「忠孝論」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「忠孝論」を文字に起こしたものです。画像はつぎの pdf に収録されています。

本文

忠孝論

在ボーストン 某生

忠孝の二字は古來我國の二大主義にして恰も人間品行の度を測量するの尺度とも云ふべし

忠孝兩ながら全しとは人間最上の品行を評したるものにて忠ならんとすれば孝なり難しと

は人生至難の塲合を形容したる語なり外に在ては忠、内に在ては孝、此の二者をさへ滿足

に行へば夫れにて人間の義務を盡し天の約束を遂げたるものとなし敢て他を顧るに遑なし

不忠不孝は人間の最大惡事にして他に如何なる善行美事あるも若し忠と孝とに於て一點の

瑕瑾あれば以て全體の品行を損するものとして世に齢するを得ざる有樣なりしと雖ども彼

の廢藩置縣の後は世に忠義を唱ふる者少なく今日に至ては孝を論ずる學者もなく恰も我日

本人は祖先傳來の二大主義を頓に忘却したる者の如し盖し古人の所謂忠義なるものは人に

對するの忠義即ち其藩主に對するの義心にして御馬前に討死と云ひ御主人の身代と云ひ君

辱めらるれば臣死すと云ひ唯人に對するの行爲なるが故に廢藩の一擧その御主人は今の華

族となりて今日は既に其人なし其人なきが故に其人に對するの忠義も亦自から消滅するの

道理なり今日に在ても無理に今の華族に舊主人の名を付して忠臣の技を演ぜんとする者な

きにあらざれどもこは無智にして正直なる田舎の老人か、然らざれば他に自から爲めにす

る所ありて外形を裝ふ者のみ固より物の數とするに足らざるなり然らば則ち忠義の心は之

を美とするに足らざるかと云ふに决して然らず唯其忠義の方向を變じ昔年人に對するの忠

義心を存して今日國に對するの忠義に變形せんこと余輩の願ふ所なり但し此國と云へるは

山野河海等有形の國土を指すにはあらずして其國土に住居する人を總稱するものなるが故

に國に忠を盡すとは即ち其國人に忠を盡すの謂ひにして再言すれば人々自から己れの爲め

に忠を盡すと云ふに異ならず斯く忠の字を解する時は或は世に學者の異説もある可けれど

も試に思へ今國權を擴張して我國の獨立を維持するは何ぞや日本國は余輩の自から住居す

る國なり若しも一朝此國の獨立を失ひ他國人の爲めに掠奪されて他の制御を受くることも

あらんには其影響余輩の身上に及び大に害を蒙るべきが故に國權に對して忠を盡すのみ即

ち吾々が身のために忠を盡すのみ甚だ單一なる事柄にして其理甚だ明白なり斯の如く忠義

心の働の分界を定めて外面の虚色を去るときは忠も亦人間の一大美事にして之を先天の約

束と云ふも可ならん余輩の解する所にては忠の字の義斯の如しと雖ども知字の先生には自

から又他の解釋あるべし若し之あらば幸に其教を惜む勿れ但し此忠義の事に就ては福澤先

生の所著文明論之概略中審かなる所論あるが故に復た此に贅せず依て聊か左に孝のことを

説かん

孝行は支那儒教の大本にして彼の四書五經なるものも其説く所の太半は孝の一字に在るも

のゝ如し孝は百行の本など云へるは即ち儒教の眞面目にして親に事へて孝なれば百事成ら

ざるものなく天下の太平も孝に在り年の豐荒も孝と不孝とに在り雪中の竹ノ子、土中の金

釜皆孝の徳に依らざるものなし孝行の功徳廣大なりと云ふべし我日本にても古來子に教ゆ

るに先づ孝の一字を以てし其所生の恩に報ずるを以て人間最第一の義務となし學者は書を

著はして孝の徳を述べ、政府は之に賞を與へて孝行の人を奬勵する等人事の目的は孝の一

點に止るものゝ如く然かり余輩固より孝行を輕んずる者に非ず啻に之れを輕んぜざるのみ

か世に孝行のますます盛ならんことこそ希望する所なれども古來我國の習俗の如く唯孝の

一事を以て人間の約束となし此一方にのみ心身を用ひて更に他を顧ざるが如きは亦甚だ感

服するを得ざる所なり熟人間進歩の樣を考ふるに子は親よりも賢く親は又其祖父母よりも

利巧にして代々世々世の末となるに隨ひ人智も亦益々上達し以て今の世の中となりたるこ

とならん固より子にして親の智力に及ばず、親にして子に劣る者も少なからずと雖ども是

は常例の外にして一般の定則と云ふべからず往古野蠻の時代と今日文明の様とを比較対照

