『諭吉の流儀―『福翁自伝』を読む』 その0

last updated: 2013-03-03

このテキストについて

平山洋『諭吉の流儀――『福翁自伝』を読む』のまえがき全文を公開します。

なお、「『諭吉の流儀―「福翁自伝」を読む』について」に書籍情報と書評等の情報があります。

まえがき――この本の使い方

皆さん、福沢諭吉という人を知っていますか? あらゆる日本人の顔のなかで、一万円札の肖像に使われている福沢の顔ほど、広く知られている顔はほかにはないでしょう。とはいえその福沢の思想と生涯がどのようなものであったかについては、十分に理解されてはいないのが実情です。この本の目的は、その、知られているようで実は知られていない福沢諭吉の一生を、『福翁自伝』を読み解きつつたどることにあります。

それではまず本書の構成と使い方について説明しましょう。『福翁自伝』は、明治三〇(一八九七)年の秋から翌年の春にかけて口述され、新聞連載の後、明治三二(一八九九)年六月に刊行されました。本書を構成するにあたり、その自伝全一五章を三章づつ五つの部に分け、各部の扉にその時期にふさわしい福沢の言葉を掲げることで、理解の手助けとしています。読者は扉の言葉とその説明によって、各時代の出来事と福沢の動向について大まかに把握できるはずです。

本文は、数行の引用文とその解説で一つのまとまり(項目)となっています。一項目は見開き二頁に収められていて、引用文ごとに通し番号と主題が付されています。各項目は独立しているので、興味のおもむくまま、どこから読んでも構いません。引用文については音読を心がけてください。福沢諭吉の文章の「よさ」を知るには、黙読では不十分と考えられますので。それが本書を使うにあたっての主たる注意点です。また、本書を手に取られたからには、一度は『福翁自伝』そのものを通読してください。

けれども、それはわざわざ言う必要もないことだと思っています。なぜなら、私の知るかぎり、『福翁自伝』のどの一節にでも触れた人で、結局読み通さなかった人などいないからです。店頭で本書を購入しようかどうしようかと迷っているあなた、ここで試みに「えいやっ」と本文を開いて、目に入った項目を一読してください。するとたちまち、「全部を読んでみたいな」と思われてくるに違いないのです。

そもそも『福翁自伝』ほど面白くてためになる本は、そうはないでしょう。面白さについての説明は要りません。本書の引用文からだけでもそれははっきりと分かりますし、通読してその面白さを認めない人もいないはずです。一方、ためになる、については、自伝の各所にちりばめられているために、あるいは見つけだしにくいことがあるかもしれません。そうした『福翁自伝』の「ためになる」部分を拾い出し、解説を加えたところに、本書の意義を求めることもできます。

最後に、本書の題名は、自伝中の一節、「私は私の流儀を守って生涯このまま変えずに終わることであろう」(「品行家風」の章「莫逆の友なし」の節)によっています。福沢諭吉が生涯変えずにいた流儀とはいったい何なのか、それはこの本の中で明かされることになります。