『帝国憲法論』 その3

last updated: 2013-01-23

第二編 各論

第一章 大日本帝国

大日本帝国なる文字は、帝国憲法第一条冒頭に現れたり。 而して憲法の因て生ずる所以及憲法の効力の及ぶ所、一に大日本帝国に在り。 是れ発端に於て特に此一章を設けたる所以なり。 大日本帝国の範囲に付ては特に説明を要せずと雖も、何故に大日本国と云わずして大日本帝国と称するや至ては、一言の説明なかるべからず。 抑も世界の国其国体を同うせず、或は共和政体あり、或は貴族政体あり、又君主政体あり。 而して大日本帝国は共和政体にあらず、貴族政体にあらず君主政体なることは、憲法第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあるに依て炳なり。 而して君主政体に二種あり。 其一を帝国と云い、其二を王国と云う。 大日本は王国にあらずして帝国なり。 王国と帝国とに付ては現今実際に於て甚しき差異を見ずと雖も、之を歴史に徴し、国家学上其沿革を考うるときは、帝国は王国に優ること一等なりと謂うを得べし。 抑も国家学上に於て帝国と云えば、世界の統一の国家を指すものにして、王国と云えば、其一部を限りて国する所の邦土を指すものなり。 国家学上に於て帝と云えば世界の君主なり、王と云えば其一部の君主なり。 西洋に於て帝国と称したるは、太古蒙昧の時代は措て問わず、先ず羅馬を以て其始めとす。 而して其当時の羅馬なるものは、其領土亜細亜亜非利加(注1)欧羅巴の三大陸に跨り、当時の開明世界は尽く其領土なりしなり。 其後帝国と称し又帝と称するは皆暗に此観念を有するものなり。 翻て之を東洋の歴史に徴するに、西洋に於けるが如く、帝者は王の王たるものと云うを得べし。 秦の始皇は六国を亡ぼして帝と称し、自ら朕と呼べり。 其当時の思想は、蓋し支那即ち其当時の世界を一統して、之が君主となれりと云うにあるべし。

以上述ぶる所の如くなるを以て、仮令現今の国際公法上に於ては帝と王との差別なしと雖も、之を歴史に徴し、国家学上の由来に考うるときは、帝国と称するは王国と称するより名誉なるを知るに足るべし。

脚注

(1)
アフリカのこと。福沢諭吉も亜非利加という表記を採用していた。世界国尽(1)/財団法人大阪国際児童文学館 子どもの本100選 1868年-1945年参照。