して今日の人智果して古に優ることあらば之を人類生々遺傳の積集したるものと云はざる

を得ず去れば此進化の理を信じ又人生の目的は次第に後生子孫の幸福を増進するに在り即

ち生々の義務なりとするときは子の親に對する義務よりも親の子に對する義務を以て重し

とせざるを得ず即ち子の孝行よりも親の慈愛を以て大切とするこそ人類の約束と云ふべし

今この理を明にせん爲め假に世の中の人をして悉皆不孝ならしめ世は極て亂暴なりとせん

に其有樣は殆ど禽獣世界に齊くして决して羨むべきものならずと雖ども苟も父母にして自

から智徳の能力を維持して子を愛するの情を失はざるときは尚ほ其能力を子孫に傳へて天

下後世文明に進むの道ある可し人類の進化に對しては孝行の効能甚だ重しと云ふ可らざる

なり之に反して若しも世に孝行のみ盛にして子を愛するの慈心なき時は人生の有樣如何な

るべきや祖先遺傳の能力を傳ふるの道斷絶して生々之を積集するに由なく之を積集して世

の進歩を來たすに道なく世は益々澆季に赴き益々能力の度を減じ益々退歩して遂には禽獣

世界に陥り天地開闢の始に返るべし今幸にして其然らざるは子の孝心よりも親の愛心に依

て維持したるものなりと云はざるを得ず右は萬物進化の理に依て説きたるものなれども今

又人情の赴く所に隨て之を考ふるに親の子に對するの情と子の親に對するの情と其情愛の

深淺に於て自から差あるものゝ如し蓋し芝居狂言裨史小説抔の仕組を視るに世人をして最

も感動を生ぜしむる所は浮世の義理に迫りて父母が其愛子を殺すの一段にあり政岡の愁歎、

寺小屋の段、人をして流涕せしめざるはなし義理の爲めに愛子を殺すは實に人情忍びざる

所にして此忍ぶべからざるを忍び人情爲し難きを爲すの趣向は即ち作者の巧手段にして其

最も得意とする所なり或は父を殺し母を刺すの趣向を仕組んで人の感動を惹起さんとする

ものあれども人心に感ずる所は唯惡漢の惡を惡むのみにして悲歎の情は之を子殺に比して

大に趣を異にする所あるが如し左れば子の親に對するの情は未だ之を純情無雜と云ふ可ら

ず蓋し社會の習俗と古來の教育とに由て養成したる一種の人情と云ふも可なり子を持て知

る親の恩とは古人の名句にして其意味は子を育つるは誠に面倒にして骨の折れるものなる

が故に之を自分の身に引較らべて己れも斯く我親に骨を折らせ面倒を掛けたることならん

と思へば實に親の思は海よりも深く山よりも高きものなりと心に感ずべしとの意を句調好

く述べたるものなり然れども苟も世間並の人物にして己れの子を養育するを面倒なりなど

と思ふ者はある可らず既に之を面倒なりと思はざれば今更親の事を想起して自分の面倒を

引較るの理由もある可らず畢竟古人も人間社會の實際を視察して動もすれば孝道の盛なら

ざるを知り恰も數理を以て人情の發達を責めたるものならん亦以て人生孝心の純精ならざ

るを窺ふに足る可し之に反して親の子を愛するの情は教育の助力に依らず習慣の壓制に拘

らず天然に發生するものにして是れぞ純情無雜の至情と云はざるを得ず左れば今教育の要

は人生の素質に具はる所のものを益々養成して社會の進歩を利するに在りと聞くからには

孝教固より大切なりと雖も父母の慈愛は更に大切なるが故に大に天下の父母を教え其不慈

不愛の罪を責るは徳教家の當さに務む可き所のものなる可し

以下のテキストについて

※「忠孝論」は日原昌造の執筆であることが判明しました。 「杉田聡編『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集』(22)」をご参照ください。

近代デジタルライブラリー|国立国会図書館にて公開されている、『修業立志編』の「忠孝論」をテキストにしました。テキストにするにあたり、なぜ『修業立志編』は『福澤全集』に収録されていないのか?: その 3の「忠孝論」を参考にしました。以下、いくつかの注意点を列挙します(も参照のこと。)。

  • 本来は二段落(「孝行は支那儒教の…」が二段落目冒頭)ですが、適宜改行しました。
  • 「新字旧仮名」のスタイルをとりましたが、例外があります。
  • 一部の漢字を平仮名に直しています。

