2009-09-06 のプログラム

Posted on 2009-09-06 in 翻訳
収録時間
25 分台
ファイルサイズ
23 MB
司会
ルーカス・バーンズ
演奏団体
アメリカの国旗 ロックポート軍隊バンド
1 曲目
ガロップ「ビューン ブーン」
チャールズ・ダブルによる作曲
2 曲目
行進曲「シカゴの美女」
スーザによる作曲
3 曲目
一般的なアメリカの曲の混ぜ合わせ
トーマス・アレンによる作曲
4 曲目
スイカ倶楽部ラグタイム
ジェームズ・ランプによる作曲
5 曲目
ガロップ「デコラの王子」
ペリー・ローリーによる作曲
註釈
音楽監督のスティーブ・トーマスさんへのインタビューが収録されています。
1曲目は1920年の作品。作曲者のダブルはインディアナ州のジェファソンヴィル生まれ。ダブルは行進曲「ブラヴーラ」でよく知られている人物ですが、このサーカス・ガロップを1920年に作曲しました。
2曲目は1892年の作品。スーザはシカゴの淑女への挨拶としてこの行進曲を1892年に作曲しました。この曲は少数の批評家でしかヒットしませんでした。ポール・ビーリーはスーザの楽曲に関する書籍でいくつかの批判的な所見を引用していました。次のようなものです。「スーザはシカゴの美女を……巨人が揺れ動きながらする大股歩きと……強い太声のような声と、保存用に処理したハムのような足を備えあわせた……力強い生き物として考えているのだ。」次の人物はこう書いていました。「スーザはシカゴの美女を大柄な田舎娘にしてくれた。」
3曲目は1906年の作品。トーマス・アレンはこの「混ぜ合わせ」を1906年に作曲しました。この曲はイギリス人が「慌ただしい転換」――違う歌からフレーズを単一の楽曲へと並べたメドレー――と呼ぶ音楽の型です。この曲では当時の「愛国的な」旋律を多く使用しています。
4曲目は1908年の作品。ランプはこのラグタイムを1908年に作曲しました。ランプの父は、ミネソタ州聖パウロの大西部バンドの指揮者として雇われたときに移住してきたオランダ人指揮者です。ランプ自身は、ミネアポリス交響楽団で第一バイオリンの奏者でしたが、ポピュラー音楽による作曲の方により興味を抱いていました。この独特のラグタイムはビル・パークによって編集されました。パークはオハイオ州のデジタルバンド音楽 PDF 資料室のスタッフです。
5曲目は1913年の作品。ローリーは、1920年から1930年まで、リングリングブラザーズ余興バンドにおいて指揮者と編曲者、コルネットの名人でした。他のサーカス・バンドの有名な指導者数名は、ローリーを非常に高く評価し、めいめいのグループによる編曲者とコルネットのソリストとして雇用しようとしました。ローリーはアフリカ系アメリカ人で初めてボストン音楽学校を卒業しました。「デコラの王子」はローリーが作曲家として出版した唯一の曲として知られています。また、この曲は、アイオワ州デコラで生活し働いていた出版者の名を採って命名したものです。
mp3
http://www.brasscast.com/feed/uploads/Brasscast06SEP.mp3