『福澤諭吉』について

last updated: 2021-08-16

書誌情報

『福澤諭吉』書影

書名
福澤諭吉
著者
平山洋
初版発行日
2008-05-10
発行所
ミネルヴァ書房
ページ数
431
ISBN 10桁
4623051668
ISBN 13桁
978-4623051663
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福澤諭吉―文明の政治には六つの要訣あり (ミネルヴァ日本評伝選): 平山 洋: 本
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福澤諭吉 文明の政治には六つの要訣あり ミネルヴァ日本評伝選
その他
『福澤諭吉』「自著を語る」 平山 洋
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書評等

轟亭の小人閑居日記    馬場紘二

2008-10-01三田評論10月号82~83頁、篠塚英子『福澤諭吉』評

次に掲げるのは、慶應義塾大学出版会刊『三田評論』2008年10月号82~83頁(No1116)に掲載された、篠塚英子氏による『福澤諭吉』評全文である。掲載を許可してくださった篠塚氏と三田評論編集部に感謝の意を表したい。

平山洋著『福澤諭吉』書評

篠塚英子(日本司法支援センター理事、お茶の水女子大学名誉教授)

1.『福翁自伝』は女子大でも人気

本年三月末まで女子大に勤務していた。学部の教養科目である基礎ゼミには、岩波文庫版『福翁自伝』を幾度か用いた。

どの年度の学生も最初は読みなれない文体に戸惑う。だがそのうち次々展開する事件を語るリズミカルな口語体、のびのびとした明るさにすぐ惹きつけられた。

理学や英文学専攻の学生の中には、日本史や世界史を受験科目に選択しなかった学生もいる。だが明治維新を挟んで、「一身でニ生」の体験をした『福翁自伝』が面白くないはずがない。特に地方出身で占められる二十歳前の女子大生にとり、青年・福澤が、中津から飛び出し、長崎、大阪、江戸、さらに世界へと羽ばたくスピードに魅惑されたのであった。

2.異彩を放つ新しい福澤像

平山洋氏の『福澤諭吉』論の腰帯に「今までの研究は何だったのか」とある。なんとも強烈なキャッチコピーだ。文体は研究書というよりも小説といったほうがふさわしい。タッチは軽く、謎解きの楽しさも加わる。

だが学生たちと夢中で議論をしながら読んだあの無類に面白い『福翁自伝』が、真実を語っていない、と言われればどうしても本書を糸番(ひもと)かねばならない。平山氏が真実を語っていないと挙げる理由を「あとがき」から拾うと、次の通り。

(1)『福翁自伝』には意図的な虚偽は少ないものの、交流が確認できる福澤楽(祖母)、野本真城(儒者)、渡辺重石丸(中津尊皇派)、水島六兵衛(同)などに触れていない。

(2)万延元年(一八六〇)五月から文久元年(一八六一)十二月までと、元治元年(一八六四)十月から慶應三年(一八六七)一月までについて言及がない。この間、福澤の行動は謎で、平山氏の推測では「中津の渡辺・水島を含む尊王攘夷派に対抗する活動に従事していたらしい。」

(3)自伝には明治六年の征韓論以後に権力を掌握した大久保利通および後継の伊藤博文との緊張関係が語られていない。そのため明治十四年政変までの言論活動の意義が矮小化されている。

(4)重要な事柄が省略されていたり、また軽く扱われていたりするために、『自伝』全体が幕末維新明朗時代劇の様相を呈している。

他方、福澤研究者としての平山氏を一躍有名にしたのが『福沢諭吉の真実』(文春新書、二〇〇四年)であり、その主張は本書でも中核をなす。すなわちアジア蔑視の「侵略的絶対主義者福澤像」は福澤本人が書いたかのように誰かが仕組んだ結果であり、その人物こそ「時事新報」主筆の石河幹明であるという平山説である。

