「移住論」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「移住論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

移住論

今日の日本の經濟の困難にして貧民の次第に増加するは民間に資本の流通を許さずして事

業の起らざるに原因するものなりとの次第は我輩の毎度立言したる所なれども之を救ふの

方法に至ては未だ其説を得ず或は大に政府の歳入を減じて民業の資本を豐にするが如きは

無疵の良策ならんと雖ども是れは先頃(本年二月八日)の時事新報にも記したる如く言ふ

可くして行はる可らず左れば第二法は如何と云ふに我輩の見込にては日本に餘る人民を海

外に移すの外なしと信ずるものなり日本の人口の増加するは毎年五十萬人に下らず故に毎

年此五十萬人の爲めに要する衣食は新に生ず可き筈にして例へば其五十萬人の内三十萬人

を農民とすれば新地の開墾又は農作の改良にて三十萬人の衣食は新に農業より収穫するの

外出所ある可らず假令へ之を収穫したりとて生計の別段に豐なるには非ず丁度その前年に

異なるなしと云ふまでのことにして餘り面白き譯けにもあらざるに今日の所にては其新衣

食を生せざるのみか舊來の事業さへ衰へて十數年前の有樣に立戻りたりと云ふ、事業は起

らずして人口は増加す、衣食の足らざるも謂れなきに非ざるなり尚ほ此上にも維新以來は

運輸の便のために人力を省き隨て力役者又諸商人等の職業を奪はれたること少なからず例

へば駕籠なれば人足二人にて一人の客を擔ぐ其代りに人力車は一人にて車を挽く其上に駕

籠の行くこと一日八里なれば人力車は二十四里を走る可し人足の數にて既に倍の働きを爲

し道の遠近にて又三倍の利益あるが故に今の人力車夫は昔の駕籠人足に比して六倍の利益

あるものと云ふ可し即ち今の人力車一人にて駕籠人足の六人役を勤るが故に五人の人足は

職業に離れざるを得ず又人力車の走ること駕籠に三倍すれば三人の道中を一日に走りて駕

籠屋も茶屋も從前の三分一にて用を達す可くして三軒の内その二軒は廢業せざるを得ず人

力車のみの影響にても斯の如し况んや彼の汽船汽車の如き何れも皆力役者の仕事を奪ひ去

るの利器にして近年ますます其用を廣くすればますます力役者の數に餘りを生じて貧乏難

澁の聲はますます喧しからざるを得ず經濟の實數より云へば假令へ一國に貧乏人の數を増

して或は飢へて死する程の慘状に陥るものあるも物産を生ずるの數に相違なければ其國を

評して貧に陥りたるものと云ふ可らず少數の人にて作りても多數の人の手に成りても其物

に相違はある可らず故に今の日本の貧民が誠に貧なるも是れは唯その當人の難澁にして一

國全體の經濟より見るときは數年前の日本も今の日本も貧富に相違することなしと雖ども

是れは唯經濟の理窟論にして人情の一方より見れば此告ぐる無きの貧民とても均しく日本

の粟を食むものにして同類一味の人に外ならざれば其貧苦に迫まるを見ては實以て打棄て

難く氣の毒にも亦憐むべき次第なれども只憐れと計りにて同情相助くるの道を盡さゞれば

是れ所謂婦人の仁なり左れば近來諸方にて慈善の會を立て救恤の法を設け百方周旋して遺

算あるにはあらざれども何を云ふにも目に餘る貧民、其數年々減少するなきは愚か人口の

増殖に連れて日に益々多きを加ふるの勢なれば如何に慈悲深き善人なりと雖ど〓〓さか身

を殺して仁を爲す程の决心もなかるべし限りあるの仁惠を以て誤りなきの貧民を救はんと

す恩人の〓いよいよ博くして貧民の貧いよいよ迫り遂に餓〓〓するに至らんこと必せり飢

餓は人の最も堪え難き〓〓にして貧民も死生の一段に臨みては最早貧樂の境界に非ず去れ

