「明治三十一年三月十二日三田演説会に於ける演説」

last updated: 2015-03-14

このページについて

慶応義塾学報に掲載された「明治三十一年三月十二日三田演説会に於ける演説」を文字に起こしたものです。

  • 『福澤諭吉全集 第 19 巻』(岩波書店、1962 年)所収の演説、「明治三十一年三月十二日三田演説会に於ける演説」(736 頁から 742 頁)
  • 18980312
  • 本来は八段落ですが、適宜改行しました。
  • テキストの表記については、諸論説についてをご覧下さい。

この演説について、平山氏からメールがありました。

福沢が演説をして 10 日後、時事新報に「シナ人親しむ可し」(1898-03-22)が掲載されています。 読み比べれは明白なように、「シナ人親しむ可し」は、演説の前半部をもとに書かれています。 この社説が福沢の真筆であり、また、当時の彼の本心であることを、疑うことはできません。 同時期に発表された社説に、民族差別や侵略主義をうかがわせる部分があるとすれば、それは福沢の書いた社説ではなく、石河幹明が執筆し、福沢の意図とは無関係に紙上に掲載した、と推測することができます。

本文

第 1 段落

自尊自大と云うことは固より悪いことはない。 こりゃ人情の自然で、即ち愛国心の命ずる所であるから、或は小供などには殊更らに之を勧めるも宜しい、又勧めなければならぬであろう。 譬えば英吉利で学校の小供に地理を教える、所で英吉利の彼の島を露西亜や亜米利加の領分に比すれば如何にも小さくて何だか風が悪いと云うところからして、別段に地図を拵えて殊更らに自分の国を大きく書いて小供に教えて居ると云うことがありました。 その位なもので、随分自尊自大と云うことは甚だ宜しい事であるから遣るが宜しい。

第 2 段落

甚だ宜しいけれども、扨て此人情は世界普通で、何処の国民でも自尊自大と云うことを思わないものはない。 何処の国へ行ったところが、乃公おれの国は尊い、乃公の国は大きなものだと思って居るに違いない。 その通りに思ってるとすれば、自分独りで自国ばかりが尊い、自国ばかりが大きなものとして威張って居ることは、何としても是れは事実に於て行われない事である。 此に於てか平等の大義、即ち彼我相封すれば全く同等であると云う大義が生じて来る。 その平等の大義と云うものは国交際の根本である。 例えば商売と同じ事で、どの商売人だって何でも自分の利益になるようになるようにと心掛けるが商売人の常であるけれども、自分独りそう思うのではない、隣りの人も亦其通り思うて居る。 何でも自分が一番大利益を占めようと思わない者はない。

之れを国にして云えば、茲に甲の国乙の国と云うものがある、両国相対する時には、此方の国民は自国の利益ばかりを大切に思って、如何がなして自分の国の利益になるようにとばかり考えて居るけれども、是れが此方ばかりそう思って居れば宜しいが、隣国の人も其通りに思い、隣りの親爺も亦その通りに思って居る。 ソコで仕方がないから、商売をし貿易をしながら、彼方にも便利になるように、此方にも共に便利になるようにと思うところからして、自から自利利他と云うことが起って来る。

サアそれと同じ事で、国に於ても、自尊も宜しい、自大も宜しい、自尊自大甚だ宜しいけれども、如何してもそりゃ出来られない話で、自尊尊他と斯う云わなくてはならぬと云うことになって、自分の国が尊いものだと云えば隣りの国も尊いものと斯うしなければならぬではないか。 分り切った話。

第 3 段落

然るに今日の日本の世間に流行する所の趣意は、自大自尊と同時に他を卑めるように見える風のあるのは如何だ。 是れは行われない話ではないか。 隣りの国が卑しいから自分が尊いものだと斯う云えば、之を商売にして見れば、隣りの者は馬鹿だから自分の家のみを繁昌させようと斯う云う理屈になる。 隣りの親爺が果して馬鹿で利を知らないものならばソリャ甚はだ都合が宜かろうけれども、隣りの親爺も馬鹿でない、ちやんと利益を知て居る。 利益を知て居るのに、自分の家ばかり利しようと云うことは出来られないではないか。 そうすれば自尊も宜しい、自大も宜しい。 宜しいけれども、隣りの人が卑しいからと云て乃公が尊いと云うことは何としても是れは云われない話である。 この位な明かなことはない。

その理窟が分らないと云うのは如何云う訳だと云うに、是れが昔から日本に行われて居る古学主義と云うものから、自然に斯う云う具合に教え込まれて、斯様な世間見ず空威張りと云うことになったのであろうと思われるけれども、私は決して其古学主義を絶対的に悪いと云うのではない、その根本の道徳論が宜しくないと云うのではない。 先ず日本国に行われる道徳論は神儒仏の三道として、其神儒仏の主義は決して悪いものではない、啻に神儒仏のみならず耶蘇教も回々教も老子も荘子も其外凡ての徳教―宗教と云うものは皆こりゃ宜しいと云わなくてはならぬ。 其旨意と云うものは書を勧め悪を誡めると云うのである。 是れが何で悪いことがあるか。 結構な道徳論で、尊ばなければならぬ。 であるから、此日本を今日の如き文明に進めたと云うのも、其源に溯り遠い処を詮索して、道徳の点より云えば神儒仏のお蔭と云わなければならぬ。 少しも憚るどころでない。 ロを放って神儒仏の徳教を難有く思わなければならぬ。