こうした総括の上に、平山氏が『福澤諭吉』で提示しか新しい福澤像とは何か。それは「文明政治の六条件を日本に広めようとした伝道者」というものである。

六条件とは『西洋事情』にある四文字熟語の、自由放任、信教保護、技術文学、人材教育、保任安穏(安全保障)、貧民救済の六項目である。こうして脱亜人欧論者を一刀両断する熱気溢れる新しい福澤象が誕生した。

以上の新しい福澤像構築の背後には綿密なデータ解析がある。だがそれに触れる前に私が気になっている「自伝は真実を語っていない」という点を再考する。

3.小泉信三による解題

『福翁自伝』は明治三十二年(一八九九)に初めて単行本で出版されたが、約四十年後の昭和十二年(一九三七)には岩波文庫になった。当初から同文庫に序を書いていた小泉信三は、その十七年後に文庫新版の時に、解題を著している。

解題の冒頭で小泉は、福澤が自伝で語っている内容が真実か自問自答し、「極めて真実だ」と判断したという。しかしすべての真実を語っているか、となるとそれは請け合えない、として「誰の生涯にも、愉快な記憶ばかりではない。福澤の場合とても恐らく同様であろう。従って福澤は、この『自伝』で、すべて真実を、包まず語り尽くしているとは誰も保証できぬ。ただ普通の標準をもって見れば、福澤はそこに自分について―自分の弱点と見られるものについても―随分打ちまけて語っている」。私はこの小泉解題によって、平山氏の『自伝』新解釈が納得いったのである。

本書の独創性は、アジア蔑視の福澤像に代わり、「文明政治の伝道者」という新しい福澤像を構築した点である。ではこれは成功したのであろうか。

4.対立する福澤像

先に引用した平山氏の『福沢諭吉の真実』の執筆のきっかけは、朝日新聞に掲載された安川寿之輔の論説「福沢諭吉―アジア蔑視を広めた思想家」(「私の視点、ウイークエンド」二〇〇一、四、一二)であった〔同書、あとがき〕。この安川氏の福澤論に対し、平山氏は同紙で直ちに反論した(「福渾諭告―アジアを蔑視していたか」同欄、二〇〇一、五、一二)。平山・安川論争はかくして始まった。

本書の最大の特色は『福沢諭吉の真実』で展開したエッセンスを、新たにデータを武器に肉付けした点ではないか。

すなわち福澤=アジア侵略主義者、にした犯人は「時事新報」主筆であった石河幹明であるとの推理に基づき、福澤直筆草稿残存社説をすべて年表作成する。さらに『福澤諭吉全集』(岩波書店)「時事論集」所収論説・演説一覧、一網打尽に原稿起草者のリストアップを試みたうえで、アジア侵略論を展開した時期の執筆者を追及したのである。巻末のニ○ページに及ぶ作表は卓越の業である。

その結果、平山氏はこれらの資料を読む限り「私の提示した福澤像は文明政治の伝道者以外の姿は浮かびあがってこないのではないか」(あとがき)と自負する。

福澤研究者でもない私のような一般読者には、本書は平山・安川論争における平山氏の勝利宣言に読めたが、それを判断するのは読者にほかならない。多くの読者が福澤全集に精通しているわけではないから、巻末データで該当の論文に無作為に当たり、自分の嗅覚で福澤像に迫れるのは喜びである。本書の価値はここにある。(了)

2008-07-01諸君!7月号348~349頁、東谷暁『福澤諭吉』評

次に掲げるのは、『諸君!』2008年7月号に掲載された、東谷暁氏による『福澤諭吉』評全文である。掲載を許可してくださった東谷氏に感謝の意を表したい。

推理と実証の高度な結実

評・東谷暁

四百三十ページを超えるボリューム、そして厳密な実証による記述。初めて手に取ったとき臆さなかったといえば嘘になる。しかし読み始めると、これが実に面白いのである。当初は二章ずつ読むつもりだったが、五章あたりで予定を変更して一気に読み上げてしまった。この本はアカデミックな体裁をとっていながら、いくつもの魅力を持っている。