ばとて別に衣食を求むるの道もあらざれば恒産なきものゝ癖として窮して濫るゝは自然の

勢なり借りて返さず買ふて償はざるは尋常一樣の風となり或は俄に人の家を燒き人の生を

傷ふの甚だしきに至らざるも故らに小罪を犯して縄目に掛り獄裡一夕の握飯を以て三日の

飢を醫する如き奇策を捻出する者さへあるなどの塲合に於ては是れぞ社會の安寧秩序を妨

ぐるものにして即ち經濟紊乱の端緒なれば今の時に當り斯民を其未だ甚だ窮せざるに救ふ

の道を講じて海外移住の路を開くは當人の爲めにも又一國全體の爲めにも目下焦眉の急務

なりと云ふべし

窮猿林に投ず豈に樹を擇ぶに暇あらん貧民を海外の地に移植す經國治民の望み既に足れり

復た其行先きの地を卜するにも及ばざるに似たれども移住當局者の身と爲りてその起居營

生等の利益の爲めに擇ぶ可きを擇ばざるは智者の事にあらず又世界の廣大なる撰んで撰び

に當るものなきにあらざれば篤と日本人民恰好の移住地を穿鑿するも亦無用の勞と云ふ可

らず熟ら熟ら按ずるに舊世界には人口既に填塞して殆んど餘地なし隅々之れあるも亞弗利

加の内地か西比里亞の北方のみ何れも人類の生を遂ぐるに易からず境壤廣くして人口疎な

るも氣候一に偏して寒き所は極めて寒く熱き所は極めて熱く中和の天氣に生育したる日本

人民には甚だ不適當なりと云はざるを得ず依て眼を轉じて他を求るに太平洋の彼岸に一國

あり北米合衆國と云ふ其人情風俗自由寛大にして能く他郷の人を容れ然かも気候は順にし

て地味は肥え最も日本人の起居營生に恰當するものなれば我輩は先づ此合衆國を推して移

住の撰に當らしむるものなり

米國學士の説に米國土壤の廣大なる良野千里に亘り菽麥を植へんとすれば農地あり牛羊を

飼はんとすれば牧野あり山に獵りして水に漁り或は開鑛の企て或は伐材の業一として夫れ

相應の土地あらざるなく土地の形勢に由て氣候固より均しからず北、湖水近邊にては兒童

橇に乘て雪中に戯るれば又同時に南方フロリダに到れば百花咲き亂れて香風人の衣を襲ふ

あり歩を西に轉じてカリフオルニヤ州に入れば天氣殊に順和にして四時青草を踏み熱きも

六十度に出でず寒きも四十度の下に下らず一領の衣以て冬夏に兩用すべし去れば北米合衆

國こそ日本人民の移住に最良の郷なるのみならず寒國人來たれば寒地あり熱國人來れば熱

地あり寒暖冷熱只移住人民の望み次第なる其上に從前の人口は稀少にして移住人と衣食を

爭ふものなし抑も米國人口の繁殖速かなる徃くを尋ねて來るを推せば千九百七十年には四

億七千四百萬の多きに上り殆んど千八百八十年の人口に十倍すべしと雖ども是とて九十年

後の談なり好しや九十年目の曉には彌々豫算通りになるとしても之を歐洲九十年後の人口

に比すれば猶ほ以て小勢の人數と云はざる可らず然るを况んや東洋諸國の多人數に較ぶ可

けんや東洋の人口を推算すれば其時には七億五千萬以上に上りて其三分の二は皆やつやつ

しき貧乏なる者共のみ今此三分の二即ち五億餘の貧民が相率ゐて米國に移住するとも米國

は决して土地の狹きを感ずるなき數理に照して明白なる事實なりと

以上は米國の學士が身其の境に居て取調べたる實際談なり此説をして果して大差なからし

めば日本人民の移住すべきは實に此米國にして風土と云ひ上帝別に此樂郊を設けて日本貧

民を濟度するの地となしたるものゝ如し然れども米國は是より三千里道遠くして不便頗る

多し此一點少しく移住の實行に困難を與ふるものならんなれども今後航海の事業は益々盛

んになるも衰ふべき筈なく衰へずして盛んなるに至れば其利益は一番に日米間徃復の移住

民に降り來りて米國眞に我國の東隣たるに相違なかるべし况んや東隣の主人任達客を喜び

ともに天與の幸福を與にせんとするものあるにおゐてをや日本人民豈に數千里を遠しとす

べけんや(以下次號)