日本カント協会シンポジウム提題「日本におけるカント受容第三の経路」

last updated: 2020-07-01

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次の文章は、2020年度日本カント協会大会で開催予定のシンポジウム 「カントと日本近代(仮)」での提題「日本におけるカント受容第三の経路」の 梗概です。平山氏の了解をえてアップロードします。シンポジウムは11月に金沢 大学で大橋容一郎(上智大学)・宮島光志(富山大学)の両氏を交えて行われる ことになっています。

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2020年06月24日

日本カント協会シンポジウム提題「日本におけるカント受容第三の経路」

静岡県立大学 平 山  洋

 本学会で「カントから日本文化へ」という個人発表を行ったのは、ちょうど20年前の2000年11月、山形大学においてでした。その結論は、①日本にカントの思想をもたらしたのは西周である、②1877年の東京大学開設後は、はじめはフェノロサ・ブッセ・ケーベルらお雇い外国人教師により、後には井上哲次郎や中島力造ら留学帰国組によって大西祝や西田幾多郎へと伝えられた、③西周が当初関心の中心に据えていた永久平和論は中江兆民や南原繁へと引き継がれて、ついには戦後の南原による全面講和演説に結実している、というものでした。

 今回の発表は前回不十分だった点を補う形で、とくに大西のカント受容に焦点をあてます。前には言及しませんでしたが、大西は東大進学前同志社で既にカントについて学んでいました。それは①永久平和論の作者としてのカント(国際政治上の関心)、②三批判書の作者としてのカント(講壇哲学的関心)、のいずれでもない、③宗教思想家としてのカント(神学的関心)とでもいうべきアプローチで、カント受容史上、管見のかぎりこれまで一度も言及されていない事実です。

 大西の同志社での師匠山崎為徳に『天地大原因論』(1880)という自然神学の著作があります。その中に、神の目的論的証明に関してカントが一度だけ言及されています。これは確認できるかぎり、西周による『明六雑誌』(1873)での言及についで古いものです。また、『天地大原因論』の引用書目には、B.P.Bowne、G.P.Fisher、St.G.Mivert、A.Winchell、P.A.Chadbourne、J.W.Dauson など米国の神学者の名前が並んでいて、それらの著作中でもカントは大きな役割を果たしています。米国では19世紀最後の四半世紀にカントの神学的解釈ともいうべき研究が多くなされていたのです。これはいわゆるドイツ西南学派による新カント主義の勃興とはまったく無関係な潮流でした。

 この神学的カントとでもいうべき流れを作り出したのは何であったのか、現在のところ立証のための十分な用意はできていませんが、とりあえず2つの要因を考えています。一つは哲学雑誌”The Journal of Speculative Philosophy”の創刊(1867)、そしてもう一つは英国(アイルランド)の物理学者チンダル(J.Tyndall)の米国東部講演旅行(1872~73)です。なぜその二つの事態が神学的カントを生み出す土壌となったのかについては追々明らかになるはずです。

 なお、本シンポジウムにかかわることとして、「西田幾多郎とカント」(「カントとショーペンハウアーをめぐって」と改題修正されて『西田哲学の再構築』1997年5月刊に所収)と「ドイツ思想と日本の近代」という二つの拙論がありますので、あらかじめ目を通していただければ幸いです。