まず、第一の魅力は、まさにその厳密な実証性を貫いてディテールに徹底的にこだわっているところにある。福澤諭吉に興味をもった者は『福翁自伝』を手がかりにして、その一生をたどろうとするだろう。しかし、そこに勘違いや忘却、意図的な変更、さらには隠蔽すらあることに気がつかない。著者の平山氏は『福翁自伝』の記述ひとつひとつを史料と論文で検証しながら、つぎつぎと思いもよらなかった事実を浮かび上がらせる。

たとえば、自伝にはワンダーベルトという物理学の原書を、適塾の仲間と書写するくだりがでてくるが、長い間、このワンダーベルトとは何か分からなかった。平山氏は、近年の研究論文を用いて、このワンダーベルトとは本の名前ではなく、物理学の本を書いた人の名前であることを紹介するだけでなく、自らオランダ語の原本を見つけ出して内容を読み自伝の内容にどのように反映しているかまで検証してみせるのである。

この本の第二の魅力は、こうしたディテールが、最新かつ最先端の研究を踏まえて書かれていることだ。一例を挙げれば、明治十四年の政変は、憲法案をめぐり深刻な対立を生み出し、親しかった伊藤博文・井上馨との関係を断ち切ってしまっただけでなく、慶應義塾出身者が政治中枢から根こそぎ追われてしまった謎の事件として知られている。これまでも、伊藤側近だった井上毅の策謀に焦点をあてた大久保利謙の『明治十四年の政変』(『明治国家の形成』吉川弘文館)、大隈重信の側近である小野梓が主導したとする姜範錫の『明治14年の政変』(朝日選書)などが読まれてきた。平山氏は渡辺俊一の『井上毅と福澤諭吉』(日本図書センター)を踏まえて、諭吉が『時事小言』で主張した議院内閣制度が、まさに伊藤派と大隈派との争点となっていたが故に、慶應義塾まで巻き込まれる大騒動になった経緯を浮かび上がらせていく。面白いのは諭吉の認識だろう。

諭吉はといえば、たしかに大隈と共同歩調をとってはいたものの、議院内閣制度がそうまで危険視されているとは思ってもみなかったのであった。一〇月一四日に井上と伊藤に宛てて長文の手紙を書いているが、そこでは、国会開設に賛成していたのになぜ態度を変えたのか、と両人を強く批判はしているものの、政変の原因を議院内閣制度と結びつけて理解してはいない

さらに、第三の魅力は、これは平山氏の厳密さや実証性と矛盾しているように思うかもしれないが、ディテールを組み立てていく際の大胆な推理なのである。

たとえば、福澤全集に異質なものが混じっているのはなぜかという問題に答えた部分は、本書でもひとつの読みどころとなっている。これはすでに前著『福沢諭吉の真実』(文春新書)において十分に展開されたが、平山氏の詳細な検証によると、時事新報を牛耳った弟子の石河幹明が、自分が書いたものまで福澤の著作として入れてしまったのである。

では、こんなことをした石河のモチーフは何だったのだろうか。軍国主義的になった風潮に合わせるためというのがひとつの答えだが、もうひとつ、平山氏は福澤諭吉の批判者として登場しアジア積極策をとなえた、徳富蘇峰への対抗意識ではなかったかと推理するのである。

石河は、時事新報社の南百メートルの場所に社屋を構えていた同世代の蘇峰について、密かに自らのライバルと見なしていたようだ。だが、あくまで諭吉の影にすぎない石河は、蘇峰と敵対するにも、諭吉の名前を借リてでなければ、相手にもされないような存在なのであった。そのことをよく知っていた石河は、『国民新聞』圧倒のため、自らの持論でもある蘇峰に輪をかけたようなアジア積極策を、日清戦争以後の『時事新報』紙上で提唱しようとしたのではなかろうか

