『帝国議会 第89回 昭和20年11月28日』

last updated: 2010-11-14

情報

昭和20年11月28日に、衆議院の本会議で行われた演説のテキストです。

データは帝国議会会議録検索システムにて公開されているものを使用しました。 なお、新字体や現代仮名遣いへの変更、読みやすいように改行を増やす等公開されているテキストに手を加えました。 会議録の原文も誤っていると思われる箇所については、加除訂正をしました。

本文

第1段落

長い間の戦争も漸く終りを告げまして、去る八月十五日我々国民が終戦の大詔を拝しました以来既に三箇月有余を経過致したのであります、其の後我が国に於ける状勢は如何なものであるかと観て居りますると云うと、政治界は申すに及ばず、経済界は申すに及ばず、其の他各方面に亘りまして次から次に現われて来る所のものは、極めて困難なる所の事情であるのでありまして、之を以て見ましても戦争に負けたと云うことが、如何に悲惨なものであるかと云うことがしみじみと痛感せらるるのであります、実に今日の我国は国難のどん底に落されつつあるのであります、

併し是は仕方がない、どうすることも出来ない、今日何ものの力を以て致しましても、此の事実を打消すことは出来ない、既に打消すことが出来ないならば、お互は茲に気を新たにして、凡ゆる元気を鼓舞して、此の国難突破に向って邁進をする、是がお互が国家国民に対し尽す所の一大責務であると心得て居るのであります、

此の時に当って幣原内閣が成立した、而して成立後初めて開かるる此の議会でありまするに依って、我々は政府の政策並に其の実行等に付きまして質して見たい、又論じて見たいことが沢山あるのでありまするけれども、是等のことは姑た他の機会に譲りまして、此の際は民衆政治の運用に付きまして、又一つには戦争責任者に対する政府の態度に付きまして、特に総理大臣に質して見たいことがある、尚ほ最後に於きましては日本に発達した所の軍国主義に付て特に陸軍大臣の意見を聴いて見たいことがあるのであります

第2段落

現内閣は組閣直後に八大政綱なるものを発表せられたのでありますが、其の第一に民主政治の確立と云うことがある、又只今総理大臣の演説に於きましても民主主義と云うことを相当強調せられて居ることを承りました、民主政治の確立、是まではそう云う言葉は我が日本に於ては使われなかったのであります、之を口にすることも出来ない、之を筆にすることも出来ない、一切禁止せられて居たのであります、

是は何が故であるか、それには大体二つの理由があります、若し民主政治と云うことが主権在民を意味するならば、是は我が国の国体と相容れないものでありまするから、過去に於て禁止せられたと同じく、現在及び将来に於ても是は絶対に禁止しなくてはならないのであります

(拍手)

併しながら若し民主政冶と云う言葉が主権在民と云うが如き意味を含んで居るものではない、詰り国民の総意を本として国の政治を行う、而して国民の総意は上御一人の御意思と全然相一致するものである、詰り君民一致の政治を行うことが我が国に於ける民主政治の実体でありまするならば、之を禁止する所以は全然ないのであります、

所が是まで君民の間に或る勢力、或る不合理千万なる勢力が挟って、此の民主政治を阻碍をして居った、而して此の民主政治が我が国に実現しなかったと云うことが、是までどれだけ我が国の政治界を停滞せしめ、腐敗せしめ、延いて国家の発達を阻碍したか分らぬ、今度の戦争の原因及び敗戦の原因も、遡って考えましたならば、此の辺から来て居るに相違ないのであります

第3段落

所が今回天の一方より「ポツダム」宣言なるものが現われた、此の宣言は我が日本に向って民主政治を投付けて居る、強要して居る、命令して居るのであります、而して此の命令は日本を殺す所の命令ではなくして、日本を活す所の命令である、永い間の弾圧政治を打破って、自由政治を打樹てる所の命令である、暗黒世界より文明世界に進む所の道であります、それ故に我が国民は喜んで之を迎えて居る、政府も亦此の趣旨に従って民主政治を標榜せねばならぬ所まで押寄せられて来たのであります、

