福沢健全期(1882~1898)『時事新報』社説における朝鮮
このテキストについて
平山氏の依頼により、 10月19日に奈良県天理市で開催された韓国日本近代学会で の口頭発表 由来の論文「福沢健全期(1882~1898)『時事新報』社説における朝鮮」を アップロードします。
本文
1. はじめに
自らが主宰する新聞『時事新報』(1882年3月1日創刊)で刻々変化していた朝鮮の状況を報じていた福沢諭吉(1835~1901)の作とされる社説に「脱亜論」(18850316(注1)、昭和版『続福沢全集』〔1933、34〕岩波書店刊に初所収)がある。1951年の遠山茂樹による初紹介(注2)以降、1961年に竹内好により「有名である」(注3)とされてから、この社説は福沢の帝国主義的野心を示すものとされてきた。その後1981年の坂野潤治による甲申政変支援の敗北宣言とする新解釈(注4)をきっかけに、21世紀に入ってからはむしろ朝鮮への非介入への提言と理解されるようになった(注5)。
同じ社説が一方で帝国主義的野心を示すものとされたり、また一方で非介入の提言とされたりするのは、ごく短い社説をそれだけのものとして解釈しようとするからである(注6)。福沢の朝鮮観を正確に理解するためには、彼の朝鮮への言及を網羅的にたどる必要がある。
ところがここに大きな問題がある。従来までの研究では『福沢諭吉全集』(現行版〔1959~1964〕岩波書店刊)21巻が使用されるのが通例だが、第7巻までの福沢署名入著作はともかくも、第8巻から第16巻までの「時事新報論集」所収の社説は全部無署名で、その中には先行する昭和版『続福沢全集』の編纂者だった石河幹明を初め、弟子である社説記者が執筆した分が含まれているからである。
そこで本論文は、次の2において2010年代の『時事新報』社説研究の進展を概説し、ついで3では重要と思われる2編の朝鮮関連全集未収録社説を紹介する。そして4では福沢健全期(注7)『時事新報』中の朝鮮関連社説について概観し、5では朝鮮関連社説の論調の変遷をたどる。そして最後の6において本論説により明らかになったことを項目化する。
2. 2010年代の『時事新報』社説研究の進展
論を進める前に『時事新報』社説を福沢の思想とみなす場合の問題について説明したい。従来の福沢研究は現行版『全集』(1959~1964)に基づいて立論されてきたが、そのもとになっている昭和版『続全集』の「時事論集」は弟子の石河幹明が選んだもので、福沢没後の政治的現実と背馳する社説は非採録となる傾向がある(注8)。すなわち、韓国併合(1910)や満州事変(1931)の現実と異なる将来を予想している福沢存命期の社説は、たとえ福沢作の社説でも落とされていて(注9)、結果福沢の朝鮮観に関する研究に歪みを生じさせてきた。現行版『全集』の絶大な権威のため、この問題の真相は明らかにされてこなかったのである。
現行版『全集』の「時事新報論集」への社説採録に関する全面的な疑問を初めて表明したのは平山洋『福沢諭吉の真実』(2004)であった。その内容をかいつまんで述べるならば、事実上の編纂者である石河幹明は無署名である社説を福沢の関与如何によって行ったのではなく、満州事変直後、すなわち1930年代初頭の時代状況に適合的な社説を優先させて採録していたということである(そのため石河幹明著『福沢諭吉伝』〔1932〕と『続全集』〔1933、34〕以後、アジア侵略論者としての福沢という像が強調されるようになった)。要するに現行版『全集』「時事新報論集」の社説採録は出鱈目であり、それだけを読んだところで福沢の真意は分からないのである。
そうであるなら福沢の真意はどこにあるのか。それは『時事新報』バックナンバーの中にある、ということになるが、ごく最近になるまでそれらを読むのは容易ではなかった。縮刷版を所蔵している図書館は少なく、また目当てをつけるための総目録も存在しなかったからである。
この困難な状況は2010年になって劇的に改善された。慶応義塾編『福沢諭吉事典』に「『時事新報』社説・漫言一覧」が掲載され、福沢存命期(1882~1901)社説の全タイトルと全集への採否が明らかになった。また、同時期にネット上で公開された「デジタルで読む福沢諭吉」(慶応義塾主宰)により、福沢名で刊行された全著作(ほぼ現行版『全集』第7巻まで)の語彙検索ができるようになった(このサイトは社説の真偽判定に有益である)。さらに2013年以降、平山を研究代表者とする科研費「福沢健全期『時事新報』社説起草者判定」の進捗により、全集未収録社説のテキスト化とネット上での公開が図られつつあるため、従来まではまったく望み得なかった、全集に入っていない社説の語彙検索が可能となったのである。
3. 朝鮮関連全集未収録社説の発見
