『帝国憲法論』 その4

last updated: 2013-01-23

第二編 各論

第二章 天皇

第一節 万世一系の天皇の意義

大日本帝国を統治し玉う者は、万世一系の天皇なり(第一条)。 万世一系の天皇とは如何。 按ずるに世界に於ける君主国の皇室は、何れも旧家多くして新しきは殆んど稀なり。 例えば英国の如きは、ビクトリヤ女皇の脈にサルディックの血流るると歴史家の言いし如く、昔し日耳曼より襲来しウェスセックスに上陸せる、彼の酋長サルディックの血流の断絶せしことなしと云うを得ず。 且歴史上種々の変遷ありて同一の王族中に於ても、或は甲の家又は乙の家代る代る王位に即きたることあり。 去れば何れの国に於ても、憲法第一条に於ては、先ず王室の家柄を特書し、他と区別するの必要あり。 例えば英国に於てはハノバル王統、墺太利に於てはハプスバルグ王統、普魯西に於てはホーヘングルレルン王統の如き是なり。 然るに我国は国初以来一系の皇統を奉戴し、他之に競う者なく、従て特に皇室の家柄を特書すべきの必要なし。 即ち憲法第一条に万世一系の天皇と書して他を云わざるは、世界無比にして大日本帝国の大名誉と云わざるを得ず。

天皇なる文字は多少の説明を要す。 天皇なる言葉は古来より用い来りたるものにして、我が国法上の語となれり。 凡そ名詞に固有名詞と普通名詞との差別ありとすれば、天皇なる文字は固有名詞にして普通名詞にあらず。 所謂天皇とは帝の義にあらずして、日本皇帝の義なることを忘るべからず。 想うに世界の君主国に於て其の元首に特別の称号あることは、日本帝国に限らざるなり。 例えば日耳曼に於ては其皇帝をカイザルと云い、魯西亜に於ては其皇帝をザルと云うが如し。 カイザルのザルも同じくシーザルより出でたりと雖も、カイザルと云えば独逸皇帝に限りザルと云えば魯西亜皇帝に限り、而して天皇と云えば日本皇帝に限るものなり。

第二節 皇位継承

憲法第一条に於ては、大日本帝国を統治し給うは如何なる順序に依て其皇位を継承し給うかを定めたり。 第二条は「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス」とのみ規定して、其詳細は一に皇室典範に譲て載せず。 伊藤博文氏著『憲法義解』に曰く「恭く按ずるに皇位の継承は祖宗以来已に明訓あり以て皇子孫に伝え万世代ゆることなし若し夫れ継承の順序に至りては新に勅定する所の皇室典範に於て之を詳明にし以て皇室の家法とし更に憲法の条章に之を掲ぐるを用いざるは将来臣民の干渉を容さざるることを示すなり」と。 抑も皇室典範を以て皇位の継承を定むるは、何国に於ても然るにあらず。 寧ろ憲法を以て之を定むるを通例とす。 国法学者の一人、曾て此事を諭じて曰わく、世襲法は国法に於て之を予定するを緊要とす、何となれば此事たるや特に国家の安危に関すること甚だ大なればなり、故に世襲法は必ず憲法を以て定むべし、決して君主の意思のみを以て之を変更すべからず云々と。 蓋し皇位継承の事君主の私意を以て軽々に之を定むべきにあらず、君主の遺言又は婚姻或は王室の一家法に依て継承を変更するが如きは、万々あるべからずとは、国法学者の概ね称する所なり。 然れども我皇室は他の皇室と異なり、我国体亦他の国体と同じからず。 故に特に皇室典範を以て、継承の順序を定めるを以て至当とす。

且我皇室典範なるものは、枢密顧問の諮詢を経て裁定せられたるものにして、之が改正增補の場合には、皇族会議及枢密顧問に諮詢せらるるを以て、其定むる所は憲法を以て定めたると大差なかるべし。