蛇足だが、私は諭吉が晩年にいたるまで居合い抜きのトレーニングをやめなかった話とか、西郷隆盛を擁護した『明治十年丁丑公論』や、勝海舟および榎本武揚を批判した『痩我慢の説』の武士道ぶりが好きなのだが、本書では、諭吉が終生の課題とした文明政治の六条件つまり自主任意・信教保護・技術文学・人材教育・保任安穏・貧民救済とは関係の薄い著作として、内容についてあまり論じていないのが残念だ。

また、『文明諭之概略』の第十章において、それまで展開していた文明が目的とされていた議論が、今の日本国人を文明に進るは、この国の独立を保たんがためのみ。故に、国の独立は目的なり、国民の文明はこの目的に達するの術なりに一転することについて、内面にもともとあった愛国心がここにきてあふれ出ていると指摘しつつも、その愛国心をアヘン戦争で清国が敗退したことを受けて国内ににわかに高まった海防論に、その起源を見いだしたいとしているのは、他の部分の検証や推理が充実しているだけに、少しだけ食い足りない気がする。もちろん、これは「ないものねだり」というべきものだろう。

いずれにせよ、本書は、これから福澤諭吉を諭じようとする者にとって、無視できない基本文献となるだけでなく、幕末・維新の歴史ファンにとっても、興味の尽きない必読書となっていくだろう。こう書きながら、すでに私は、二度目にとりかかっており、また新しい知見を得つつ、楽しんでいる。(了)

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『福澤諭吉』の見出しと小見出し

序章 大阪堂島中津藩蔵屋敷

  1. 痩せて骨太の大きな子――天保五年(一八三四)
    • 天保五年一二月一二日
    • 役人としての福澤百助
    • 中津藩の財政改革
  2. 門閥制度は親の敵――天保六年(一八三五)
    • 漢学者としての福澤百助
    • 父百助の死

第一章 幼少の時

  1. 兄弟五人中津の風に合わず――天保七年(一八三六)
    • その母叱りかつ泣く
    • 中津留守居町
    • 福澤家と橋本家
    • 三之助の受けた初等教育
  2. 中津藩の保守党と改革党――天保一一年(一八四〇)
    • 百助の友人野本真城
    • 藩政改革者真城
    • 中津藩天保子年の改革
    • 藩内の保守党と改革党
    • 幕府天保の改革と中津藩家中半知令
  3. 始め服部五郎兵衛につき、次いで野本真城に学ぶ――弘化三年(一八四六)
    • 大阪屋五郎兵衛
    • 諭吉の受けた初等教育
    • 諭吉もまた真城のもとで学んでいる
  4. 白石照山の門下生となる――嘉永二年(一八四九)
    • 昌平校出ながら朱子学を教えず
    • 照山の広瀬淡窓・頼山陽批判

第二章 長崎遊学

  1. 御固番事件と白石照山の藩追放――嘉永五年(一八五二)
    • 卑事多能
    • ペリー来航は諭吉の心を傷つけたか
    • 天保子年の改革、しこりを残す
    • 白石照山の追放
  2. 兄と朋友、海防を論じ合う――嘉永六年(一八五三)
    • 蘭学を志すまで
    • 野本真城門下生にとっての英雄たち
    • 徳川斉昭
    • 松平春獄
    • 江川英龍
    • 野本真城の「海防論」
  3. その時の砲術家の有様を申せば――嘉永七年(一八五四)
    • 野本真城の弟子奥平壱岐
    • 砲術家山本物次郎
  4. 長崎に居ること難し――安政二年(一八五五)
    • 従兄弟藤本元岱からの手紙
    • なぜ中津に召還されそうになったのか
    • 長崎を出奔する