こうしてテキスト化された全集未収録の社説群の中から発見されたのが「朝鮮変乱の禍源」(18850331)と「朝鮮国の独立」(18850402)の2編で、いずれも「脱亜論」(18850316)の半月後の掲載となっている。1884年12月の甲申政変後の福沢の朝鮮観を知るうえで重要と思われる社説なのでここで紹介したい。
まず「朝鮮変乱の禍源」は、「国あれば人あり。人あれば其国の独立を欲せざるものなし。人類の習慣各国開闢の初より殆と人の性を成して復た変ず可らず。左れば国民独立の精神は必ずしも之を教るに及ばず」に始まる約2400文字で、論者はこの社説を福沢作と判定する(注10)。その内容を項目化するとおおよそ次のようになる。
(1)朝鮮の独立を支持する。
(2)人民の独立を求める心は自然の性で、これは金玉均ら独立党を追い出した事大党も同じである。
(3)にもかかわらず事大党員が清国追従を続けるのは、個人の出世のためである。
(4)旧習を踏襲するだけなので、無能な人間でもよく、そうした人々がポストを得て朝鮮政府に居座っている。
(5)そうした清国追従の無能な人々こそが朝鮮の混乱の原因である。
次に「脱亜論」の半月後に発表された「朝鮮国の独立」であるが、冒頭で「我輩は前日の紙上に於て、朝鮮の事大党が国辱をも忍て自から他の属邦たるを甘んずるは、畢竟その当路者が貴顕の地位を僥倖して、その僥倖を無理に守らんとするの熱心に出てたるものにして、遂に昨年十二月変乱の禍根たりしとの次第を開陳したり(三月卅一日時事新報)」と「朝鮮変乱の禍源」の続編であることが示されている。全部で約1900文字で語彙・文体からは福沢作と断定できず、あえて言えば中上川の文体に似ている(注11)。この「朝鮮国の独立」の内容を項目化すると次のようになる。
(1)朝鮮の独立を支持する。
(2)事大党員の功名心が朝鮮変乱の原因であるのは「朝鮮変乱の禍源」に書いたとおりである。
(3)だが甲申政変で事大党有力6大臣が独立党により暗殺されてしまったため、現政権の中心人物は、金宏集・金允権・魚允中ら穏健派ともいうべき人々になっている。
(4)さらに南人党(大院君党)という頑迷な集団があるが、今回の政変後に清国が介入してきたのを見て、にわかに独立精神を発揮し始めた。
(5)清国により幽閉中の大院君については独立党も朝鮮独立の象徴として担ぐことを検討していた。
(6)今後大院君帰還運動を中心に再び独立運動が盛り上がる可能性があるが、何分朝鮮政府には軍事力も資金力もない。
(7)当面は外国の協力を得るよう務めることで将来の独立を実現することが望まれる。
ここで朝鮮の独立を支持する外国とは、まずは米国が想定されている。というのは、1885年4月現在では甲申政変の失敗により親日派独立党が壊滅してしまったため、日本が介入できる状況ではなくなっていたからである。
ところでこの、「朝鮮国の独立を支持する」という時事新報社説2編は現行版の『福沢諭吉全集』で未収録となっている。そうなった理由はおそらく、日本による韓国併合から22年後という『福沢諭吉伝』が刊行された1932年の現実と背馳するからなのである。
4. 福沢健全期『時事新報』中の朝鮮関連社説
ここで『時事新報』中の朝鮮関連社説とは、同紙「時事新報」欄(社説欄と通称)に掲載された論説のうち、朝鮮(韓)に言及しているもの総てをさす。『時事大勢論』(1882)から『実業論』(1893)までの単行本は「時事新報」欄に掲載されたので社説に属するが、『福翁百話』(1896)以降の著作は特別欄掲載のため含まれない。
現行版『全集』収録分については第21巻所収の「福沢諭吉年譜」による。『時事新報』掲載社説のうち、「朝鮮」「韓」(または朝鮮の地名)が表題に使用されているものを中心に採録した。全文検索は個人では実際上不可能であるため、「朝鮮」や「韓」が使用されている全集収録済の社説は他にもあると推測できる。全集未収録社説については平山洋のサイト「福沢健全期『時事新報』社説起草者判定」の語彙検索(朝鮮・韓)による。こちらは機械的に選別されるので全部である。
社説はあくまで法人『時事新報』の見解であるから、すべてが福沢の個人的意見と一致するわけではない。ただ1892年春までの社説は福沢の個人的意見とほぼ同じであるというのが論者の見解(注12)であり、また学界の共通理解でもある。
朝鮮に言及している福沢の署名著作と併せてこれらの無署名社説を通覧すると、福沢(時事新報)の朝鮮観がどのようなものであったかが浮き彫りとなる。
福沢健全期(1882~1898)『時事新報』の朝鮮関連社説一覧
掲載年月日 | 社説題名 | 全集収録状況 | 使用地名 朝鮮関連 | 使用地名 中国関連 | 使用地名 その他 |