其の結果として現われたものが憲法改正の問題である、政府は既に憲法改正に着手(注1)して、其の内容を略略決定して居ることと思いまするが、私は今日其の内容を聴かんと欲する者ではない、又聴いた所で今日の場合、それが発表の出来るものではないことは能く存じて居るのであります、

それ故に私が此の場合に政府に向って質して置きたいことは、其の内容の詳細ではなくして憲法改正に関する大体の方針であります、申すまでもなく我が国の憲法は、建国三千年の歴史と、金甌無欠の国体を本とし天皇の大権を中心として、国家統治の大綱を規定したるものでありまして、其の弾力性の広大なることは世界何れの国にも其の類例を見ることが出来ない、是が我が憲法の特質であるのであります、

それ故に専制政治家が之を運用すれば専制政治となり、民主政治家が之を運用すれば民主政治となるのであります、例えば議会の解散は天皇の大権にありまするから、幾度之を解散した所が決して憲法違反にはならない、非立憲ではあるが、決して憲法違反ではないのであります、故に引続き之を解散したならば、事実上議会の存在を奪うことも出来るのであります、予算がなければ前年度の予算を施行することが出来る、法律がなければ緊急勅令を制定することが出来る、金が入用ならば財政上の非常処分をすることも出来るのであります、

併し是は全く専制政治でありまして、断じて立憲政治ではない、況んや民主政治でないと云うことは無論であります、民主政治を行わんとするならば、是と全然反対の道を取らねばならぬのでありまするが、我が憲法の規定は此の道を取ることに於て少しも障碍とならないのみならず、あり余る所の道が開かれて居るのである、のみならず憲法の精神は固より之を迎えて居るのであります、

今回問題となって居りまする所の宣戦の大権も亦同様である、戦いを宣することは天皇の大権でありまして、人民や議会の干渉すべきものではないが、天皇を輔弼して此の大権運用の責任を有する政府当局者が、能く民意のある所を察知して、大権輔弼の途を誤らなかったならば、是が即ち民主政治の実体でありまするからして、問題は起らなかったに相違ないのである、

然る所政府当局が此処に気を付けず、民意を無視し、大権輔弼の途を誤ったことが、今日憲法改正問題が起りたる所以であるのであります

第4段落

それ故に憲法の改正は憲法其のものの罪ではなくして、寧ろ憲法運用の責任を有する政府の罪である、併しながら又一方より見まするならば政府をして其の運用を誤らしむるが如き余地を存して居る所に、憲法の欠陥があるのでありまするから、此の欠陥を補正することが即ち憲法改正の内容でなくてはならぬのである、

之を端的に申しまするならば、我が憲法は今日澎湃として起って来て居る所の民主政治、此の民主政治を徹底し得るに付て聊か適せざる所がありまするから、此を適せしむべく憲法全体に亘って深く検討する必要があるのである、

唯併しながら如何に憲法を改正するとも之に依って我が国の国体を侵すことは出来ない、統治権の主体に指を触るることは許されない、是は論ずるまでもないことでありまして、我が日本進歩党の綱領の第一条に、国体を擁護し民主政治を徹底せしむべしと掲げてありまするのは、其の趣旨に外ならぬのであります

(拍手)

然るに近来言論の自由が解放せられたる其の機会に乗じて、世間一部の間には憲法の改正に付きましても、我が国の歴史と国体を忘れて、甚しく誤れる議論をなす者がある、それ故に政府は斯かる議論を一掃して、世の迷いを解くが為に、此の際憲法改正に関する政府の方針を堂々として天下に開明せらるる所の必要があると思うが、どうであるか

(拍手)

先づ以て之を総理大臣に質して置きたいのであります

第5段落

それから次に此の議会は主として選挙法を改正し、引続いて衆議院を解散して総選挙をなす、而して之に依って議会を改造する、之を目的として開かれたものと言われて居りまするが、確かに是は民主政治に進む第一歩であるのであります、

