「脱亜論」
last updated:
2019-09-08
このページについて
時事新報に掲載された「脱亜論」を文字に起こしたものです。
誰が「脱亜論」を書いたのか?
井田進也『歴史とテクスト―西鶴から諭吉まで』(光芒社, 2001 年)を参考にして、同書の記述を元に注記を入れてみました。井田氏は石河と福沢両人の文章の特徴を元に「脱亜論」の分析をし、ほぼ福沢起筆の文章と認定しうるとの結論を導いています(104 ページ)。
「脱亜論」と「朝鮮滅亡論」を書いたのは誰かも、ご覧下さい。
認定の一基準として注目された語句(と推測されるのもの)には、(*1)のような注記をしました。注記のページ数は、同書初版のものです。
本文
第一段落
世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸し、到る(*1)処、草も木も此風に靡かざるはなし。
蓋し西洋の人物、古今に大に異るに非ずと雖ども(*2)、其挙動の古に遅鈍にして今に活発なるは、唯交通の利器を利用して勢に乗ずるが故のみ。
故に方今東洋に国するもの(*12)の為に謀るに、此文明東漸の勢に激して之を防ぎ了る(*13)べきの覚悟あれば則ち可なりと雖ども(*2)、苟も世界中の現状を視察して事実に不可なるを知らん者は、世と推し移りて共に(*3)文明の海に浮沈し、共に(*3)文明の波を揚げて(*13)共に(*3)文明の苦楽を与に(*3)するの外あるべからざるなり。
文明は猶(*11)麻疹の流行の如し。
目下東京の麻疹は西国長崎の地方より東漸して、春暖と共に(*3)次第に蔓延する者の如し。
此時に当り此流行病の害を悪て之を防がんとするも、果して其手段あるべきや。
我輩断じて其術なきを証す。
有害一偏の流行病にても、尚且其勢には激すべからず。
況や利害相伴うて常に利益多き文明に於てをや。
啻に之を防がざるのみならず、力めて(*13)其蔓延を助け、国民をして早く(*4)其気風に浴せしむるは智者の事なるべし。
西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永の開国を発端として、国民漸く其採るべきを知り、漸次に活発の気風を催うしたれども、進歩の道に横わる(*13)に古風老大の政府なるものありて、これを如何ともすべからず。
政府を保存せん歟、文明は決して入るべからず。
如何となれば近時の文明は日本の旧套と両立すべからずして、旧套を脱すれば同時に政府も亦廃滅すべければなり。
然ば則ち文明を防て其侵入を止めん歟、日本国は独立すべからず。
如何となれば世界文明の喧嘩繁劇は東洋孤島の独睡を許さざればなり。
是に於てか我日本の士人は国を重しとし政府を軽しとするの大義に基き、また幸に帝室の神聖尊厳に依頼して、断じて旧政府を倒して新政府を立て、国中朝野の別なく一切万事西洋近時の文明を採り、独り日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜全洲の中に在て新に一機軸を出し、主義とする所は唯脱亜の二字に在るのみ。
第二段落
我日本の国土は亜細亜の東辺に在りと雖ども(*2)、其国民の精神は既に(*5)亜細亜の固陋を脱して西洋の文明に移りたり。
然るに爰に不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。
此二国の人民も古来、亜細亜流の政教風俗に養わるること、我日本国民に異ならずと雖ども(*2)、其人種の由来を殊にするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺伝教育の旨に同じからざる所のものある歟、日支韓三国相対し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於けるよりも近くして、此二国の者共は一身に就き又一国に関して改進の道を知らず、交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども、耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、其古風旧慣に恋々するの情は百千年の古に異ならず、此文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至る(*1)まで外見の虚飾のみを事として、其実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し。
我輩を以て此二国を視れば、今の文明東漸の風潮に際し、迚も其独立を維持するの道あるべからず。
幸にして其国中に志士の出現して、先ず国事開進の手始めとして、大に其政府を改革すること我維新の如き大挙を企て、先ず政治を改めて共に(*3)人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、若しも然らざるに於ては、今より数年を出でずして亡国と為り、其国土は世界文明諸国の分割に帰すべきこと一点の疑あることなし。
如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭いながら、支韓両国は其伝染の天然に背き、無理に之を避けんとして一室内に閉居し、空気の流通を絶て窒塞するものなればなり。
輔車唇歯とは隣国相助くるの喩(*6)なれども、今の支那朝鮮は我日本のために一毫の援助と為らざるのみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三国の地利相接するが為に、時に或はこれを同一視し、支韓を評するの価を以て我日本に命ずるの意味なきに非ず。
例えば支那、朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃むべきものあらざれば、西洋の人は日本も亦無法律の国かと疑い、支那、朝鮮の士人が惑溺深くして科学の何ものたるを知らざれば、西洋の学者は日本も亦陰陽五行の国かと思い、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠も之がために掩われ、朝鮮国に人を刑するの惨酷なるあれば、日本人も亦共に(*3)無情なるかと推量せらるるが如き、是等の事例を計れば枚挙に遑(*7)あらず。
之を喩え(*6)ば此隣軒を並べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然かも(*10)残忍無情なるときは、稀に其町村内の一家人が正当の人事に注意するも、他の醜に掩(*8)われて堙没するものに異ならず。
其影響の事実に現われて、間接に我外交上の故障を成すことは実に少々ならず、我日本国の一大不幸と云うべし。
左れば、今日の謀を為すに、我国は隣国の開明を待て共に(*3)亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろ、其伍を脱して西洋の文明国と進退を共に(*3)し、其支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に(*9)西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。
悪友を親しむ者は共に(*3)悪名を免かるべからず。
我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。
注
注 | 該当箇所 | 福澤 | 高橋 | その他注記 |
注 1 |
73 ページ、90 ページ注 4 |
「至る」 |
「到る」 |
|
注 2 |
80 ページ、92 ページ注 27 |
「雖ども」 |
「いへども」 |
|
注 3 |
78 ページ、91 ページ注 20 |
「共(與)に」 |
「倶に」 |
|
注 4 |
77 ページ、91 ページ注 17 |
「早く」 |
「疾く」 |
|
注 5 |
74 ページ、90 ページ注 5 |
「既に」 |
「已に」 |
|
注 6 |
100 ページ、107 ページ注 9 |
「喩」 |
|
渡辺は、「喩」の俗字 |
注 7 |
74 ページ、90 ページ注 6 |
「遑」 |
「遑(暇)」 |
渡辺は、「遑ま」 |
注 8 |
76 ページ、91 ページ注 15 |
「掩(覆)」 |
「蔽」 |
|
注 9 |
73 ページ、90 ページ注 4 |
「正に」 |
「正しく」 |
|
注 10 |
87 ページ、92 ページ注 42 |
「然も」 |
「然かも」 |
|
注 11 |
101 ページ、107 ページ注 12 |
「猶」 |
「猶ほ」 |
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注 12 |
104 ページ |
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福沢的ではない 表現 |
注 13 |
104 ページ |
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ごく稀に使用される表現。「喩の俗字」も含む |
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東瀛小評
- (1)
- 『福澤諭吉全集 第 10 巻』(岩波書店、1960 年)pp. 238--240.