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18820309 | 朝鮮国の変乱 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18820311 | 朝鮮の交際を論ず | ⑧28 | 朝鮮 | ||
18820420 | 花房公使赴任 | 全集未収録 | |||
18820425 | 朝鮮元山の変報 | ⑧83 | 朝鮮 | ||
18820508 | 朝鮮国元山津の近況 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18820512 | 朝鮮政府へ要求す可し | ⑧96 | 朝鮮 | ||
18820731 | 朝鮮の変事(1) | ⑧243 | 朝鮮 | ||
18820801 | 朝鮮の変事(2) | ⑧247 | 朝鮮 | ||
18820802 | 朝鮮政略(1) | ⑧251 | 朝鮮 | ||
18820803 | 朝鮮政略(2) | ⑧254 | 朝鮮 | ||
18820804 | 朝鮮政略(3) | ⑧256 | 朝鮮 | ||
18820805 | 朝鮮政略備考(1) | ⑧275 | 朝鮮 | ||
18820807 | 朝鮮事変続報 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18820808 | 朝鮮事変続報余論(1) | ⑧264 | 朝鮮 | ||
18820809 | 朝鮮事変続報余論(2) | ⑧267 | 朝鮮 | ||
18820810 | 朝鮮事変続報余論(3) | ⑧270 | 朝鮮 | ||
18820811 | 朝鮮政略備考(2) | ⑧277 | 朝鮮 | ||
18820812 | 朝鮮政略備考(3) | ⑧299 | 朝鮮 | ||
18820814 | 朝鮮政略備考(4) | ⑧282 | 朝鮮 | ||
18820815 | 大院君の政略(1) | ⑧285 | |||
18820816 | 大院君の政略(2) | ⑧288 | |||
18820817 | 人和論 | 全集未収録 | |||
18820818 | 出兵の要 | ⑧290 | |||
18820819 | 朝鮮の事に関して新聞紙を論ず | ⑧294 | 朝鮮 | ||
18820821 | 日支韓三国の関係(1) | ⑧296 | 韓 | 支 | 日 |
18820822 | 花房公使入京の電報 | 全集未収録 | |||
18820823 | 日支韓三国の関係(2) | ⑧298 | 韓 | 支 | 日 |
18820824 | 日支韓三国の関係(3) | ⑧301 | 韓 | 支 | 日 |
18820825 | 日支韓三国の関係(4) | ⑧303 | 韓 | 支 | 日 |
18820826 | 兵を用るは強大にして速なるを貴ぶ | ⑳240 | |||
18820828 | 竹添大書記官帰京 | 全集未収録 | |||
18820902 | 偶感 | 全集未収録 | |||
18820904 | 朝鮮事件談判の結果 | ⑧326 | 朝鮮 | ||
18820905 | 馬建忠大院君を以して帰る | 全集未収録 | |||
18820906 | 朝鮮新約の実行 | ⑧330 | 朝鮮 | ||
18820907 | 朝鮮交際の多事に処するの政略如何 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18820908 | 朝鮮の償金五十万円 | ⑧334 | 朝鮮 | ||
18820918 | 朝鮮談判後急施を要するの件々 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18820919 | 支那政府の挙動 | 全集未収録 | 支那 | ||
18820920 | 帝室費 | 全集未収録 | |||
18820926 | 不愉快なる地位 | 全集未収録 | |||
18820927 | 朝鮮滞在の兵員 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18820928 | 花房弁理公使朝鮮より帰る | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18821002 | 韓地死傷者の扶助 | 全集未収録 | 韓 | ||
18821020 | 真宗の運命久しからず | 全集未収録 | |||
18821100 | 兵論(署名入単行本・連載0909~1018・全18回) | ⑤297 | |||
18821201 | 日本支那の関係 | 全集未収録 | 支那 | 日本 | |