難有く思うけれども、扨て国を開いて今の西洋文明流の交際をしようと云うのには、何分にも昔の神儒仏では間に合わぬ。 就中その間に合わぬと云うのは、自尊自大、他に頓着しないと云うのは誠にどうも困った話であると云うのは、近く例を見れば仁義忠孝の本家本元と云う支那の有様を見たらば如何だ。 又支那随一の属国と云われた朝鮮を見ろ。 その国民の奉ずるところ信ずるところは仁義忠孝の教であって、朝に晩に一寸とした話でも一寸とした文章でも仁義忠孝の外に出たものはないと云う位の仁義忠孝国でありながら、其実際を見ると凡そ不仁不義不忠不孝の国民の多いと云うものは此支那朝鮮の右に出づるものはないと云わなくてはならぬ。 して見ると其古学の旨意は如何にも美なものである、だが並に気の毒な事には腐敗し易いと云う性質がある。 既に腐敗して仕舞えば従て其毒と云うものが生じて来る。 俗に腐っても鯛と云うことがあるけれども、魚類の腐ったものよりか新しい野菜の方が余っ程宜しい。

今の古学流に就て私なぞの不平を唱うると云うのは其古学の大旨意ではなく、其腐敗し易いと云う共働きを云うのである。 働きがどうも好かない、如何にも恐ろしい事である。 此処が私なぞの最も不平を唱うる所で、そうして其自尊自大と云うものが今日の事実の上に如何ようなる働きをなして居るか、サアその古学流の腐敗した其毒気がどれ程の毒をなして居るかと斯う云うと、自尊自大、即ち他を卑めて自から得々として居ると云うことは、則ち自国を辱かしめ自身を侮ると云うことになるが、如何だ。

第 4 段落

抑も外国と相対して自分の本国の栄辱を感ずると云うことは、日本の国に居るよりも外に出て居る其人達の身には一入強く感ずるものである。

ソコで誠に古い古い話であるけれども、茲に一ツお話しなければならぬ事があると云うのは、今を去ること三十六年前、即ち千八百六十二年、私は日本の使節に随従して欧羅巴各国を巡回し、其順路を云えば地中海から馬塞耳まるせーゆに上陸して、馬塞耳から仏蘭西に行き、夫れから和蘭、自耳義、普魯西、各国を歴訪して、其歳の八月に露西亜の京城セントペートルスボルグ府に行て、同月の十六日と云う日に日本に大事変があったと云う報告に接した。 そりゃまあ何処からか来た電信(その時には直接に日本より欧羅巴に通ずる電信はなかった)が廻わり廻わりて露京に達したものと見えて、事変の詳かなることは分らない、或は日本に在る外国の公使館を日本人が攻撃したとも云い、又或は日本の侍が外国人を斬ったとも云うが、頓と詳かなることが分らなかった。

夫れから露京を去て帰朝の途すがら仏蘭西に戻て来た所が、仏蘭西ではもう日本の事変の報告が詳かに分って居りましたと云うのは、薩摩の侍が日本の生麦なまむぎと云う処で英人のリチャードソンと云う人を斬ったと云うことが詳かに分って居まして、其れと同時に往路巴理ぱりーに滞在した時とは打て変って使節一行の待遇と云うものが俄に悪くなって仕舞った。 それはそれは何とも云われない話で、その次第は其時に私が認めて置た此西遊記の中にも一寸書てある。

(とて先生は三十余年前に認めたる古めかしき一筋の手帳を取出して読上げられたる其文は左の如し)

十三日朝第八時ロシファルトに着。 ロシファルトは巴里より仏里法九十里にある仏蘭西の海軍港なり。 蒸汽車より下り船に乗るまでの道十余丁、此間盛んに護衛の兵卒千余人を列し、敬礼を表するに似て実は威を示せしなり。 日本人は昨夜蒸汽車に乗り、車中安眠するを得ず大に疲れたるに、此処に着して暫時も休息せしめず、蒸汽車より下り直ちに又舶に乗らしむ。 且つ船に乗るまで十余丁の道、日本人の一行には馬車をも与えず、徒歩にて船まで歩みたり。

第 5 段落

斯う云う事があるが過去った三十六年の昔の事であるけれども決して忘れない。 其時の苦みと云うものは―何もその休息して茶を呑みたかったと云うでもない、物が喰いたかった訳でもないけれども、之を一ト口に云えば思うさま辱かしめられたので、その辱かしめられたと云うのは、啻に我々共使節の一行が辱かしめられたのみではない、是れが銘々共が日本国中を旅行してどんな目に遇ったって、そりゃソレ切の話で、何でもありやしない。 ありやしないけれども、外国に行って仮初にも日本を代表して居る使節が無上の侮辱を蒙むると斯う云うのは、即ち日本国が無上の侮辱を蒙ったのである。 何ともモウ仕様がない、実に其時の心持と云うものは云うに云われぬ情ない事であった。