上記ウェブサイトで公開されている、『修業立志編』の情報は、以下の通りです。

出版者
時事新報社
出版年
明 31(1898)年 4 月
NDC分類番号
150
著者標目
慶応義塾

本文

忠孝の二字は古来我国の二大主義にしてあたかも人間品行の度を測量するの尺度とも云ふべし。 忠孝両ながら全しとは、人間最上の品行を評したるものにて、忠ならんとすれば孝なり難しとは、人生至難の場合を形容したる語なり。 外に在ては忠、内に在ては孝、此二者をさへ満足に行へば、れにて人間の義務を尽し、天の約束を遂げたるものとなし、敢て他を顧みるにいとまなし。

不忠不孝は人間の最大悪事にして、他に如何なる善行美事あるも、若し忠と孝とに於て一点の瑕瑾かきんあれば、もって全躰の品行を損するものとして、世に齢するを得ざる有様なりしと雖も、彼の廃藩置県の後は、世に忠義を唱ふる者少なく、今日に至ては、孝を論ずる学者もなく、恰も我日本人は祖先伝来の二大主義をとみに忘却したる者の如し。 けだし古人の所謂忠義なるものは、人に対するの忠義、即ち其藩主に対するの義心にして、御馬前ばぜんに討死と云ひ、御主人の身代と云ひ、君辱めらるれば臣死すと云ひ、唯人に対するの行為なるが故に、廃藩の一挙その御主人は今の華族となりて、今日は既に其人なし、其人なきが故に、其人に対するの忠義も亦自から消滅するの道理なり。

今日に在ても、無理に今の華族に旧主人の名を付して、忠臣の技を演ぜんとする者なきにあらざれども、こは無智にして正直なる田舎の老人か、然らざれば他に自から為めにする所ありて、外形を装ふ者のみ、固より物の数とするに足らざるなり。 然らば則ち忠義の心は之を美とするに足らざるかと云ふに、決して然らず、唯其忠義の方向を変じ、昔年人に対するの忠義心を存して、今日国に対するの忠義に変形せんと余輩の願ふ所なり。

但し此国と云へるは、山野河海等有形の国土を指すにはあらずして、其国土に住居する人を総称するものなるが故に、国に忠を尽すとは、即ち其国人に忠を尽すの謂ひにして、再言すれば、人々自から己れの為めに忠を尽すと云ふに異ならず。 斯く忠の字を解する時は、或は世に学者の異説もある可けれども、試に思へ、今国権を拡張して我国の独立を維持するは何ぞや、日本国は余輩の自から住居する国なり、若しも一朝此国の独立を失ひ、他国人の為めに掠奪りゃくだつされて、他の制御を受くることもあらんには、其影響余輩の身上に及び、大に害を蒙るべきが故に、国権に対して忠を尽すのみ、即ち吾々が身のために忠を尽すのみ、甚だ単一なる事柄にして、其理甚だ明白なり。 斯の如く忠義心の働の分界を定めて、外面の虚色を去るときは、忠も亦人間の一大美事にして、之を先天の約束と云ふも可ならん。

余輩の解する所にては、忠の字の義斯の如しと雖ども、知字の先生には自から又他の解釈あるべし、若し之あらば、幸に其教を惜むなかれ。 但し此忠義の事に就ては、余が文明論之概略中に於てつまびらかに論じたれば復た此に贅せず、依ていささかか左に孝のことを説かん。

孝行は支那儒教の大本にして、彼の四書五経なるものも、其説く所の大半は孝の一字に在るものの如し。孝は百行の本など云へるは、即ち儒教の真面目にして、親に事へて孝なれば、百事成らざるものなく、天下の太平も孝に在り、年の豊荒も孝と不孝とに在り、雪中の竹の子、土中の金釜、皆孝の徳に依らざるものなし、孝行の功徳広大なりと云ふべし。 我日本にても、古来子に教ゆるに先づ孝の一字をもってし、其所生の恩に報ずるをもって、人間最第一の義務となし、学者は書を著はして孝の徳を述べ、政府は之に賞を与へて、孝行の人を奨励する等、人事の目的は孝の一点に止るものの如く然かり。 余輩固より孝行を軽んずる者に非ず、ただに之れを軽んぜざるのみか、世に孝行のますます盛ならんことこそ希望する所なれども、古来我国の習俗の如く、唯孝の一事をもって人間の約束となし、此一方にのみ心身を用ひて、更に他を顧ざるが如きは、亦甚だ感服するを得ざる所なり。

つらつら人間進歩の様を考ふるに、子は親よりも賢く、親は又其祖父母よりも利巧にして、代々世々の末となるに随ひ、人智も亦益々上達し、もって今の世の中となりたることならん。 固より子にして親の智力に及ばず、親にして子に劣る者も少なからずと雖ども、是は常例の外にして、一般の定則と云ふべからず。