18821214 | 朝鮮開国の先鞭者は誰そ | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18821222 | 朝鮮の独立覚束なし | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18821228 | 政治社会の多事 | 全集未収録 | |||
18830110 | 参議長を置くの風説 | 全集未収録 | |||
18830111 | 牛場卓造君朝鮮に行く(1) | ⑧497 | 朝鮮 | ||
18830112 | 牛場卓造君朝鮮に行く(2) | ⑧500 | 朝鮮 | ||
18830113 | 牛場卓造君朝鮮に行く(3) | ⑧503 | 朝鮮 | ||
18830117 | 支那朝鮮の関係(1) | ⑧507 | 朝鮮 | 支那 | |
18830118 | 支那朝鮮の関係(2) | ⑧510 | 朝鮮 | 支那 | |
18830119 | 支那朝鮮の関係(3) | ⑧513 | 朝鮮 | 支那 | |
18830313 | 朝鮮国を如何すべきや | ⑧579 | 朝鮮 | ||
18830314 | 仁川の定期航海速に開かさる可らず | 全集未収録 | 仁川 | ||
18830423 | 永遠無窮人後に瞠若たらんとするか | 全集未収録 | |||
18830514 | 支那人の朝鮮策略果して如何 | 全集未収録 | 支那 | ||
18830525 | 支那果して東京を争ふの決意あるか | 全集未収録 | 支那 | ||
18830528 | 日本人は果して朝鮮の誘導者たるか | 全集未収録 | 朝鮮 | 日本 | |
18830601 | 朝鮮政略の急は我資金を彼に移用するに在り | ⑨5 | 朝鮮 | ||
18830602 | 日本の資本を朝鮮に移用するも危険あることなし | ⑨7 | 朝鮮 | 日本 | |
18830605 | 朝鮮国に資本を移用すれば我を利すること大なり | ⑨10 | 朝鮮 | ||
18830706 | 清仏の談判如何 | 全集未収録 | 清 | 仏 | |
18830707 | 仁川居留貿易商人の地位 | 全集未収録 | 仁川 | ||
18830710 | 清仏の和戦如何 | 全集未収録 | 清 | 仏 | |
18830809 | 朝鮮開国の名誉米国人に帰せんとす | 全集未収録 | 朝鮮 | 米国 | |
18830827 | 支那の両政党 | 全集未収録 | 支那 | ||
18830903 | 支那は能く為すことなきなり | 全集未収録 | 支那 | ||
18830921 | 朝鮮政務監理の派遣如何 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18831022 | 安南朝鮮地を換へば如何なりしか | ⑨222 | 朝鮮 | 安南 | |
18831023 | 朝鮮国に於て日本人民貿易の規則並に税則 | 全集未収録 | 朝鮮 | 日本 | |
18831211 | 朝鮮国との貿易手続 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18831220 | 英独両国の朝鮮条約は我日本人民に何等の関係あるか | 全集未収録 | 朝鮮 | 英独日本 | |
18840407 | 帝国支那政府是より將さに多事ならんとす | 全集未収録 | 支那 | ||
18840408 | 公使皆其任に在らず | 全集未収録 | |||
18840414 | 支那政府軍機大臣の更迭 | 全集未収録 | 支那 | ||
18840422 | 眼を朝鮮に注ぐべし | ⑨466 | 朝鮮 | ||
18840509 | 支那政府の更迭並に安南事件 | 全集未収録 | 支那 | 安南 | |
18840510 | 仏国公使将に北京に入らんとす | 全集未収録 | 北京 | 仏国 | |
18840516 | 仏蘭西支那両国間の和約成る | 全集未収録 | 支那 | 仏蘭西 | |
18840623 | 英韓条約は日本人に直接の関係あり | 全集未収録 | 韓 | 英日本 | |
18840624 | 朝鮮人は英韓条約を何と心得るや | 全集未収録 | 朝鮮 | 英 | |
18840818 | 腐敗正に極まる | 全集未収録 | |||
18840820 | 支那国の運命 | 全集未収録 | 支那 | ||
18840825 | 我国の局外中立 | 全集未収録 | |||
18841018 | 東隣の大統領 | 全集未収録 | |||
18841210 | 朝鮮の貿易 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18841215 | 朝鮮事変 | ⑩137 | 朝鮮 | ||
18841216 | 何は差し置き保護せざるべからず | 全集未収録 | |||