第三章 大阪修業

  1. 緒方の塾に入門――安政二年(一八五五)夏
    • 再会
    • 適塾の教育方法
  2. 師野本真城と兄三之助、相次いで亡くなる――安政三年(一八五六)
    • 諭吉の病気と洪庵の診察
    • 野本真城と兄三之助の死
    • 福澤家の家督を相続
    • 『ペル築城書』を書写する
  3. 緒方の食客となる――安政四年(一八五七)
    • 緒方の塾風
    • 原書を写したのはいつか
    • ワンダーベルトとは何か
    • 諭吉たちは電信機を作ろうとしていた
    • 最新兵器としての電信機
    • 諭吉の露悪趣味
    • 諭吉塾長となる
  4. 条約勅許と将軍継嗣の二大問題――安政五年(一八五八)春
    • 条約交渉協奏曲
    • 桃山から帰って火事場に働く
    • 井伊大老の登場

第四章 大阪を去って江戸に行く

  1. 大獄のさなか、江戸に向かう――安政五年(一八五八)秋
    • 内憂と外患
    • 中津藩江戸屋敷からの招請
    • 大阪から江戸へ
    • 安政の大獄始まる
  2. 慶應義塾以前――安政五年(一八五八)冬
    • 中津藩鉄砲州中屋敷
    • 江戸佐久間象山門下
    • 勝海舟・吉田松陰・橋本左内は同門
    • 『ペル築城書』の翻訳
    • 砲術家大鳥圭介
    • 橋本左内の逮捕
  3. 英学者発心――安政六年(一八五九)
    • 福地源一郎の証言
    • アメリカに行きたい
    • 将軍の侍医桂川甫周
  4. 幕府海軍は一橋派の巣窟――安政六年(一八五九)秋
    • 軍艦操練所教授勝海舟
    • 一橋派活動家の処刑
    • 呉越同舟の船、咸臨丸

第五章 始めてアメリカに渡る

  1. 咸臨丸、太平洋を横断す――安政七年(一八六〇)春
    • 一路サンフランシスコへ
    • ジョン・マーサー・ブルック大尉
    • サンフランシスコに到着
    • 一八六〇年三月一八日日曜日
  2. メーア・アイランド海軍工廠の日々――万延元年(一八六〇)春
    • サンフランシスコ市主催の歓迎会
    • 義勇兵
    • メーア・アイランド海軍工廠
    • ブルック大尉の送別
    • マクドーガル大佐
  3. カリフォルニアの青い空――万延元年(一八六〇)夏
    • オランダ人医師ヘルファー
    • 事物の説明に隔靴の嘆あり
    • 少女との捨身
    • 始めて日本に英辞書入る
    • 不在中桜田の事変
    • 井伊暗殺の容疑者勝海舟
  4. アメリカで学んだことは――万延元年(一八六〇)秋
    • アメリカの印象
    • 石河明善の水戸藩への上申
    • 幕府に雇わる

第六章 ヨーロッパ各国に行く

  1. 幕府外国方に雇われ、妻を娶る――文久元年(一八六一)
    • 自伝一年半の空白
    • 幕府外国方
    • 用人土岐太郎八次女錦
    • 新銭座借家での結婚式
  2. 大英帝国の勢力を見せつけられる――文久二年(一八六二)春
    • なぜ遣欧使節は派遣されたのか
    • 偶然長崎に立ち寄る
    • 大英帝国の支配下
    • 一八六二年春の国際情勢
    • ナポレオン三世統治下のフランス
  3. ヨーロッパもまた呉越同舟――文久二年(一八六二)夏
    • ビクトリア朝中期のイギリス
    • オランダ人医師シンモン・ベリヘンテ
    • ロンドン万国博覧会と大英図書館
    • ウィレム三世統治下のオランダ
    • ウィルヘルム一世統治下のプロイセン
  4. 攘夷事件報道到来して使節苦しむ――文久二年(一八六二)秋
    • アレクサンドル二世のロシア
    • 使節下級随員からの情報漏洩を恐れる
    • ベルリン・パリ・リスボン
    • 帰国途上
    • 帰国・生麦事件の余波の中で