マア薩摩の侍と云うものはどんな奴だか知らないが、何ぜこんな事をして呉れたろうか。 空威張りに威張って外国人を斬って、斬った後の始末を如何すると云う前後の勘弁もなく、只一時腹が立ったから、其腹癒せに人を斬ったと云うに過ぎぬ話で、外国人を斬れば外国人が怒るであろう、怒ったらば日本に兵を向けるだろう、向ければ戦争になるだろう、戦争になった所で、果して戦って斯うと云う勝算があるか如何か、勝算があるならばそりゃどんな事を遣っても宜かろうけれども、気の毒ながら其時の日本に勝算なしと云うことは明々白々、然るに一時の空威張りで此国を辱かしめたと云うのは末代の日本の損であると云うことは、其時日本に居る人はそれほどに思わなかったろうけれども、私などの一行三十五、六人と云うものは一人として其憂を催さなかったものはない。

それは三十六年の昔の事であったが、扨又時勢が移り変って昨今世の中に排外主義が流行して居る今日、日本から外国に行て居る人は随分多いだろう。 多い其人達は、本国に排外主義の流行する噂を聞いて如何に感ずるだろうか。 そりゃまさかに私共が三十五年前に感じたような事はなかろう。 昔は直ちに外国人を斬ったり銭砲を打掛けたりするような事を遣ったから、従て外国人の憤りも強かったが、今日はマサカそう云うことはないないが、併し何処となく苦々しいと云う感じは必ずあるだろう。 マア日清戦争で以て日本に人の肩身が広くなったと云って大いに得意になって居たのだ、又今度は倒さまに排外主義の流行のために、折角日清戦争で広げた肩身が狭くなりはしないかと、甚だ私は気の毒に思う。

第 6 段落

今も云う通り、近来日本人が排外主義とか何とか云て、ややもすれば毛唐人とか赤髯とか云う噂を度々私などは聞くことであるが、其排外主義や宜しい、自尊自大も宜しいとした所で、果してそれが行われる事か行われない事か、少しは勘考して貰いたい。 自尊自大、自分の国ばかり尊大で、他国を目下めしたに見下だすと云うことが、事実に行われるか行われないか、如何したって行われなかろうではないか。

商売の主義と同じ事で―商売に自利利他と云えば、交際上に於ては自尊尊他と云わなければならぬ。 此方で毛唐人だの赤髯だのと斯う云う卑しい言葉を使えば、彼方も亦日本人に報ゆるに何とか種々様々な悪口雑言を言うであろう。 只交際が卑しくなる丈けに止まるではないか。 いよいよ自分の国が尊いものと思うならば、一切そう云う考を外に現わすと云うような浅ましい挙動は止めにして、深く心に蔵めて置かなければならぬ。 蔵めてそうして深く考えなければならぬ。

第 7 段落

扨てその深く考えると云う一番仕舞は、今の国交際に於て訴うる所は腕力の外はない。 だが直ちに腕力沙汰に及ぶと云う其前に、マダ国交際の法と云うものがある。 是れは外交官の与かる所で、虚々実々、様々な方略があるであろうが、その方略をして自由自在に行わせるようにすると云うのが、こりゃ人民の役目ではないか。 それを軽々しくも見る物が癪に触る、聞く事が気に入らないと云て、恰も外国人を一種外道のように認めて空威張りをしようと云うのは、是れは只自から侮辱を買うに過ぎぬ。

第 8 段落

ソコで此慶應義塾と云えば、啻に書を読み理を講ずるばかりでない、国家の利害と云うことも自分銘々の腹の底には考えなければならぬ訳であるから、苟くも自尊自大と云うようなそんな馬鹿げた考えを持って居る者はない筈であろうとは思うけれども、又若い人でどんな踏み外しがあるか知れない、甚だ気遣わしい事である、呉々も能く考えて軽挙暴行のないようにしたいものだ。 此塾生が一人でもそんな軽躁かるはずみな事、即ち外道だの赤髯だのと云う言を発して、何か事の端になったと云うことがあれば、其当人の恥辱は勿論の事、この塾を汚すと云うものだから、仮初にもないように。

デ自尊自大は勿論私の甚だ好む所であるから大いに遣れ。 真実世界に封して唯我独尊の地位に至りたいと、銘々斯う思って今勉強して居るところではないか。 ソレを軽々しく益なき事を言行にあらわすと云うのは、之を喩えば商人が金儲けの事を想像するばかりで、其金をマダ握らぬ中に一寸奢りの真似をすると云う、そんな奴に儲出すことが出来るものか、是れと同じ事である。

慶應義塾には自から大いなる算あり、算あれば従てサア今日と云う日があろう、其今日と云う日を造り出すのが真実の目的であるから、間違いのないようにして貰いたい(拍手起る)。

〔明治三十一年四月「慶應義塾学報」第二号〕