18841217 | 朝鮮国に日本党なし | ⑩141 | 朝鮮 | 日本 | |
18841222 | 朝鮮革命政府の計画 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18841223 | 朝鮮事変の処分法 | ⑩147 | 朝鮮 | ||
18841225 | 人に敬畏せられざれば国重からず | 全集未収録 | |||
18841229 | 栄辱の决する所此一挙に在り | 全集未収録 | |||
18850105 | 談判は有形の実物を以て結了すること緊要なり | 全集未収録 | |||
18850106 | 和戦共に支那を侮る可らず | 全集未収録 | 支那 | ||
18850107 | 日本を誣ひ日本を瞞着す | 全集未収録 | 日本 | ||
18850109 | 国交際に外陪臣あるの筈なし | 全集未収録 | |||
18850110 | 二度の朝鮮事変 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18850112 | 日本男児は人に倚りて事を為さず | 全集未収録 | 日本 | ||
18850113 | 朝鮮丈は片付きたり | ⑩187 | 朝鮮 | ||
18850116 | 支那の暴兵は片時も朝鮮の地に留む可らず | 全集未収録 | 朝鮮 | 支那 | |
18850123 | 京城駐在日支の兵は如何す可きや | 全集未収録 | 京城 | 支 | 日本 |
18850127 | 天下の大勢 | 全集未収録 | |||
18850128 | 主戦非戦の別 | 全集未収録 | |||
18850130 | 外交政治社会の日月 | 全集未収録 | |||
18850202 | 国権拡張は政府の基礎たり | 全集未収録 | |||
18850203 | フウト公使来る | 全集未収録 | |||
18850204 | 支那との談判 | 全集未収録 | 支那 | ||
18850209 | 日清事件と仏清事件 | 全集未収録 | 清 | 仏日 | |
18850210 | 在京城支那兵の撤回 | 全集未収録 | 京城 | 支那 | |
18850211 | 正当防御怠るべからす | 全集未収録 | |||
18850212 | 日本を知らざるの罪なり | 全集未収録 | 日本 | ||
18850213 | 朝鮮に行く日本公使の人撰 | 全集未収録 | 朝鮮 | 日本 | |
18850214 | 未だ安心す可からす | 全集未収録 | |||
18850216 | 朝鮮使節来る | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18850217 | 支那談判に付き文明諸国人は必ず我意見を賛成す可し | 全集未収録 | 支那 | ||
18850221 | 留めんか遣らんか | 全集未収録 | |||
18850223 | 朝鮮独立党の処刑(1) | ⑩221 | 朝鮮 | ||
18850224 | 遣清大使 | 全集未収録 | 清 | ||
18850225 | 北京の談判 | 全集未収録 | 北京 | ||
18850226 | 朝鮮独立党の処刑(2) | ⑩224 | 朝鮮 | ||
18850228 | 要求の程度は害辱の量に準ず | 全集未収録 | |||
18850303 | 外交事情報道の必要 | 全集未収録 | |||
18850304 | 京城の支那兵は如何して引く可きや | 全集未収録 | 京城 | 支那 | |
18850307 | 条約改正と北京の談判 | 全集未収録 | 北京 | ||
18850310 | 日清談判、英国の喜憂 | 全集未収録 | 清 | 英国日 | |
18850313 | 不換紙幣 | 全集未収録 | |||
18850316 | 脱亜論 | ⑩238 | |||
18850319 | 朝鮮国 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18850321 | 仏国未来の成算果して如何 | 全集未収録 | 仏国 | ||
18850324 | 朝鮮の近状 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18850331 | 朝鮮変乱の禍源 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18850402 | 朝鮮国の独立 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18850403 | 仏国内閣の更迭其影響如何 | 全集未収録 | 仏国 | ||
