「『福沢諭吉朝鮮・中国・台湾論集』所収論説一覧」

last updated: 2015-03-12

このページについて

杉田聡編『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集―「国権拡張」「脱亜」の果て―』(2010 年 10 月 25 日・明石書店刊)所収の論説一覧を公開しています(注1)。 訪問者への便宜を図るため、テーマ別編成を時系列順に直し、大正・昭和・現行のいずれの全集に所載されているか、また、福沢直筆原稿の有無を示しました。 最初の数字が原本での掲載順です。 また、各テーマには略称が使われています。「対外」は「対外論一般」、「壬午」は「壬午政変」、「甲申」は「甲申政変」、「日清」は「日清戦争」、「旅順」は「旅順虐殺」、「暗殺」は「王后暗殺」、「台湾」は「台湾論」を示しています。

さらに、平山氏に各論説の起筆者推定をしていただきました。平山氏によれば 最後の列の「推定福沢」は「推定福沢諭吉執筆」を意味し、以下、「中上川」は 「中上川彦次郎」、「高橋」は「高橋義雄」、「渡辺」は「渡辺治」、「石河」 は「石河幹明」となります。「推定福沢」については、その根拠が簡略に示され ています。この推定については今後判定が変わる可能性もあるとのことです。

なお、この一覧について、平山洋氏より次のようなメールがありました。

杉田聡氏編のこの論集によって、私が以前から唱えていた、「福沢諭吉は侵略論者ではない」との主張が ますます補強されたことを喜んでいます。その要点は次の通りです。

(1)杉田氏によれば、1882 年 12 月 12 日から 1884 年 12 月 14 日まで丸 2 年間、1885 年 8 月 14 日から 1887 年 1 月 6 日まで 1 年 4 ヶ月間、1887 年 1 月 8 日から 1892 年7月 18 日まで 5 年 6 ヶ月間、1892 年 7 月 20 日から 1894 年 5 月 29 日まで 1 年 10 ヶ月間、そして 1896 年 7 月 30 日から亡くなるまでの 4 年 6 ヶ月間、合計 15 年 2 ヶ月の間 朝鮮・中国・台湾に関する論説を書いていない、ということです。福沢が時事新報を創刊したのが 1882 年 3 月 1 日、没したのが 1901 年 2 月 3 日で、18 年 11 ヶ月ですから、福沢は大部分の期間、それらの地域に関心 がなかったことになります。

(2)杉田氏が採録した論説の、大正・昭和・現行版全集の収録状況は、全 54 編のうち、大正版 8 編、昭和版 44 編、現行版 2 編となっています。つまり大多数は満州事変(1931 年)直後の 1933 年以降に増補された論説 である、ということです。福沢のものとされるアジア関係論説が、時局迎合のために集められたのではないか、 という拙著『福沢諭吉の真実』の主張が、改めて確認できたことになります。

(3)杉田氏が採録した論説のうち、自筆草稿が残存しているものは 3 編です。また、草稿は残っていないものの 署名入りで発表された意見広告「私金義捐について」があります。福沢の自筆草稿残存社説は現在のところ 92 編発見されていますが、 残る 89 編には問題がなかった、ということなのでしょう。

(4)杉田氏は、私と同様に、安川寿之輔氏の研究に疑問を呈されているようです。というのは、安川氏は、 『福沢諭吉のアジア認識』巻末のリストにおいて、1896 年 7 月 30 日以降、1898 年 9 月 26 日に福沢が脳卒中に 倒れるまでに発表された 20 編を問題社説としています。その中には、武装蜂起した台湾原住民を全滅させよ、 という 1896 年 8 月 8 日発表の「台湾島民の処分甚だ容易なり」が含まれていますが、杉田氏はなぜかそれらを「台湾」の部に 収めていません。安川氏は、脳卒中の発作後の 5 編もリストアップしていますが、杉田氏はそれらも本論集に入れ ていないのです。これは、杉田氏が解説では安川氏を高く評価しているといいながら、実際にはそれらが福沢 のものではない、と考えていることの証左でしょう。

このような次第で、福沢が書いたとはっきり分かっている 「土地は併呑すべからず国事は改革す可し」 「支那人親しむべし」 は収められていないものの、結果として本論集は私の見解を強く支持するセレクションになっています。 とりわけ私が福沢の対外論説として高く評価している、 「国交際の主義は修身論に異なり」「脱亜論」「朝鮮人民のためにその国の 滅亡を賀す」が収録されているのは喜ばしいかぎりです。多くの人にこの論集が読まれることをねがってやみません。

