「宮城蔵王不亡山B29三機連続墜落事故の謎」に関する新資料の紹介

2018-02-12

このテキストについて

平山氏の依頼により、「宮城蔵王不忘山B29三機連続墜落事故の謎」に関する新資料を掲載します。

本文

【資料の説明】

2018年1月末に事故当時14歳で墜落現場近くの横川に居住していた高橋昌平氏から本件に関する情報の提供があった。「不亡山・B29墜落事故に関する報告」(400字詰原稿用紙換算45枚程度)・「B29墜落事故に関して」(5枚程度)・「進駐軍兵士との思い出」(5枚程度)・「不忘山正面からの鳥観見取図」(A3用紙)を主とするもので、加藤本とは墜落時刻と墜落順に相違がある。「報告」では、墜落順は二番機・一番機・三番機の順で、その時刻は、最初に落ちた機体が「深夜0時から1時頃」、二番目については「数10秒後」だというのである。全般的に加藤本より墜落の間隔が短いという印象である。そのため高橋氏は3機編隊だったのではないかと推測している。高橋氏の了承が得られたので、以下に「B29墜落事故に関して」の全文を掲げる。

【資料】B29墜落事故に関して

(1)1機目(一番最初のヒコーキ)の爆音について。

就寝中に突然大きな爆音がして目が覚めた。その爆音が数秒のうちに物凄い音となって近づいてきた。何故突然に爆音がしたのか? それは鳥瞰図からもわかるように大久保山上空に機影が現れた瞬間から大きな音となって突然聞こえた。それは、実家と大久保山との距離がそれ程離れていないため近づくことによって更に更に物凄い爆音となって聞こえたのである。

音の聞こえてくる方角は実家の正面(道路と平行〔西側・平山註〕)からのみ聞こえ、その飛行方向は道路と平行にしかも不亡山の方へ向かって飛んで行ったように聞こえた。そして、10数秒後、高い爆音が突然ピタッ!と消えたのである。不忘山の正面に向かっていたと思われるヒコーキが墜落したとなれば不忘山の中央あたりになると思った。

(2)2機目に消えた爆音について。

風が強かったため何やら微かな音がする。耳をすましていると、ヒコーキとわかった。思わず「あァッまたきた!」とさけんでしまった。その音がだんだん近づくにつれて少しは大きくなったが、こちらへ向ってくるような音ではなかった。聞こえてくる方角は実家の裏窓〔東側・平山註〕からのみ聞こえ、その音の進んでゆく方向は長老湖の方へ飛んで行くように聞こえた。

「ヤレヤレ助かった!」といった心境だった。音がだんだん小さくなって、「もう聞こえなくなるなあ!」と思った寸前、音がピタッ!と消えたのである。これが一番機と呼ばれるヒコーキの墜落した瞬間である。

ここで注意を要することは1機目(最初のヒコーキ)の爆音と2機目のヒコーキの爆音を墜落寸前の爆音の大きさで比較することにより距離がわかるのである。

即ち、墜落寸前の爆音は最初のヒコーキの方が大きく、2機目に聞こえた爆音の方が小さかった。この事から最初に墜落したのは二番機、そして次に聞こえたヒコーキは一番機であったということがわかる。

(3)3機目の爆音について。

横川裏町〔高橋宅の西方300メートル付近〕に住んでいた岩松吉三郎氏と南波米司の話を聞いて、疑問を感じていた兄・辰夫の話を思い出す。

それは警防団のある会合で、二人は9日の夜B29 の爆音を2回聞いたと話していた、その2機不亡山に墜落していたし、その現場にも行ってきたらしく詳しく説明をしていた、とのことであった。

しかし、兄の考えは、あの低い爆音遠い所に住んでいた二人に大きな音で聞こえる筈がないからだ。結局警防団としては、3機目の爆音を聞いた、という者は誰も居なかったため、3番機が墜落しているとは誰も思わなかったらしい。

半年近く過ぎた頃、山形から「3番機墜落現場発見」の情報がもたらされ、それから横川警防団でも捜索に動き出した、というのが実態のようである。

(私見)

即ち、岩松・南波の両氏の主張していた9日の深夜、大きな爆音を2回聞いたと言っていたようだが、爆音の聞こえた方角など確認されていなかったらしく、ちょうど中間位に住んでいた警防団員でもあった岡部宏一氏の発言がなかったのが残念…と。

南波氏は古手の警防団員であったため過信されたのが結局3番機の捜索は行われず発見に至らなかったものと思われる。

佐々木清治氏の言っていた「乙森の方〔岩松・南波宅のさらに西方〕からも聞こえたような気がする」。このことを強く主張していれば、もっと早い段階で調査が行われていたとも考えられるし、もし、警防団員の中にも聞いたという団員がいれば、調査が行われていたのに…、と。残念そうに言っていたのが印象的に記憶に残っている。〔「B29墜落事故に関して」終〕

【考察】

この高橋氏の証言により明らかになったこととして、まず墜落順については、従来までの発見順と同じではなく、二番機・一番機・三番機の順であったことがある。この二番機は、墜落前に焼夷弾を投下したことが確認されている第314爆撃団第19爆撃群所属の機体番号#42-65310で、通常の乗員のほかに同乗者として操縦士より階級の高い少佐が乗り込んでいた。墜落時全員即死は明らかである。次いでその後二番機の東方約1キロの地点に墜落したのは第314爆撃団第29爆撃群所属の機体番号#42-63564、ニックネーム「チェリー・ザ・ホリゾンタル・キャット」で、新聞記事によれば6名ほど、実際に目撃した高橋氏によっても最低1名は墜落後生存していたことが視認されている。この機体は墜落後炎上したので、従来までは上空から炎上する一番機を発見した二番機が、墜落の確認のため近づいたせいで同様に遭難したという見解もとられていたが、それは事実上否定されたことになる。三番機は第73爆撃団第498爆撃群所属の機体番号#44-69747ということだけがはっきりしていて、それ以外のことは不明のままである。

墜落時刻については、最初に墜落した二番機の時刻が少し繰り下がり、次の一番機との時間差は小さかったように受け取れる。3機とも午前1時頃に墜落したのではなかろうか。また高橋氏は二番機と一番機との時間差は数10秒と証言しているが、寝入りばなのことでもあり、時間感覚はどうであったか、判断に迷うところである。

3機の墜落地点の標高から、いずれも爆撃高度である1500メートルが維持されていたものと思われる。当日は吹雪で視界が悪く、その高度を維持していては目視により蔵王山系を回避するのは不可能だった。だとすると、まさにその付近に爆撃目標があったと推測するしかないと私は思うのだが、真実は今のところ闇の奥にある。