18850406 | 仏国内閣の更迭 | 全集未収録 | 仏国 | ||
18850409 | ご発輦近きに在り | 全集未収録 | |||
18850410 | 支那将官の罪 | 全集未収録 | 支那 | ||
18850411 | 朝鮮国の始末も亦心配なる哉 | ⑩253 | 朝鮮 | ||
18850414 | 英国と魯国 | 全集未収録 | 英国魯国 | ||
18850427 | 此不景気を如何せん | 全集未収録 | |||
18850529 | 独逸国の着実極まるは如何ん | 全集未収録 | 独逸 | ||
18850627 | 巨文島に関する朝鮮政府の処置 | ⑩312 | 巨文島 | ||
18850630 | 九州までの鉄道 | 全集未収録 | 九州 | ||
18850722 | 己れを知らざる者は危し | 全集未収録 | |||
18850813 | 朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す | ⑩379 | 朝鮮 | ||
18850825 | 日本国の工芸 | 全集未収録 | 日本 | ||
18850829 | 処世の覚悟 | 全集未収録 | |||
18850924 | 大院君の帰国 | ⑩436 | |||
18851001 | 井上角五郎氏再び朝鮮に赴かんとす | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18851022 | 開国雑居一日も遅疑すべからず | 全集未収録 | |||
18851030 | 朝鮮の大院君帰国したり(1) | ⑩455 | 朝鮮 | ||
18851031 | 朝鮮の大院君帰国したり(2) | ⑩458 | 朝鮮 | ||
18851113 | 日本今日の外国交通は未だ十分ならず | 全集未収録 | 日本 | ||
18851212 | 支那人の挙動 | 全集未収録 | 支那 | ||
18851218 | 朝鮮の多事 | ⑩497 | 朝鮮 | ||
18851219 | 朝鮮の事 | ⑩499 | 朝鮮 | ||
18860106 | 朝鮮国小なるも日本との関係は小ならず | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18860107 | 敵は国外に在り | 全集未収録 | |||
18860114 | 請ふ其次を聞かん | 全集未収録 | |||
18860121 | 支那人の英断 | 全集未収録 | 支那 | ||
18860225 | 山県伯沖縄県に出張す | 全集未収録 | 沖縄 | ||
18860306 | 朝鮮事情 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18860731 | 去就進退を決すべし | 全集未収録 | |||
18860804 | 日本酒税 | 全集未収録 | 日本 | ||
18860811 | 金玉均氏 | ⑪79 | |||
18860823 | 目下新聞紙の記事論説は如何して可ならん | 全集未収録 | |||
18860825 | 小笠原島の金玉均氏 | ⑪88 | |||
18860827 | 支那外交官に一言 | 全集未収録 | 支那 | ||
18860901 | 支那人の活溌なるは文明の利器に由るものなり | 全集未収録 | 支那 | ||
18860904 | 政策二つ進むと退くとのみ | 全集未収録 | |||
18860908 | 朝鮮の国難は日本の国難なり | 全集未収録 | 朝鮮 | 日本 | |
18860909 | 直に釜山京城間の電線を架設せしむ可し | 全集未収録 | 釜山京城 | ||
18860910 | 朝鮮の内憂は日清両国の福に非ず | 全集未収録 | 朝鮮 | 清 | 日 |
18860917 | 太平洋電線は小笠原島を経るを要す | 全集未収録 | 小笠原 | ||
18860924 | 露国の攻略 | 全集未収録 | 露国 | ||
18861006 | 朝鮮人の小計略は日本人の患なり | 全集未収録 | 朝鮮 | 日本 | |
18861015 | 外交の軽重は実利に在て存す | 全集未収録 | |||
18861019 | 支那の交際亦難い哉 | 全集未収録 | 支那 | ||
18861103 | 商売社会の安寧は重んぜざる可らず | 全集未収録 | |||
18861222 | 日本人と支那人 | 全集未収録 | 支那 | 日本 | |
18861223 | 独逸の東洋政略如何 | 全集未収録 | 独逸 | ||
18870106 | 朝鮮は日本の藩屏なり | ⑪175 | 朝鮮 | 日本 | |
