて掲載しています。 このページの体裁はできるだけ民生書院版・中公文庫版のものを採用しようとしました。ですが、一部の箇所については対応させませんでした。