総理大臣は組閣直後に新聞記者との会談に於きまして、今日の議会は官選議会である、今日の議員は官選議員であって、国民の自由意思に依って選出せられたものではないから、速かに之を解散して新議会を作りたい、斯様に述べて居らるるのでありまするが、私は之に付ては何等の批評はしない、何等の批評はしないが、既に首相が斯くの如き見解を有せらるる以上は、速かに議会を解散して総選挙を断行し、以て真の議会を作るべき適当の手段を執らるることは、総理大臣として執らるべき当然の途である、而して此の議会を解散して総選挙に臨むに当りましては、一切干渉はしない、直接にも間接にも一切干渉はしない、全然国民の自由意思に依って選挙を行わしむる、斯様に述べて居らるるのでありますが、是は別に断わらずとも当然のことであります、

一体選挙に当って政府が干渉する、政府の為に都合の悪い候補者を排斥して、都合の好い候補者を当選せしむるが為に干渉する、斯かることは越権であり、非立憲であるのみならず、適正に申しまするならば正しく是は憲法違反の行動である、憲法は立法、行政両機関の独立を確認して居ります、立法機関が行政機関の組織に干渉することが出来ないと同じく、行政機関も亦立法機関の組織に干渉することは出来ない、選挙の取締をすること、それは政府の権能でありまするけれども、如何なる人を選挙するかと云うことは、全く選挙民の自由であるのであります、然るに其の自由を弾圧して、政府の意の儘に之を動かさんとするが如きは、確かに憲法違反の行為であると言われても、是は弁解の言葉はないのであります、

それ故に政府が議員選挙に当って、直接にも間接にも一切干渉はしない、全く国民の自由意思に一任すると云うのは是は宜しい、それは宜しいが、是と同時に一つ幣原首相の御注意を喚び起して置かなければならぬことがある、それは外ではない、即ち国民の自由意思に依って現われたる総選挙の結果に付ては、時の政府は無条件に服従をしなくてはならぬ、選挙制度の目的は是にあるのである、又民主政治の要諦も是にあるのであります、

然るに此の大切なる要点を忘れて、仮令選挙の結果多数党が現われても、政府が見て以て真の民意にあらずと認めたる時には、再び議会を解散するに躊躇するものでない、斯様に明言せられて居るのでありまするが、是は一体どう云うことであるか、私には全く分らないのであります

(拍手)

凡そ立憲政治の下に於きまして、又民主政治の下に於きまして、選挙を他にして民意を測定する方法があるか、あるならば言うて御覧なさい、ないでありましょう、ないならば嫌でも何でも選挙の結果には服従せねばならぬ、

然るに必ずしも之に服従はしない、仮令自由選挙に依って現われたる結果と雖も、必ずしも民意の反映とは思わない、之を民意の反映と見るか見ないかは、一に政府の考えに依って決まるのである、全く政府の独断に依って決する、是が幣原首相の意見でありまするが、それであるならば何が為に議会を解散して総選挙をやるのであるか、全く訳が分らないことになるのであります、

斯う云う次第で一方に於ては民主政治を標榜しながら、他の一方に於ては民主政治と全然相容れない意見を発表する、此の矛盾せる意見をどうして調和することが出来るか、調和が出来る訳はないではないか

第6段落

思うに甚だ失礼かは知りませぬが、幣原首相の頭の中には民主政治と云う如き御考えはないのではないか、首相の頭の中にはやはり官僚思想が隠されて居るのではないか

(拍手)

此の隠れたる官僚思想を持ちながら、「ポツダム」宣言に余儀なくせられて、心に副わない民主政治を仮装する、此の仮装が破れてあのようなる自家撞著(注2)の意見が現われたものではないかと思われる、若しそうであるならば斯かる思想を持ちながら、議会を解散して総選挙を行う、是れ程危険千万なことはないのであります

(「其の通り」、拍手)

