「富士艦の到着に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「富士艦の到着に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

富士艦の到着に就て

富士艦は本日を以て横須賀に着港の豫定なりと云ふ同艦の廻航に付き三浦艦長の效績は日本海軍の名譽として世界に誇るに足る可きものあり其次第は我輩の曾て記したる如くにして今回いよいよ歸朝に就ては朝野の歡迎も一方ならざることならん又近報に據れば八嶋艦も既にコロンボを發したるよし近近の内に相踵で歸着することならん同艦長の功勞も前に次ぐ可きものなれば是れ又歡迎す可きこと勿論なりとして右の二艦の到着は〓海軍に一層の勢力を加ふるものにして吾吾國民の心強く思ふ所なり抑も海軍の備は戰時と平時とに拘はらず〓だ必要にして文明立國の軍備は主として海軍を推さざるを得ず其次第は固より明白なれども從來日本人一般の思想に其必要を感ずること未だ甚だ切ならざるは既に右二艦の製造の如き容易に議會の賛成を得ざりし事實に徴するも其然るを知る可し日清の戰爭以來形勢一變して海軍擴張の一事は大に人氣を得たるが如くなれども一般人の心の底に眞實海軍の效用價値を解するや否やに至りては尚ほ聊か疑なきを得ず例へば三浦艦長の如き外國の海軍社會には評判籍籍夙に其伎倆を認められて今回蘇西運河の通過の一事の如き必ずしも意外の思を爲さざることならんなれども日本人の中には今日まで同艦長の名を知らざるものさへも多かる可し或は今回の歸朝に就ても朝野共に歡迎の企あるも前年陸軍の將校が外國の冒險旅行を試みて歸へりたるの時の有樣に比して冷熱如何ある可きや其冷熱の度は以て世人の思想如何を卜知するに足るものなり果して國人一般に海軍思想に乏しきの實あらんには一時の勢に乘じて大に軍艦を製造し海軍の擴張を謀るも實際に其効を收むるの結果は容易に望む可らず今後の長計は何は兎もあれ一般に海軍思想を奬勵して國人をして眞實海軍の效用價値を解せしむること必要なる可し其手段は自から多多ならんなれども我輩の此程記載したる舊幕時代に日本軍艦最第一〓の軍艦長として彼の咸臨丸に乘して太平洋を往復したる木村攝津守(今の芥舟翁)を始めとして當時の乘組員の功勞を録して之を社會に發表するが如き獨り文明開化の由來を知らしむるの效能あるのみならず今日海軍思想奬勵の手段としても甚だ有效なる可し奬勵の手段に就ては其他、我輩の平生より論じたるもの少なからず當局者に於ても必ず記憶することならん本日富士艦の到着に際して更らに注意の爲めに一言するものなり