「〔論争〕石河幹明が信じられない三つの理由ー『福澤諭吉全集』「時事新報論集」の信憑性について」

last updated: 2015-03-13

このテキストについて

以下は、政治思想学会会報第 31 号(2010 年 12 月)12 頁に掲載された、同第 30 号所収平石直昭氏の評論「福澤諭吉と『時事新報』社説をめぐって」への反論です。

掲載文全文

前号に掲載された平石直昭氏の評論には、私の考えへの誤解がある。すなわち、 昭和版『続福澤全集』(1933-34 年刊)の、石河による「時事論集例言」末尾、 「先生の校閲を経て社説に掲げたものでも他人の草稿に係る分はこれを省いた」 における「他人」を、私は、「福澤以外のアイディア」ととる平石氏とは異なり、 「石河以外」と理解するのが正しいと考えていることである。その根拠は、福澤 署名入単行本『修業立志編』(1898 年刊)中の社説「活発なる楽を楽む可し」 (北川礼弼筆)を、石河が、福澤のアイディアによる社説と知っていながら、自 らの起筆ではないために全集非採録とした事実による(拙著『福沢諭吉の真実』 122 頁)。

さらに、社説採録に際しての石河の不誠実の証拠は、第一に、彼が福澤署名入 りの評論集『修業立志編』を全集に収録していないことである。同書を全集に入 れない理由として石河は、大正版全集(1925-26 年刊)の「端書」に、同全集の 「時事論集」に分載されているため、と書いているが、実際には全 42 編の中「活 発なる楽を楽む可し」を含む 9 編を収録していない(現行版全集にも非収録)。 第二の証拠は、福澤直筆の「忠孝論」「心養」を全集に収録していないことで ある(拙論「なぜ『修業立志編』は『福澤全集』に収録されていないのか?」参 照)。さらに第三の証拠は、石河が福澤の直筆原稿残存社説 92 編のうち 50 編を全 集に採録していないことである。その中には、日本による朝鮮併合に反対した 「土地は併呑す可らず国事は改革す可し」(1894 年 7 月 5 日掲載)が含まれている。

かくして、石河が誠実であったとしても、文体による判別はできなかったこと により「時事新報論集」の信憑性は低まり、石河が不誠実で、『福澤諭吉伝』の 論旨に合わせるために故意に福澤直筆の社説を落としていたとするならば、もは や「時事新報論集」を信頼することなど全くできない、というのが結論となる。

(2010 年 12 月 9 日入稿)