是では唯政治界を混乱せしめて、民主政治を破壊するものであります、而して私が敢て此の言をなす所以のものは啻に選挙に関する点のみではない、此の根本思想が今日の国政全般に亘って至大の関係を有するものと思うのであります、

今日は国内を通じて民主政治の風が吹いて居るけれども、此の風はまだ国民の頭の中、殊に政府部内の官僚の頭の中には十分に滲透して居らないのであります、官僚の頭の中には依然として今尚お官僚の残滓が焦付いて居る、之を根本から拭い去るにあらざれば、真の民主政治は行われないのである、

然るに政府全体を統率する所の総理大臣の頭が右のような次第であるならば、今後の政治も亦推して知るべきものであります、それ故に此の質問をなすのでありまするから、幣原首相は能く御考えの上、此の点に関する自己の所信を明示せられんことを望みます

第7段落

次は戦争の責任に関する政府の態度であります、幣原首相は日本全国民も戦争の責任を負わねばならぬと明言せられて居られる、是は一体どう云うことであるか、私共洵に怪訝に堪えないのであります、日本国民は果して戦争の責任を負わねばならぬものであるかないか、此の論結に入るに先だちまして、先ず以て戦争責任の根本に付て一言せざるを得ないのであります、

私は見る所を極めて率直に明言する、今日戦争の根本責任を負う者は東条大将と近衛公爵、此の二人であると私は思うのであります、尤も此の両人だけが戦争の責任者ではない、他にも沢山あるでありましょうが、苟くも政局の表面に立って此の戦争を惹起した所の根本責任は近衛公爵と東条大将、此の両人であると云うに付て、天下に異論ある筈はないのであります

(拍手)

それは何が故であるか、申すまでもなく大東亜戦争は何から起って居るのであるかと言えば、詰り支那事変から起って居るのであります、支那事変がなければ大東亜戦争はないのである、それ故に大東亜戦争を起した所の東条大将に戦争の責任があるとするならば、支那事変を起した所の近衛公爵にも亦戦争の責任がなくてはならぬのであります、

私は今日此の場合に於て支那事変は何が故に起ったのであるか、そう云うことは申さない、又当時近衛内閣が声明した所の現地解決、事変不拡大の方針、是が何故に行われなかったか、是亦言うの必要はない、併しながら事変は拡大に拡大を重ねて停止することが出来ない、此の時に当って近衛内閣は如何なることを声明したか、支那事変は支那を侵略するのが目的ではない、日支親善が目的である、それを蒋介石が邪魔をするから、蒋介石を討つのが目的であって、決して支那民衆を敵とするものではない、斯う云うことを声明して居る、

併し斯くの如き浅はかなる声明が支那の民心を把握して、世界の輿論を惹付けることが出来ると思うに至っては、全く児戯に類するものであります、

併し是は別として、此の声明を本として、次に何を言うたか、蒋介石を討つにあらざれば戈を収めない、蒋介石を相手にしない、蒋介石を討つことが出来ましたか、討つことが出来ないではないか、蒋介石を相手にするもしないもない、支那は今日聯合国の一員となって、戦勝国の権利として戦敗国たる日本に向って居るではないか、近衛公は此の事実をどう見るか、苟くも責任を解し、恥を知る政治家であるならば、安閑として居れる訳はないのであります、

尚お近衛公の責任は是位のものでは止まない、彼の汪兆銘と称する政治家、此の無力なる政治家を引張って来て、そうして支那に新政府を作らせる、此の新政府に依って日本はどれだけ搾取せられたか、どれだけ犠牲を払ったか、実に言うに忍びないものがあるのであります、然るに此の新政府はどうなったか、終戦と同時に崩壊して、今日は影も形もなくなって居る、此の事実をどうするのであるか、

或は三国同盟を作った、日独伊の三国同盟を作ったのも近衛内閣である、当時日本国民は斯くの如き同盟には衷心賛成はして居らなかったのであります、にも拘らず強いて之を作った、そうして此の三国同盟が大東亜戦争を導いたと云うことは隠れもない事実であるのであります、此の事実をどうするか、