第三節 天皇無責任

天皇は如何なる事を為さるるも、法律上及政治上に於て毫も其責任を負わせらるべきものにあらず。 所謂君主無責任なるものなり。 憲法第三条は此事を規定せり。 曰く「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と。 抑も本条は、立憲君主国の憲法大概載する所の箇条なり。 而して神聖にして侵すべからずと掲ぐるものと、単に侵すべからずと掲ぐるものとの別あれども、「神聖にして」とは侵すべからずとの起原を示したるまでにして、何れに書するも、法律上に於ては其効力は共に同一なり。 何故に君主は無責任なりやに関し、茲に二箇の争論を示さん。 第一に曰く、元来君主と雖も責任を有すべき筈なれども、之に責任を帰するときは、或は君主に対して不敬を加うるの恐あるのみならず、場合に依ては之が為めに国乱を惹き起すことあるを以て、便宜上君主を責任の外に置き、大臣をして之に代て責任者たらしむるものなりと。 第二に曰く、君主は一国を統治する最高権を有するものなるが故に、何人も君主に対して責罰を加うるの権力を有せず、何となれば責罰なるものは大なる権利を有する者が小なる権利を有する者に対して加うるものなるに、君主に対して責罰を加うることを得べしとせば、君主より更に大なる権利を有する者ありと云わざるべからず、然るときは君主最高権を有するの趣旨と矛盾するに至るべし、故に大臣が責任を負うは天皇に代て責任を負うの意にあらずして、自己の過失に対し自己固有の責任を負うものなり、何となれば、元来天皇に責任なきに、之に代て責任を負うの理なければなりと。 而して君主は独り政治上に於て責任なきのみならず、法律に於ても亦無責任なり。 英国憲法学者某氏曾て曰く「女皇ビクトリヤにして宰相グラッドストンの首を斬るも、法律上素より之を咎むる能わず」と尚大臣責任の事に付ては、後章に論述する所あるべし。

第四節 天皇の地位

憲法第四条は、天皇の地位を明にしたるものなり。 曰く「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と即ち、

第一、天皇は国の元首なり。 元首とは通俗の意味に於て君主と云うと異ることなし。 国家学の原理より云うときは、国家に元首、立法、行政の三部ありて、元首は立法行政の上に立て之を統括すること、恰も人心に四支百骸ありて、而して精神の経絡は総て皆其本源を首脳に取るが如きなり。

第二、天皇は統治権を総攬す  統治権とは国家を支配するの権利にして、天皇が立法行政の上に立て其権衡を取るの地位に在るより起る権利を云う。 此権利中に包括するものを列挙すれば左の如し。

  • 立法権(第五条)
  • 法律の裁可公布に関する権(第六条)
  • 帝国議会の集散閉開に関する権(第七条)
  • 緊急勅令を発するの権(第八条)
  • 執行命令及補充命令を発するの権(第九条)
  • 官職大権(第十条)
  • 兵馬大権(第十一条、第十二条)
  • 外交大権(第十三条)
  • 戒厳を宣告するの権(第十四条)
  • 栄典大権(第十五条)
  • 司法大権(第十六条)

第三、天皇は此憲法の条規に依て統治権を行う  天皇は統治権を総攬するも、之を行うには必ず憲法に規定せる方法に従わざるべからず。 之に従わざる行為は凡て無効なり。 例えば天皇は立法権を行うには帝国議会の協賛を要するに、其協賛を経ずして法律を制定することあるも、其法律と称するものは憲法上真の法律にあらず。 故に臣民は遵奉の義務なきが如し。

第五節 天皇の権利

茲に天皇の権利と称するは、前章に述べたる統治権中に包含せる各種の権利を云う。 以下順次論述する所あるべし。

第一、立法権  立法権とは、法律を制定するの権利を云う。 天皇の掌握せらるるものなること論を俟たざれども、天皇は此権利を行うに当り、必ず帝国議会の協賛を経ざるべからず(第五条)。 協賛とは普通に承諾と同一の意義を有す。 承諾と云い又協賛と云うときは、或る者の発議に向て同意不同意を表するときに限るが如く、即ち発議権は天皇及其政府にのみ存して議会に存せざるが如しと雖も、発議権の議会にも存することは、憲法第三十八条の規定する所なり。 然れども政府案を具えて議会に提出し、其協賛を求むるは正則にして議会の発議権は其遺漏を補う為めに外ならず。