往古野蛮の時代と、今日文明の様とを比較対照して、今日の人智果して古に優ることあらば、之を人類生々遺伝の積集したるものと云はざるを得ず。 去れば此進化の理を信じ、又人生の目的は次第に後生子孫の幸福を増進するに在り、即ち生々の義務なりとするときは、親の子に対する義務をもって重しとせざるを得ず、即ち子の孝行よりも親の慈愛をもって大切とするこそ人類の約束と云ふ可し。

今この理を明にせん為め、仮に世の中の人をして、悉皆しっかい不孝ならしめ、世は極て乱暴なりとせんに、其有様は殆ど禽獣世界に斉くして、決して羨むべきものならずと雖ども、苟も父母にして自から智徳の能力を維持して、子を愛するの情を失はざるときは、尚ほ其能力を子孫に伝へて、天下後世文明に進むの道ある可し、人類の進化に対しては、孝行の効能甚だ重しと云ふ可らざるなり。 之に反して、若しも世に孝行のみ盛にして、子を愛するの慈心なき時は、人生の有様如何なるべきや、祖先遺伝の能力を伝ふる道断絶して、生々之を積集するに由なく、之を積集して世の進歩を来たすに道なく、世は益々澆季ぎょうきに赴き、益々能力の度を減じ、益々退歩して遂には禽獣世界に陥り、天地開闢かいびゃくの始に返るべし。 今幸にして其然らざるは、子の孝心よりも、親の愛心に依て維持したるものなりと云はざるを得ず。

右は万物進化の理に依て説きたるものなれども、今又人情の赴く所に随て之を考ふるに、親の子に対するの情と、子の親に対するの情と、其情愛の深浅に於て自から差あるものの如し。 蓋し芝居狂言、裨史ひし、小説などの仕組を視るに、世人をして最も感動を生ぜしむる所は、浮世の義理に迫りて、父母が其愛子を殺すの一段にあり。 政岡の愁歎しゅうたん、寺小屋の段、人をして流涕りゅうていせしめざるはなし。 義理の為めに愛子を殺すは、実に人情忍びざる所にして、此忍ぶべからざるを忍び、人情為し難きを為すの趣向は、即ち作者の巧手段にして、其最も得意とする所なり。 或は父を殺し、母を刺すの趣向を仕組んで、人の感動を惹起じゃっきさんとするものあれども、人心に感する所は唯悪漢の悪をにくむのみにして、悲歎の情は之を子殺に比して、大に趣を異にする所あるが如し。

れば子の親に対するの情は、未だ之を純精無雑と云ふ可らず。 蓋し社会の習俗と、古来の教育とに由て養成したる一種の人情と云ふも可なり。 子を持て知る親の恩とは、古人の名句にして、其意味は子を育つるは誠に面倒にして、骨の折れるものなるが故に、之を自分の身に引較らべて、己れも斯く我親に骨を折らせ、面倒を掛けたることならんと思へば、実に親の恩は海よりも深く、山よりも高きものなりと心に感ずべしとの意を、句調好く述べたるものなり。 然れども苟も世間並の人物にして、己れの子を養育すること面倒なりなどと思ふ者はある可らず、既に之を面倒なりと思はざれば、今更親の事を想起して自分の面倒を引較ぶるの理由もある可らず。

畢竟ひっきょう古人も人間社会の実際を視察して、動もすれば孝道の盛ならざるを知り、恰も数理をもって人情の発達を責めたるものならん、亦もって人生孝心の純精ならざるを窺ふに足る可し。 之に反して、親の子を愛するの情は、教育の助力に依らず、習慣の圧制に拘はらず、天然に発生するものにして、是れぞ純精無雑の至情と云はざるを得ず。左れば今教育の要は、人生の素質に具はる所のものを益々養成して、社会の進歩を利するに在りと聞くからには、孝教固より大切なりと雖も、父母の慈愛は更に大切なるが故に、大に天下の父母を教え、其不慈不愛の罪を責るは、徳教家の当さに務む可き所のものなる可し。

  • ルビを独自にふっています。原文にはありません。
  • 「躰」は「体」と表記せずにそのままにしてあります。
  • 発行日は「明治 31 年 4 月 16 日」とのことです。おそらく初版本でしょうか?
『伝統と革新』所収の「心養」との相違点(【】で括った箇所)
二大主義にして【】恰も
形容したる語なり【。】
代々世々の末となるに随ひ【、】人智も亦
親の子に対する義務を以て重しとせざるを得ず【、】即ち
即ち作者の巧手段にして【、】