2006年10月23日付 作家清水義範氏宛ての書簡

2013-10-28

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『福沢諭吉は謎だらけ。心訓小説』で、平山氏の『福沢諭吉の真実』が紹介されています。該当箇所は、八章の「ついに福沢諭吉の最大の謎にぶつかる章」で、特に217ページ以下です。 この本の概略については、小学館:福沢諭吉は謎だらけ。の紹介文をどうぞ。

この著書の感想としてしたためられた、平山氏による清水義範さんへの手紙を、平山氏の許可を得ましたので、掲載します。

2006年10月23日

清水義範様

拝啓

初めてお便りを差し上げます。静岡県立大学の平山洋という者です。この度は、ご著書『福沢諭吉は謎だらけ。心訓小説』(小学館)におきまして、拙著『福沢諭吉の真実』(文春新書)をご紹介くださり、まことにありがとうございました。慶應からも学界からもまったく支援がないため、心細く感じておりました(未だOB会誌『三田評論』において、一言も触れていただけないでおります)。

拙著の内容の紹介につきましては何ら異存はありません。よくまとめてくださったと思います。それはそれとして、研究者の立場からご本についての感想を少し書くことにします。

まず「心訓」の作者については、文面があまりに短いため、そちらからの追究は難しかろう、という印象をもちます。やはり、どこが出所で、どのような経路で一般に流布するようになったか、という観点から試みるのがよいと思います。

作中で、坂本和男が「心訓」に最初に触れた時期を1961年4月に設定されていますが、これはやや早すぎるようです。富田正文さんが「福澤心訓七則は偽作である」を発表したのが1971年5月で、それは再版全集20巻の付録に収められているのですから、執筆は直前の3月ころと思われます。その冒頭に、「三、四年前から」、とありますので、「心訓」が流布しはじめたのは1967、8年ということになりましょう。

清水さんは執筆想定年代を1950年2月とされていますが、そうなると作られてから流布するまで17、8年もかかったことになります。地獄耳の富田さんが、その間気づかなかったはずはありません。と申しますのは、戦後の福沢関係の新情報は、まず最初に富田さんに届くシステムが構築されていたからです。

1950年は、一般人の福沢への関心もまだまだ浅い時期でした。丸山真男さんがようやくその先鞭をつけた程度のことで、遠山茂樹さんの左からの反撃は翌1951年が最初です。福沢に関心をもっていたのは、東大と慶應の研究者だけ、といっていいくらいでした。

また、東大と早稲田は学校として常に多くの人の注意を惹いてきたのですが、慶應などは特別な人間の行くところ、という印象がまだ強かったのです。一般の人にとって、福沢や慶應が何らかの意味をもつようになったのは、小泉信三さんが大きな役割を果たした、1959年の皇太子ご成婚(いわゆるミッチーブーム)と、少し後の1961年に始まる、映画の若大将シリーズ以後であるようです。

そうしたことを勘案して、私は、「心訓」が作られたのは、ほぼ1967年だと思います。その年は翌年が明治100年ということで、福沢を顕彰する動きが盛り上がりを見せていましたから。それと同時に「脱亜論」を使った左翼の福沢批判運動もわき起こってきたのです。この問題には私自身も関心がありますので、自分でも調べてみようと思います。

それ以外に私と関係があることとしては、175頁にある論説「人民の移住と娼婦の出稼ぎ」(*管理人による註)の真偽問題です。この論説は全集第15巻362頁に掲載されているもので、時事新報の明治29年1月18日に社説として発表されています。昭和版『続全集』に初収録で福沢の自筆原稿は残存せず、です。少なくとも下書きは石河と断定できるとはいえ、そのアイディアを福沢が出したかどうかについての証拠はまったくありません。

この時期の真筆は、仕上げにかかっていた『福翁百話』となりますが、その中に国民の海外移住をテーマとした話はありません。また、明治28年11月から29年1月までの書簡30通に、海外移住に触れたものは1通もないのです。福沢自身は社説掲載と同じ日である明治29年1月18日に、帝国ホテルで開催予定の立食パーティの準備に忙殺されていたようです。

要するに、「人民の移住と娼婦の出稼ぎ」は、石河が自らの関心から執筆して紙上に掲載したものを、1933年に、折からの満蒙開拓ブームにのっかって、「実はこれも福沢先生が書いたものだ」、とか言って、『続全集』に採録したもののように見えます。現在の『全集』の「時事新報論集」は、ほんとうにめちゃくちゃなもので、無署名論説を使う場合には細心の注意が必要なのです。

なお、私の研究全般につきましては、サイト「平山洋氏の仕事」http://blechmusik.xrea.jp/d/hirayama/をご覧ください。

大学院時代でしたか、予備校の教師をしていた私に、生徒が、清水さんの『国語入試問題必勝法』は受験の役に立つか、という質問をしにきたのを記憶しています。以来、清水さんの本にはけっこうはまっておりました。

また名古屋は母方の祖父の出身地です。私自身も静岡が拠点の一つということで、大学院の先輩から誘われて、愛知教育大学に非常勤講師として招かれたことがあります(1995年)。それに、つい先ごろの9月まで、中日新聞の栄文化センターで授業を担当しておりました。ほか、学会・研究会の参加など、名古屋とは何かと縁があります。

というわけで、繰り返しとなりますが、ご本で拙著を取り上げてくださったこと、深く感謝いたします。なお、この手紙を、清水さんがご自分の文章に引用されるのは、まったく自由です。

時節柄どうかご自愛ください。

敬具

管理人による註

「人民の移住と娼婦の出稼」については、以下のウェブ・ページで触れられています。

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