2019年07月10日 安川氏あてメール

last updated: 2019-07-11

このテキストについて

平山氏より安川氏に次のようなメールを送信したとの連絡がありまし た。平山氏の依頼により掲載します

本文

安川 寿之輔  様

お世話になっています。

『さようなら!福沢諭吉』第7号(2019年06月刊行)をお送りいただき、大変感謝します。じつは安川さんの健康状態を心配しておりました。それから機関誌の作成について今のところ赤字とはなっていないとのことも幸いに存じます。カンパが必要ならいつでもお申し出ください。

さて、「石河幹明は福沢諭吉を「騙った」か―石河明子氏に答える―」という論考を書きました(https://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/replying-to-the-message-from-ms-ishikawa-akiko/)。ご照覧いただければ幸いです。その内容は、石河幹明の令孫である明子氏が書いた幹明伝の書評と、そこにある拙著批判の応答です。その中心となる部分を引用するなら、

本論考では委細を尽くして悪人説や不審点に応えたつもりであるが、作者としてはなおも納得がいかぬところもあろう。そこで、私の言う「石河が福沢を騙っ」たことを否定するためには、最低でも次の三点について説得的な説明が必要と思われる。

その第一は、幹明が福沢直筆社説残存一〇八編中五九編を『続全集』の「時事論集」に収録しなかったことについてである。この事実を私は幹明に判別能力がなかったためではなく故意に取捨したと推測するが、そうであるなら幹明は自覚的に福沢像を歪めたことになる。

また第二は、安川寿之輔がアジア蔑視として批判する用例が、大正版『全集』四例に対して昭和版『続全集』六二例と著しい差があることについてである。これは福沢直筆の論説を中心とする大正版と、幹明が書いた社説を多く収録している昭和版とではアジア諸国への視線に差があることを表している。

最後の第三は、本論考では扱わなかったことではあるが、幹明が福沢直筆の社説を故意に『続全集』から排除した事実についてである。すなわち、『時事新報』社説欄に連載後福沢名で単行本化された著作は全部で一八タイトル一五冊刊行され、そのうち連載に先立って発表された原型社説が一二タイトル発見できた。しかし石河によって『続全集』に収録されたのはそのうち「徳育余論」一タイトルにすぎず、原型社説の大部分は全集未収録とされているのである(『「福沢諭吉」とは誰か』第六章「福沢署名著作の原型について」参照)。石河が『続全集』編纂の過程で原紙に掲載された原型社説を見落とすなどとは考えられず、彼はそれらを福沢作と知っていながら全集に収録しなかったのである。

以上の三点から、幹明は福沢直筆の社説を重要視していなかったことの証明はなされた、と私は考える。なおも、幹明は福沢を尊敬してやまなかった、という解釈が可能であるならば、ぜひとも反論してほしい。

ということで、明子氏が幹明伝のなかで井田メソッドについて批判していたので、井田メソッドを使わなくても石河幹明が福沢諭吉を「騙った」ことの証明は可能だということを示しています。

第7号を拝読したところ、杉田聡氏が2010年に書かれた井田メソッド批判をネット公開したとありました。すでに拙著『アジア独立論者』(2012)で無意味化した批判だとは思うのですが、その判断には賛成します。

ぜひとも『さようなら!福沢諭吉』の全号全文のネット公開を期待するものです。

というのは、前便にも書きましたが、このままだとせっかくの活動も、959名の会員とさらに活動を薦められるであろう451名以上の方に知られることはなくなってしまうのです。これは私のホームページを訪問している方々の数10分の1にも及びません。

繰り返して書くのも何ですが、現在ネット上での福沢に関する言及のほとんどは、私の研究に基づいています。また、全国の大学で福沢を課題とするレポートが出された場合、私の研究からのコピペが横行しているのが実情なのです。安川さんの機関誌形式による活動を否定するものではありませんが、その方法に限界があるのははっきりしています。

それでは今後の活動について、一層の盛り上がりを期待しています。

では。

平山 洋