或は又米英の蒋介石援助に向って抗議を申込んだ、斯くの如き抗議が成立たないと云う位のことは、常識を備えて居る者なら分る筈であります、なぜであるか、日本が蒋介石を討てば、日本の勢力が益益支那に侵入する、日本の勢力が支那に侵入すればそれだけ米英の勢力は後退しなくてはならぬ、何れの国と雖も自国の勢力が後退するのを、指を咥えて見て居る馬鹿はない、それ故に日本から見たならば、米英の蒋介石援助は怪しからぬことのように思えるかも知れませぬが、米英より見たならば、日本の蒋介石討伐は怪しからぬと思われるに違ひない、

斯う云うことが段々と悪化して、遂に日米会談となる、近衛公は近頃日米会談の裏面に於て非常に骨を折ったけれども、之を成立させることが出来なかったのは甚だ遺憾であると言うて、何となく自分の責任回避を仄かして居るようであるが、是は以ての外の我儘である、日米会談は何から起ったのであるか、支那事変から起ったのである、自分で火を点けて大火事を起して置きながら、其の火事を消すことが出来なかったから、火事の責任は自分にはない、斯う云う理窟が今日の世の中に於て通ると思うのは、是は全く世間知らずの分らず屋であるのであります

第8段落

要するに大体斯う云う次第でありまして、近衛公の戦争に対する責任は実に看過すべからざるものがあるのであるが、之を現内閣はどう見て居るか、近衛公は戦争に対しては責任はないと思って居るのであるか、若し責任がないと思うならば、私が以上述べたる所の事実と近衛公との関係はどうなるのであるか、之を説明せられたいのであります、

私が斯う云うことを申すのは、別に深い意味があるのであります、それは何であるかと云うと、今日我が国民が最も恨んで居る所の者が二人ある、一人は東条大将であるが、他の一人は近衛公であります、此の両人に対する国民の恨みと云うものは実に深刻なるものがある、政府の高い所に居っては是が分らないかは知りませぬが、是は全く事実であります、

然るに一方の東条大将は、戦争犯罪者として検挙せられて、其の運命も余り遠からない内に定まるのでありますが、他の責任者たる近衛公は、戦争犯罪者としてはおろか、政治上に於ける責任も執られる所の形跡はない、のみならず宮中府中を通じて其の存在は今尚お国民の眼に映ずる、国民より之を見まするならば是れ程奇怪千万なことはないのであります、

而して斯う云う事実が今日の国民思想の上に於てどう云う影響を及ぼすか、それでなくても今日敗戦後の国民思想の中には、極めて油断のならないものがあるのであります、此の油断のならない思想の中に於て、斯くの如き問題を此の儘に葬り去ることは国家の大局より見て戒むべきことであると思うが、之に対する総理大臣の見解は如何なるものであるか、之を伺って置きたいのであります

第9段落

次に総理大臣は戦争の責任を国民全体に負わして居る、如何なる事実を因として之を言うのであるか、私には分らない、国民は果して戦争の責任を負わねばならぬものであるかどうか、尤も今回の戦争はやるべきものであったか、やるべからざるものであったかと云うことに付ては、国民の肚の底には色々の考えがあったに相違ない、若し之を国民投票に愬えたならば其の結果はどうであったか、私は今日之を明言しない、

併しながら一たび戦争が起りました以上は、其の戦争には何としても勝たねばならぬ、戦争に勝たなかったならば国が亡びてしまふのであります、それ故に戦前には如何なる考えを持って居ったにせよ、一たび戦争が始まりました以上は、此の戦争に勝つが為に、国民は各各其の身に応ずる能力を提げて、戦争に向って努力をしたに相違ないのであります

(拍手)

国民の中には幾百万人の出征軍人もある、是等の軍人は命を捨てて国家の為に戦って来た、之に戦争の責任がある訳はない、其の他銃後の国民も戦争に勝つが為には各各其の身に相当する犠牲を払って居るのであります、

