2018年10月17日 安川氏あてメール
このテキストについて
平山氏より安川氏に次のようなメールを送信したとの連絡がありまし た。平山氏の依頼により掲載します
本文
安川 寿之輔 様
その後いかがお過ごしでしょうか。
前のメールでお伝えしたように、10月13日・14日に神戸大学で開催された日本思想史学会で、「徳富蘇峰の身代わりとしての福沢諭吉」という題目の発表をしてきました。
発表要旨・資料・音声は、
にありますので、よろしければご照覧ください。
発表後、新会長に就任された苅部直東大法学部教授より質問がありました。著作権の関係で音声をアップロードすることはできませんが、その骨子についてお知らせします。
- (問1)石河幹明と幕末水戸藩諸政党石河幹修(明善・幹二郎)の関係如何
- (問2)石河が領土拡大に熱心だったのは、水戸学と連関があるのか
- (問3)現行版全集の「時事新報論集」の編纂に関し小泉信三と石河及び富田正文は共犯関係にあるのではないか
以上3問についての私の答えは次の通りです。
(答1)明治2年に獄死した石河幹修は幹明の叔父とされている。ただし山川菊枝は『幕末の水戸藩』の中で実父子としている。幹明の祖父徳五郎は徳川斉昭擁立に功のあった実力者で、諸政党政権時は石河家も盛んだったが、尊王党の勝利で維新を迎えたため没落してしまった。幹明は自分のことについて一切語っていない。
(答2)水戸藩は蝦夷地開拓の魁は自分たちだという自負心をもっていた。幹明が領土拡大に熱心だったのもその伝統の延長線上にある。人口が増加すれば領土を拡大しないといけないという発想は、農業を産業の中心に据えているため。その点は幹明と蘇峰は一致している。
(答3)幹明は蘇峰が『近世日本国民史』で帝国学士院賞を受賞した直後に、慶應義塾から『福沢諭吉伝』の執筆を依頼されている。同伝での受賞はかなわなかったが、おそらく小泉の推薦により、事実上は石河が編纂した富田版『福沢諭吉全集』は日本学士院賞を受賞している(1965年)。石河による社説選択に疑念を抱いていたなら、怪しい社説を除くように富田に示唆できたはずなのに、そうしていないのは、小泉にはそれを容認する心性があったからで、その点では共犯関係にあったといえる。
苅部教授は質問に際して、前段として安川さんに関わる発言もされていましたが、それは言わぬが花でしょう。
今週末には網走市で開催される韓国日本近代学会で「福沢諭吉のアイヌ民族観ー朝鮮人観と比較して」という発表をします。その内容につきましてはまた後日お知らせします。
時節柄お体にお気をつけください。
では。
平山 洋