第二、法律の裁可公布及執行に関する権  憲法第六条には「天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス」と規定せり。 法律の裁可には法律案に法律たるの効力を与うるものにして、立法の事を完結する手続なり。 故に仮令両院の協賛を経たるものと雖も、天皇の裁可なき間は単に法律案たるに止り、未だ以て法律と称すべからず。 而して天皇は法律を裁可する権利を有するを以て、之を裁可せざるの権利をも亦有するや論を俟たず。 不裁可権は天皇に於て必要なりや、将た不必要なりやに付ては議論あれども、之を必要なりと信ず。 抑も議会の議決は多数決なるを以て、多数の向かう所天下に敵なく、多数者の意見は是となく非となく採用せらるるも、少数者の意見は毫も採用せらるることなく、故に議会の議決のみを以て直に法律と為すときは、多数者は法律の威力に依りて自由に少数者を圧倒し得るに至るべし。 然るに翻て一国の上より観察するときは、少数者と雖も同じく一国の臣民にして、多数者と同一の保護を受けざるべからざるに、妄りに多数者の為めに其利益を侵害せらるるとあらば、主権者は決して之を傍観すべきにあらず。 故に甚だしく少数者の利益を害するが如き法律案の両院を通過せる場合には、天皇は之を裁可せずして以て国家全般の利益を計るべきなり。 法律の公布とは、已に裁可を経たる法律を官報に掲載し、国民一般に之を知らしむるを云う。 国民に遵奉の義務を生ぜしむるは此時に在り。 又法律の執行とは、当局の官庁をして之を実地に施行せしむるの謂いにして、其手続きは官庁に命じて其執行に関して必要なる命令を発し、又は職員を定めしめ且之に仮すに執行の権力を以てするにあり。

第三、帝国議会の集散閉開に関する権  憲法第七条には「天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス」と規定せり。 帝国議会の組織及其集散閉開に関する事は、後章に詳述する所あるを以て茲に之を述べず。

第四、緊急勅令を発するの権  緊急勅令とは、天皇が公共の安全を保持し、又は其災厄を避くる為め、緊急の必要に由り帝国議会閉会の場合に於て発する勅令にして、法律に代るべき効力を有するものなり(第八条第一項)。 凡そ立憲国に於ては、法律は行政命令の上に位するものなるが故に、行政命令に法律の効力を与え、又は行政命令を以て法律を変更する能わざるを以て、其原則とす。 然れども国家危急の事あるに臨み、又は国民兇荒疫癘其他の災害あるに際しては、公共の安寧を保持し、其災厄を予防救済するが為めに、力の及ぶ所を極め必要の処分を為さざるを得ず。 此時に当て法律を制定せんと欲するも、議会偶ま開会せず、之をして立法協賛の事を為さしむる能わざることあり。 此の如き場合に於ては、政府は進んで其責を取り、勅令を発して法律に代えざるべからず。 是れ緊急勅令の必要なる所以なり。 然れども政府をして自由に此勅令を発せしむるを得るものとせば、或は此権利を濫用し、議会が有する立法協賛権を侵害し、其弊を生ずること少からざるを以て、緊急勅令は左の二箇の条件あるにあらざれば、之を発することを得ず。

  • (一)公共の安全を保持し、又は其災厄を避くる為め、緊急の必要あること。
  • (二)帝国議会閉会中なること。

尚又此勅令を発したるときは、政府は次の会期に於て帝国議会に之を提出し、其承諾を経ざるべからず。 若し議会に於て之を承諾せざるときは、政府は将来に向て効力を失うことを公布せざるべからず(第八条第二項)。是れ蓋し議会をして此特権の監督者ならしめ、其濫用を防止せしめんが為めなり。