例えば農民であります、全国民の約半数を占めて居る所の農民である、彼等は増産に骨を折れと云えば一生懸命に増産に骨を折る、米を出せと云えば黙々として之を出す、自分の食糧をも省いて無条件に米を出して居る、農民は正直である、米を出せば戦争に勝つが、米を出さねば戦争に敗ける、戦争に敗けたならば出すも出さないもない、根こそぎに取られてしまうと説かるる、正直なる農民は一途に之を信じて米を出して来た、戦争に勝ちましたか、勝てないではないか、戦争には敗けたではないか、政府は国民を騙かしたのであります、政府が農民を騙かして居りながら、其の農民に戦争の責任を負わせんとするのが幣原首相の態度である、

其の他一般の国民も亦然り、徴用工になれと言えば徴用工になる、挺身隊になれと言えば挺身隊になる、全国幾十万の学生生徒は大切なる学業を中止してまで、直接間接に戦争の為に働いて来た、それ等の国民に何の責任があるのであるか、責任を負う者は別にあるのであるが、それ等の責任者に向っては一指を染めることが出来ずして、一般の国民に向って責任を負わせんとする幣原首相の御考えは何処から出るのであるか、之を承らんとするのであります

(拍手)

大体欺くの如き次第でありまするから、民主政治の確立、戦争の責任者、現内閣のなす所、幣原首相のなさるる所は全く解し難いものがあるから、此の機会に於て是等の点に付て国民の理解を求むべく自己の所信を披瀝せられんことを望むのであります

第10段落

最後に於て陸軍大臣に向って質して置きたいことがある、それは我が国に於ける軍国主義の発達に関することであります、軍国主義は既に亡びてしもうた、「ポツダム」宣言の一撃に遇うて根本から亡びてしまった、我々は国家の為に是れ程痛快なことはないのであります、唯併し我々の力に依って軍国主義を打破することが出来ずして、「ポツダム」宣言、即ち外国の力に依って初めて之を打破することが出来たと云うことは、何と弁解致した所で我々政治家、日本政治家の無力を物語るものである、

併し是は仕方がないと致しましても、元来我が国に於きましては彼の満洲事変当時より軍人が政治に干渉し、軍国主義者が漸次に勢力を得て、実際に於きましては国家の政治に至るまで彼等に依って左右せらるるに至ったことは、是は争うことの出来ない事実であるのであります、而して、此の弊害は積り積って停止する所なく、遂に今回の戦争を惹起し(注3)国を挙げて戦争の渦中に投じ、国を挙げて敗戦のどん底に蹴落して我が国今日の惨状を来したのである、

然る所が、今回の敗戦に依りまして軍備は悉く撤廃せられ、軍国主義者は悉く葬り去らる、是が為に軍部を統轄する所の陸海両省、此の陸海両省も近く廃止せられて国民に別れを告げねばならぬことになるのであります、それ故に此の際に当りまして、苟くも軍の代表者たるものは、我が国に於きましてどうして斯う云う軍国主義が生れ出たのであるか、又どうして之を未然に防ぐことが出来なかったのであるか、どうして之を抑圧することが出来なかったのであるか、そうしてどうして今回の戦争を導いたのであるか、凡そ是等のことに付きまして、全国民の理解を求むるが為に一切の真情を説明せらるる所の必要があると思うのであります、

我々も亦軍部大臣と相見ることは今回が最後と思いまするから、敢て此の質問を致す所以であります、陸軍大臣は能く是等の事情に気を注がれまして、我々に対しては申すに及ばず、此の議会を通して広く国民の理解を求めらるるが為に、出来得る限り詳細に自己の所見を述べられんことを望みます、私の質問は是で終ります

(拍手)

脚注

(1)
原文では「著手」と表記されている。
(2)
原文では「自家撞著」と表記されている。
(3)
原文では「捲起し」と表記されている。