18870129 | 巨文島抛棄の事如何 | 全集未収録 | 巨文島 | ||
18870203 | 長崎事件、支那の外交官に告ぐ | 全集未収録 | 支那 | 長崎 | |
18870512 | 養蚕論 | 全集未収録 | |||
18870525 | 閔泳翊氏復た朝鮮に帰り来らんとす | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18870924 | 支那朝鮮の外国交際 | 全集未収録 | 朝鮮 | 支那 | |
18880127 | 米価論 | 全集未収録 | |||
18880402 | 名を好むの熱欲を節す可し | 全集未収録 | |||
18880529 | 肥料論 | 全集未収録 | |||
18881123 | 在外公館の数 | 全集未収録 | |||
18881214 | 東洋問題 | 全集未収録 | |||
18881217 | 東洋問題(一昨日の続) | 全集未収録 | |||
18890107 | 朝鮮の独立 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18890522 | 巴奈馬地峽開鑿工事の中止を憾む | 全集未収録 | 巴奈馬 | ||
18891216 | 国帽の説 | 全集未収録 | |||
18900212 | 朝鮮の防穀事件 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18900513 | 商業上の国是、英吉利の事例 | 全集未収録 | 英吉利 | ||
18900604 | 朝鮮近海不穩の風説 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18900916 | 鉄道攻略一新を期す可し | 全集未収録 | |||
18910322 | 露国皇太子の来遊 | 全集未収録 | 露国 | ||
18910329 | 朝鮮国王の廃立 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18910927 | 朝鮮の警鐘を敏捷ならしむ可し | ⑬195 | 朝鮮 | ||
18910930 | 海軍士官養成に就て | 全集未収録 | |||
18911128 | 鉄道買上 | 全集未収録 | |||
18920624 | 朝鮮の変乱 | ⑬400 | 朝鮮 | ||
18920712 | 决して安んず可らず | 全集未収録 | |||
18920714 | 避暑旅行 | 全集未収録 | |||
18920715 | 北海道の漫遊 | 全集未収録 | 北海道 | ||
18920719 | 一大英断を要す(1) | ⑬412 | |||
18920720 | 一大英断を要す(2) | ⑬415 | |||
18920825 | 朝鮮政略は他国と共にす可らず | ⑬463 | 朝鮮 | ||
18920925 | 多を望まず | 全集未収録 | |||
18921215 | 朝鮮国紙幣の発行 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18930418 | 朝鮮の政情 | ⑭29 | 朝鮮 | ||
18930419 | 閔族の地位 | ⑭31 | |||
18930517 | 防穀事件の談判 | ⑭51 | |||
18930518 | 防穀の談判急にす可し | ⑭54 | |||
18930519 | 談判の結局如何 | ⑭56 | |||
18930520 | 両国民相接するの機会を開く可し | ⑭59 | |||
18930523 | 朝鮮談判、大石公使の挙動 | ⑭61 | 朝鮮 | ||
18930604 | 朝鮮の近情 | ⑭66 | 朝鮮 | ||
18930608 | 大に対韓の手段を定む可し | 全集未収録 | 韓 | ||
18930815 | 清韓居留民を安からしむ可し | 全集未収録 | 韓 | 清 | |
18930823 | 方今の対外思想 | 全集未収録 | |||
18930827 | 御巡幸の屡ばならんことを祈る | 全集未収録 | |||
18930910 | 多策却似総無策 | 全集未収録 | |||
18940209 | 進取と平和 | 全集未収録 | |||
18940330 | 金玉均氏 | ⑭330 | |||
18940413 | 金玉均暗殺に付き清韓政府の処置 | ⑭339 | 韓 | 清国 | |
18940419 | 韓人の治安妨害 | ⑭347 | 韓 | ||
18940426 | 一刀両断、事の結末を告ぐ可し | 全集未収録 | |||
18940427 | 感情を一掃す可し | 全集未収録 | |||
