「支那人親しむべし」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「支那人親しむべし」を文字に起こしたものです。

  • 18980322 に掲載された論説「支那人親しむ可し」(注1)
  • 本来は一段落のみですが、適宜改行しました。
  • テキストの表記については、諸論説についてをご覧下さい。

この「支那人親しむ可し」について、平山氏よりメールがありました。

本社説掲載の 10 日前に、福沢は同趣旨の演説をしています。そちらもお読みいただければ幸いです。

本文

日清戦争次第に歩を進めて連戦連勝、日本人最後の目的は北京を屠るの一事にして、意気軒昂、眼中既に四百余州なし。 敵国をしていよいよ城下の盟を成さしむるは機一髪の其瞬間に至り、漸く和議の端を開て、其条件は賠償金二億両、遼東半島、台湾、澎湖島の割譲なりと云う。 昔時日本人の考にては四百余州は既に我掌中のものなり、如何なる事を命ずるにも彼に於て異議はあるべからず、斯る条件にて媾和とは寛仁大度の処置にして定めて感泣することならんと思いの外、支那人は却て其条件を重しとして、土地の割譲は勿論、賠償の金額に就ても大に苦情を訴えながら、戦敗国の弱味に止むを得ずして承服したる次第なりしに、其条件に付き端なく外国の干渉を惹起し、其結果、日本は遼東半島を元の儘に還付して止むに至れり。

思うに支那人の身に取ては所謂地獄に仏の心地して竊に外国人を泣拝したることならん。 渇者は水を択ぶに遑あらず。 半島の割譲を免かれたるは全く外国人と名くる生仏のお蔭なりとて、只管これを徳としたるは、戦敗者の情として怪しむに足らざれども、抑も外国交際の真面目は自利の外に見るべからず、明白の事実にして、外交家の伎倆とは巧に口実を飾りて自利の目的を達するに過ぎざるのみ。 彼の外国の日本に対する忠告に、支那大陸の割譲を以て東洋の平和に妨げありと云う其理由は兎も角も、実際の結果は日本を抑えて支那を利せしめたるものに外ならず。

支那の為めには難有仕合なれども、今の外交上に毫も自から利する所なく単に他を抑揚し其喜怒を買うて自から喜ぶものあるべきや。 彼等の支那を利せしめたる其目的は、更らに大に支那より利せんとするに在りしや甚だ明白にして、必ずしも今日を俟たず。 常時既に我輩の明言して支那人の為めに惜しみたる所なり。 思うに支那人決して愚ならず、自から大体の利害を見るの明はありながら、常時の有様は危急存亡、後を顧みるに遑あらず、只眼前の急を免かるるが為めに、外国の干渉を渡りに舟と認めて、取り敢へず其救助に依りたることならん。 止むを得ざる次第なれども、時を経る僅に三、四年、昨今の成行は果して如何。 当年の仏は忽ち閣魔に変じ、其要求甚だ大にして、今日まで譲りたる所を見るに、其大小、遼東半島と同日の談に非ず。 其趣は恰も一萬円の金を借用して返済に差支え、他人に依頼して種々に談判の未、その周旋のお蔭にて漸く返金の急を免かれたれども、周旋人の為めに五萬円の礼金を取られたるが如し。 割に合わざる談にして、今日に至りては寧ろ遼東半島を日本に与えたるの得策たりしを認めしことならん。

近来支那人が外国人のいよいよ恐るべきを感じ、日本に親しむの心を生じたるは実際の事実にして、北京電報に支那の君臣は一般に日本に依頼するの念を懐くに至りしと云うが如き、此辺の情況を報じたる者に外ならず。 又我輩の別に接手したる報道に拠るも、彼の張之洞の如き、近来大に悟る所あり。 此程の便船にて部下の一人を日本に渡航せしめ、其報告に由り凡そ百五十名の留学生を我国に送り各種の事物を学習せしむる筈なりと云えり。 是種の所報に徴するも、以てますます支那人近来の傾向を見るに足るべし。

抑も日本人、決して無欲ならず。 支那に対して大に求むる所なきに非ざれども、其求むる所は土地に非ず、人民に非ず、只商売貿易の一事にして、其目的は自から利し兼て他を利せんとするに外ならず。 而して此目的を達するには成るべく彼の国人に近づき、相方の情意を通じて互に相親しむに在るのみ。 蓋し支那人も漸く日本人の心事を解し、漸く年来の猜忌心を去りたる者にして、彼より進んで親しまんとするこそ好機会なれば、充分に好意を以て彼れに接し、以て其目的を達すべきのみ。

日清戦争の事は今更ら云うべきに非ざれども、古来武士の言にも勝負は時の運に由ると云い、勝たりとて誇るべきに非ず、負けたりとて軽蔑すべからず。 況して今日に於ては純然たる和親国にして、一毫の介意もあるべからざるのみか、殊に最近の比隣国、平常の交際頻繁なる其上に、自から利害の関係も密接なることなれば、ますます相近づき相親しむべきのみ。 或は彼の国人の平生を見れば、運動遅緩にして活発の気風を欠くに似たれども、是れは其国の大にして自から動くに便ならざるが為めに外ならず。 一たび動くときは案外に驚くべきものあらんなれば、決して因循姑息を以て目すべからず。 況んやチャンチャン、豚尾漢など他を罵詈するが如きに於てをや。 仮令い下等社会の輩としても大に謹しまざるべからず。

日本人たるものは官民上下に拘わらず、自から支那人に親しむの利益を認め、真実その心掛を以て他に接すること肝要なりと知るべきものなり。

脚注

(1)
『福澤諭吉全集 第 16 巻』(岩波書店、1961 年)pp. 284--286.