第七章 攘夷論

  1. 将軍上洛中、英艦隊江戸に来たる――文久三年(一八六三)春
    • 英国公使館(注2)焼き討ち
    • 緒方洪庵の出府
    • 文久亥年の建白
    • 奥平壱岐の排斥
    • 生麦事件の賠償金支払い
  2. 長州は攘夷を実行し、薩英も会戦す――文久三年(一八六三)夏
    • 下関砲台の攘夷実行と薩英戦争
    • 緒方洪庵の急死
    • 大村益次郎豹変の原因
    • 薩摩藩、難局に立たされる
    • 幕府、薩摩を支援す
  3. 参与会議はすぐに解散――元治元年(一八六四)春
    • 六年ぶりの帰省
    • 七里恒順との対論と六人の弟子たち
    • 江戸への途中、長州に立ち寄る
  4. 第一次長州征伐発動――元治元年(一八六四)秋
    • 佐久間象山の暗殺と蛤御門の変
    • 諭吉、長州征伐に協力せず
    • 脇屋卯三郎の切腹

第八章 再度米国行

  1. 諸藩の実学派と交流する――慶應元年(一八六五)
    • 中津藩の長州征伐
    • 第一次征伐後の長州藩
    • 自伝内の空白時期
    • 『ジャパン・ヘラルド』紙の翻訳
  2. いかにすれば文明政治は実現できるか――慶應二年(一八六六)
    • 薩長同盟で密約されたこと
    • 『西洋事情』と文明政治の六条件
    • 『学問のすすめ』の由来と幕府軍の敗退
    • 「長州征伐に関する建白書」
    • 大君のモナルキ
  3. 幕府最後の年、再びアメリカに行く――慶應三年(一八六七)
    • 徳川慶喜の将軍就任と明治天皇の践祚
    • 再度のアメリカ行
    • ニューヨークでのトラブル
    • ブルック大尉との再会、ジョンソン大統領との面会
    • 小野友五郎との反目
    • 大政奉還
    • 福澤の実兄薩州にあり
  4. 戊辰戦争と慶應義塾の新銭座への移転――慶應四年(一八六八)春
    • 鉄砲州から新銭座への塾の移転
    • 鳥羽・伏見の戦い
    • 五箇条の誓文と『西洋事情』
    • 上野戦争

第九章 王政維新

  1. 奥羽戦争から函館戦争へ――明治元年(一八六八)秋
    • 奥羽越列藩同盟
    • 『西洋事情』外編
  2. 榎本武揚の助命に奔走する――明治二年(一八六九)
    • 出版業に乗り出す
    • 慶應義塾の拡充
    • 函館戦争
    • 榎本武揚の助命運動
    • 母順を東京に呼ぶために画策する
  3. 母順を東京に迎える――明治三年(一八七〇)
    • 日本全国にパブリック・スクールを作る
    • 発疹チフス罹患、義塾三田移転の伏線となる
    • 大童信太夫らの赦免運動
    • 母を迎える途中、大阪に立ち寄る
    • 六年ぶりの中津
  4. 慶應義塾、芝三田に移る――明治四年(一八七一)
    • 姑順・嫁錦同居せず
    • 『啓蒙手習之文』
    • 廃藩置県と文部省の設置

第十章 文明開化

  1. フランクリンと『学問のすすめ』――明治五年(一八七二)
    • 『学問のすすめ』
    • 日本のベンジャミン・フランクリン
    • 上方西国の学校を見回る
  2. 明六社に参加し、学者の職分について論ず――明治六年(一八七三)
    • 『改歴弁』と『帳合之法』
    • 『会議弁』
    • 『文字之教』と月刊『学問のすすめ』
    • 明六社の設立と学者職分論争
    • 森有礼の反論は官立と私立の対立を予想させる
  3. 楠公権助論で批判を受ける――明治七年(一八七四)
    • 「明治七年一月一日の詞」
    • 「文明論プラン」とA・C・ショー
    • 赤穂不義士論、楠公権助論
    • 『学問のすすめ』六・七編批判と反論
    • 諭吉暗殺未遂事件と大槻磐渓による弁護
    • 佐倉宗五郎から長沼事件へ
  4. 『文明論之概略』、中産階級の自覚を促す――明治八年(一八七五)
    • 『文明論之概略』と不平士族の反乱
    • 最終章「自国の独立を論ず」の違和感
    • 諭吉の愛国心はどこに由来するか
    • 諭吉、大久保利通と面会す
    • 「亜細亜との和解は我栄辱に関するなきの説」