なお、本サイトでは別に「『福沢諭吉朝鮮・中国・台湾論集』の逐条的註」を公開しています。

収録論説一覧

1対外圧制もまた愉快なるかな820328大正非残存推定福沢
7壬午朝鮮の変事820731昭和非残存推定中上川
8壬午喉笛に食いつけ(漫言)820802大正非残存未詳
9壬午出兵の要820818現行残存福沢
10壬午朝鮮事変談判の結果820904昭和非残存推定中上川
11壬午東洋の政略はたしていかんせん821211大正残存推定波多野福沢による浄書残存
12甲申朝鮮事変841215昭和非残存推定中上川
13甲申わが日本国に不敬・損害を加えたる者あり841218昭和非残存推定中上川
14甲申朝鮮事変の処分法841223昭和非残存推定中上川
15甲申軍事支弁の用意大早計ならず841226昭和非残存推定中上川
16甲申戦争となれば必勝の算あり841227昭和非残存推定渡辺
17甲申ご親征の準備いかん850108昭和非残存推定高橋
18甲申官報再読すべし850131昭和非残存推定中上川
5対外国交際の主義は修身論に異なり850309大正非残存推定福沢
2対外脱亜論850316昭和非残存推定福沢
19甲申朝鮮人民のためにその国の滅亡を賀す850813昭和非残存推定福沢
20日清朝鮮は日本の藩屏なり870106昭和非残存推定福沢
3対外外国との戦争かならずしも危事・凶事ならず870107昭和非残存推定渡辺↑ここまでは福沢の指導
4対外一大英断を要す920719大正非残存推定石河
21日清朝鮮東学党の騒動について940530昭和非残存推定石河
22日清速やかに出兵すべし940605昭和非残存推定石河
23日清安心しなせい(漫言)940612昭和非残存未詳
24日清白どんの犬と黒どんの犬と(漫言)940614大正非残存未詳
25日清朝鮮の文化事業を助長せしむべし940617昭和非残存推定福沢人民のみ 8 回使用
26日清日本兵容易に撤去すべからず940619昭和非残存推定福沢維新を革命と捉えている
27日清兵力を用ゆるの必要940704現行残存福沢石河は全集非採録とした
28日清世界の共有物を私せしむべからず940707昭和非残存推定石河
29日清支那・朝鮮両国に向いて直ちに戦を開くべし940724昭和非残存推定石河
30日清我にさしはさむところなし940727昭和非残存推定石河
31日清日清の戦争は文野の戦争なり940729昭和非残存推定石河
6対外私金義捐について(福沢署名入)940814大正非残存福沢署名入り意見広告
32日清日本臣民の覚悟940828大正非残存推定石河
33日清支那将軍の存命万歳を祈る(漫言)940920昭和非残存未詳
39旅順横浜の小新聞941002昭和非残存推定石河
47台湾台湾割譲を指令するの理由941205昭和非残存推定石河
40旅順旅順の虐殺無稽の流言(石河執筆)941214昭和非残存石河
41旅順わが軍隊の挙動に関する外人の批評941230昭和非残存推定石河
34日清改革の勧告ははたして効を奏するやいなや950104昭和非残存推定石河
35日清朝鮮の改革に外国の意向をはばかるなかれ950105昭和非残存推定石河
36日清義侠にあらず自利のためなり950312昭和非残存推定石河
48台湾台湾の処分法950522昭和非残存推定石河
37日清軍艦製造の目的950716昭和非残存推定石河
49台湾台湾永遠の方針950811昭和非残存推定石河
50台湾厳重に処分すべし950814昭和非残存推定石河
51台湾台湾の豪族950822昭和非残存推定石河
42暗殺事の真相を明らかにすべし951015昭和非残存推定福沢維新を革命と捉えている
43暗殺朝鮮の独立951023昭和非残存推定福沢露の対馬占拠事件を詳述
38日清戦死者の大祭典を挙行すべし951114昭和非残存推定石河
44暗殺二八日の京城事変951207昭和非残存推定石河
52台湾台湾の騒動960108昭和非残存推定石河
45暗殺京城の事変960214昭和非残存推定石河
46暗殺朝鮮政府の転覆960215昭和非残存推定石河
53台湾台湾の方針一変960717昭和非残存推定石河
54台湾まず大方針を定むべし960729昭和非残存推定石河

脚注

(1)
エクセル形式の一覧表は collected_essays_selected_by_Sugita.xls から入手できます。