緊急勅令のことは頗る疑問の多きものなるが故に『憲法義解』に於ては之に関する種々の問題を設けて、其解釈を試みたり。 今其大要を挙げんに、 第一 議会にして此勅令を承諾したるときは、其効力如何。 曰く、更に公布を俟たずして勅令は将来に於て法律の効力を継続すべきなり。 第二 議会に於て此勅令を承諾せざるときは如何。 政府は此勅令の効力を失うことを公布すると同時に、其廃止変更したる所の法律は凡て其旧に復す。 第三 議会が承諾を拒むときは、尚其前日に遡て勅令の効力を取消すことを得るや。 曰く、憲法已に君主に緊急勅令を発することを許したるが故に、其勅令の存する日は其効力を有すること固よりなり。 故に将来法律として継続することを拒むを得ざるも、過去に於て効力を抹殺する能わず。 第四 此勅令にして政府若し次の会期に於て之を議会に提出せるか、或は議会が其承諾を拒みたる後、政府其廃止の令を発せざるときは如何。 曰く、政府は固より憲法違反の責を免れず、然れども緊急勅令其効力を失うは、其無効を公布したる日に初まる故に、斯る場合に於ても人民は之を遵奉するの義務あるべしと。

第五、執行命令及補充命令を発するの権。 法律は必ず帝国議会の協賛を経ざるべからざれども、命令は専ら天皇の裁定に出て議会の協賛を要せず。 命令を発するに二箇の目的あり。 第一は法律を執行するが為めにし、第二は公共の安寧秩序を保持し、及び臣民の幸福を増進する為めにす(第九条第一項)。 而して其目的の異なるに依て其名称を異にし、第一を執行命令と云い、第二を独立命令又は補充命令と云う。 又命令は其之を発する者の異なるに依て其名称を異にす。 天皇自ら発するものを勅令と云い、内閣より発するものを閣令と云い、各省より発するものを省令と云い、地方庁より発するものを府県令又は警察令と云う。 而して閣令以下数種の命令は天皇大権の委任に基づき発するものなることを知るべし。

法律の外何故に命令を必要とするや。 其理由に曰く、凡そ法律の成るは政府が行政を為すの間に於て、実際の必要を感じ、数度同一の必要に処する間に、経験を得て一定の規則とすべきものを蒐集し得たる後に属す。 是を以て当初経験の未だ十分ならざるときに於ては、先ず命令を以て実際の必要に応ぜざるべからず。 又例令法律を以て制定し、必要に応ずる猶予ある場合に於ても、其事の性質永久ならずして一時に止まるものは、命令を以て規定するを正当とす。 又事の一地方に止まるものにして全国に亘らざるものは、一般の法律と為すことを得ず。

命令を以て法律を変更することを得ず(第九条但書)。蓋し法律は議会の協賛を経て発し、命令は天皇一己の意思を以て発するものなるが故に、法律は常に命令の上に位するものなればなり。 従て法律を以て命令を変更するは自由なり。

第六、官職大権  憲法第十条に曰く「天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル」と。 本条は即ち天皇の官職大権を規定したるものにして、此内には左の三箇の権利を包含す。

(一)行政各部の官制を定むる事
官制は諸官衙の組織及び権限を定めたるものにして、政府の諸機関の有する凡ての職権は、一に官制に依て授けらるるものなり。 而して官制を定むるは、一に天皇の専権に属し、議会の協賛を要せざるは、蓋し此事立法権に何等の関係を有せざればなり。 然れども裁判所の構成及会計検査院の組織等特則の理由よりして、法律を以て之を定むる場合あり。 是れ本条但書の規定ある所以なり。
(二)文武官の俸給を定むる事
官吏の俸給は何に依て其標準を定むるやと云うに、労働の多少に依るにあらずして其分限の多少に相応ぜざるべからず。 換言せば官吏の職務の繁閑に依て定むべきものにあらずして、其地位に依って定むべきものとす。 何となれば職務は時に依て繁閑の差ありと雖も、官吏たるものは常に全力を奮て国家の為めに其職務を尽し、側ら自己の職業を営むことを得ざるものなればなり。
(三)文武官を任免する事
文武官を任免するは、亦天皇の大権に属すと雖も、之には種々の制限あり。 憲法第十九条には「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」と規定せるを以て、文武官を任用するには、夫々の任用規則に依らざるべからず。 又之を非免するに付ても、裁判官及会計検査院の如きは法律に依り一定の原因あるに非ざれば、妄りに之を非免するを得ざるなり。