第十一章 一身一家経済の由来

  1. 大久保利通に対し、言論の自由を主張――明治九年(一八七六)
    • 大久保内務卿に向けられた『学者安心論』
    • 中央集権化が進むなか、地方分権を提唱した『分権論』
    • 『分権論』は板垣退助らに宛てられている
  2. 増田宋太郎ら、西南戦争に呼応――明治一〇年(一八七七)
    • 西南戦争の勃発
    • 福地源一郎と犬養毅、紙面で激突す
    • 『旧藩情』執筆は中津隊蜂起が契機
    • 「西郷隆盛の処分に対する建白書」
    • 大久保利通に宛てられた『丁丑公論』
    • 諭吉、西南戦争を米南北戦争になぞらえる
    • 初級教科書『民間経済録』
  3. 民権と国権は両立する――明治一一年(一八七八)
    • 大久保利通内務卿の暗殺
    • 『通俗民権論』と『通俗国権論』
    • 「私塾維持の為資本拝借の願」
    • 『民情一新』と『国会論』
  4. 大隈重信とともに議院内閣制度を模索する――明治一三年(一八八〇)
    • 交詢社憲法草案
    • 『民間経済録』二編と『時事小言』
    • 明治一四年の政変

第十二章 老余の半生

  1. 新聞を使って国力を盛大にしたい――明治一五年(一八八二)
    • 『時事新報』の創刊
    • 『時事大勢論』
    • 『帝室論』と「藩閥寡人政府論」
    • 清国との戦争に反対した『兵論』
    • 牛場卓造・井上角五郎の朝鮮行と留学生の本格的受け入れ
    • 『全国徴兵論』
    • 「外交論」と『通俗外交論』
  2. 朝鮮の国をその人民の手に――明治一八年(一八八五)
    • 甲申政変
    • 「朝鮮独立党の処刑」と「脱亜論」
    • 女性論が書かれるまで
    • 『日本婦人論』後編と『男女交際論』
    • 条約改正の中断と井上馨の罷免
  3. 大学部を開設し、新聞の権限を委譲する――明治二五年(一八九二)
    • 慶應義塾大学部の設置
    • 華族子弟の帝大入学について
    • 石河幹明と井伊大老暗殺犯関鉄之介は姻戚関係にあった
    • 『国会の前途・治安小言ほか』
    • 『実業論』
  4. 師は師、弟子は弟子――明治三〇年(一八九七)
    • 金玉均の亡命、そして暗殺
    • 日清戦争との関わりについて
    • 北里柴三郎を助ける
    • 日清戦争中に『福翁百話』を準備
    • 疑わしい長編社説「外戦始末論」
    • 石河は蘇峰を、蘇峰は諭吉をライバル視す
    • 時事新報社の内紛、総編集伊藤の退社
    • ハーバード大学との提携計画の頓挫

終章 東京芝三田慶應義塾

  1. 自伝と女性論で掉尾を飾る――明治三一五年(一八九八)
    • 『福翁自伝』とその後の奥平壱岐
    • 脳卒中の発作を発症す
  2. 新世紀まさに開かんとす――明治三四年(一九〇一)
    • 脳卒中の発作からの生還
    • 次の世代・次の世紀へ

付録

脚注

(1)
リンク先中ほどに『福澤諭吉』の書評が含まれています。
(2)
書籍の目次では「大使館」と記載されていますが、本文の小見出しの方の記述である「公使館」が正しいものです。