第七、兵馬大権

兵馬大権は、憲法第十一条第十二条に規定せり。 分て二となす。

(一)陸海軍を統帥するの権
凡そ君主国と共和国とを問わず、此権概ね元首に属す。 我国に於ても皇祖国を創め玉いしより以来、内外事あれば天子自ら元帥となり、征伐の労を取れること歴史に徴して明なり。 而し此権をして元首に帰せしめざるべからざる理由に曰く、陸海軍は国家の力なり、外に対しては国家の生存独立を保持し、内に向ては国家の安寧秩序を維持するものなるが故に之を統一するの必要あり、故に政体の区別なく元首之を統率せざるべからずと。 陸海軍を統率する元首の大権に付き一疑問あり、曰く、軍隊は君主に忠勤を垂るべきものなりや、又憲法に忠勤を尽すべきものなりや、換言せば元首の命令にして憲法に違反するときは、士卒は之に従うべき義務ありや否や、是なり。 此事に関する歴史の実例を見るに、区々にして一定せず。 昔し英王ジェームズ二世国憲を無視したるに当り、士卒等は其曾て忠勤を王に誓いたることあるに拘らず、去て憲法を擁護したることあり。 又ナポレオン、ボナパルト自立して帝とならんとせしとき、士卒等は国権の為めに忠勤を尽さんことを誓いたることあるに拘らず、却てナポレオンに随えり。 想うに軍隊は憲法と元首とに合せて忠勤を尽すべきものなるや論を俟たずと雖も、其一を択ばざるべからざる場合に当ては、元首も又憲法を遵守するの義務あることを思わざるべからず。
(二)陸海軍の編成及常備兵額を定むるの権
陸海軍の編成とは軍隊艦隊の編成、兵器の備付、軍人の教育、検閲、海防、守港并に出帥の準備等凡て軍事の技術上に関する組立を云う。 常備兵額を定むるとは常備兵の数を定むるの謂にして、毎年徴集する兵の数を定むることも亦此中に在り。 右の編成及兵数に関することは勅令を以て是を定ため、法律の定むる所にあらず。 外国の例を按ずるに陸海軍編成の一部分は法律に依て定め、一部分は勅令に依て定たむ。 而して兵額を定むるは各国概ね法律を以てし、英国の如きは常備兵は毎年議会の承諾を経て之を置くものなるが故に、議会の承諾せざるときは国王は一人も常備兵を置くこと能わず、已むを得ず議会を解散せざるを得ざるなり。 是れ「スチュワルド」王統の専制に懲り兵士を置くは却て国家の安寧に害ありとし、千六百八十八年の名誉革命以後定めたる所の方針なり。 独逸に於ては陸軍の常備軍は法律を以て之を定む。 然れども習慣上七カ年に一度之を定むることとせり。 仏蘭西に於ては予算を以て常備兵額を定め、米国に於ては常備兵額を定むるの権立法部に属す。 我国に於ては兵額を定むるの権天皇に属し、議会の関渉を許さざるなり。 而して其費用の如きは憲法第六十七条の既定の歳出に属するが故に、政府の同意を得るに非ざれば、廃除削減することを得ず。 然れども政府にして同意するときは、予算を以て間接に常備兵額を増減することを得るは勿論なりとす。

第八、外交大権

外交の事は恰も兵戦と同じく、全く外国の情勢に依て之を定むべく、内地臣民の意見に依て左右すべき所にあらず。 是れ之を天皇の大権に帰する所以なり。 又日本が外国に対して為す所は、必ず日本国家の為す所なるべく其一部分たる政府又は議会の為す所にあらざれば、此点よりするも外交の権は国家全体を統括する天皇に在るべきは勿論なり。 憲法第十三条は天皇の外交大権に関する規定なり。 曰く、「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」と。 戦を宣し、和を講ずとは外交事務の一部を挙げたるものにして、外国に対し日本国家の主権を保護せんが為にするものなり。 故に戦争にして天皇の宣告に係らざるものは、之を国家の戦争と云うべからず。 和約に於ても亦然り。 又諸般の条約を締結するは外交事務の第二部にして、外国との交際に依り自国に於ける公共の安寧臣民の幸福を計らんが為めにする所を包括す。 而して此事に関する諸国の制度は必しも一ならず。 例えば我国及英国の如きは君主は議会の協賛を経ずして条約を締結し、後に於ても議会の認可を要せざる制度なれども、独逸仏蘭西及米国の如きは締結するには元首は予め議会の協賛を経ざるべからず。 又外国と締結する所の条約中内国臣民に義務を負わしむるか、又は其権利を伸縮することあるを以て元首が独断にて締結するを得るの条約と、議会の協賛を経ざれば締結することを得ざるの条約とを区別するは、他国の憲法に於て往々見るなれども、我憲法は此の如き区別を為さず。 条約締結の権は挙て天皇に帰せるが故に、議会は已に締結せられたる条約より来る所の義務を負担する方法に付て意見を述ぶるの外、喙を容るる能わざるなり。

第九、戒厳を宣告するの権

憲法第十四条には「天皇ハ戒厳ヲ宣告ス戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」と規定す。 戒厳とは、外敵内変の時に臨み常法を停止し、司法行政の一部を挙げて軍務官吏の権内に委し、以て非常処分を為さしむるを云う。 此場合に於ては臣民の権利は一時停止せらるると雖も、事軍戦と外交とに関するが故に、国家生存の必要上已むを得ざることと云うべし。 蓋し臨戦合図の場合は、国家運命の関する所にして、一歩を誤るときは意外の結果を生ずるが故に、各国皆戒厳を宣告するの権を挙げて、之を元首に委せり。 戒厳を宣告するの権已に天皇に在る以上は、天皇は之を当路の諸官吏に委任し、時宜に依ては専断を以て宣告することを許すことを得べきは勿論なり。

此の如き処分の国家全体の為めに必要なるは前述の如しと雖も、其必要あらざる場合に於て、若くは必要の程度又は時間を超えて臣民の権利を停止するが如きことあるべからず。 是れ本条第二項に於て、其要件及効力は予め法律を以て規定すべきことを、定めたる所以なり。

第十、栄誉大権

憲法第十五条には、「天皇ハ爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与ス」と規定せり。 按ずるに君主を以て名誉の泉源なりとするは、君主国の通例にして、各国皆然らざるはなし。 我国太古の時代に於ては、姓を以て貴賤の別を為し、推古天皇の時冠位十二階を定めし以来、天子屡々位階を定め、或は武功を賞し、文勲を挙げ、且孝悌の人を奨励するが為めに種々の方法を用いたり。 中古政権武門に移るの後と雖も、叙授の権は、依然として朝廷に属したるや疑う可らず。 而して維新以降に至り、爵は公侯伯子男の五等に分ち、位は正一位より従八位に至り、勲章は一等より八等に至るの制を定め、其栄典に至ては綬章を与え、金銀木盃を付与し、褒詞賞誉金を賜う等種々の方法あり。 想うに爵位勲章等は之を受くるものの栄誉を章表するに止り、之が為めに臣民は法律の前に同等なりとの原則を破らるることなし。 又外国に於て、米国のみは爵位勲章を設けず、且他国の勲章を佩することも亦之を許さざるなり。

第十一 司法大権

凡そ治罪の事は、一般の法律に従て之を行うを至当とすと雖も、法律元来人為のものにして、必しも完全したるものと云うを得ず。 蓋し限りある人力を以て、一切の事情を曲悉するは為し難き事に属すればなり。 是を以て、単に法律の規定のみに依て罪を断ずるときは、事情の上に於て却て公平ならざる場合なしとせず。 此の如き場合に於ては一旦法律に依て処罰するも、他の手段に依て之を赦免するは、却て国家の本旨に適することあり。 故に大赦、特赦、減刑及復権等の権利を元首の掌握に帰し、以て法律の及ばざる処を補充し、法律と人情との一致を計るを要す。 而して此権利を他の行政機関に帰せず元首の特権としたるは、其事国家全体に関係あるを以てなり。 大赦は一種類の犯罪に対し之を赦すなり。 特赦は一個の犯人に対し其刑を赦すなり。 減刑は既に宣告されたる刑を減ずるなり。 復権は既に剥奪せられたる公権を回復するなり。