18940530 | 朝鮮東学党の騒動に就て | ⑭386 | 朝鮮 | ||
18940607 | 新聞記事取締の注意 | 全集未収録 | |||
18940608 | 朝鮮事件と山陽鉄道 | ⑭395 | 朝鮮 | ||
18940610 | 朝鮮の独立と所属と | ⑭399 | 朝鮮 | ||
18940612 | 京城釜山間の通信を自由ならしむ可し | ⑭402 | 京城釜山 | ||
18940616 | 韓廷の策略に誤らるること勿れ | 全集未収録 | 韓 | ||
18940617 | 朝鮮の文明事業を助長せしむ可し | ⑭410 | 朝鮮 | ||
18940623 | 我兵の操練に就き | 全集未収録 | |||
18940624 | 支那兵増発の目的如何 | 全集未収録 | 支那 | ||
18940626 | 彼れ果して何を為さんとするか | 全集未収録 | |||
18940627 | 朝鮮問題の関係廣し | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18940628 | 支那人の心算齟齬せざるや否や | 全集未収録 | 支那 | ||
18940630 | 速に韓廷と相談を遂ぐ可し | ⑭430 | 韓 | ||
18940701 | 釜山京城閒の鉄道速に着手す可し | 全集未収録 | 釜山京城 | ||
18940704 | 兵力を用るの必要 | ⑭434 | |||
18940705 | 土地は併呑す可らず国事は改革す可し | ⑭436 | |||
18940706 | 改革の着手は猶予す可らず | ⑭439 | |||
18940711 | 在韓軍人の糧食に就き | 全集未収録 | 韓 | ||
18940712 | 朝鮮の改革は支那人と共にするを得ず | ⑭451 | 朝鮮 | 支那 | |
18940713 | 朝鮮の改革掛念す可きものあり | ⑭454 | 朝鮮 | ||
18940715 | 朝鮮改革の手段 | ⑭460 | 朝鮮 | ||
18940718 | 故岩倉公の紀念に就て | 全集未収録 | |||
18940719 | 袁世凱を退去せしむること容易ならず | 全集未収録 | |||
18940724 | 支那朝鮮両国に向て直に戦を開く可し | ⑭479 | 朝鮮 | 支那 | |
18940731 | 平和を破る者は支那政府なり | 全集未収録 | 支那 | ||
18940808 | 日本人の天職 | 全集未収録 | |||
18940822 | 清国当局者の感如何 | 全集未収録 | 清国 | ||
18940907 | 朝鮮の改革に因循す可らず | ⑭555 | 朝鮮 | ||
18940912 | 朝鮮の改革難 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18940918 | 平壌陥りたり | ⑭568 | 平壌 | ||
18940920 | 朝鮮の刑罰 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18940929 | 朝鮮の独立 | ⑭580 | 朝鮮 | ||
18941010 | 文明の要素 | 全集未収録 | |||
18941011 | 有志の壮丁を使用す可し | 全集未収録 | |||
18941014 | 井上伯の朝鮮行 | ⑭597 | 朝鮮 | ||
18941016 | 井上伯の渡韓を送る | ⑭600 | 韓 | ||
18941024 | 朝鮮改革と井上伯 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18941103 | 朝鮮国の革新甚だ疑ふ可し | ⑭624 | 朝鮮 | ||
18941106 | 朝鮮の警察組織 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18941108 | 十数年来の戦勝 | 全集未収録 | |||
18941109 | 朝鮮政府は何が故に朴徐輩を疎外するや | ⑭631 | 朝鮮 | ||
18941111 | 朝鮮の改革 | ⑭634 | 朝鮮 | ||
18941120 | 朝鮮の改革その機会に後るる勿れ | ⑭647 | 朝鮮 | ||
18941121 | 黄海戦評 | 全集未収録 | 黄海 | ||
18941123 | 朝鮮国の弊事(1) | ⑭649 | 朝鮮 | ||
18941124 | 朝鮮国の弊事(2) | ⑭651 | 朝鮮 | ||
18941125 | 旅順口の占領 | 全集未収録 | 旅順 | ||
18941128 | 朝鮮国の弊事(3) | ⑭654 | 朝鮮 | ||
18941207 | 奴婢の事/内官の事 | 全集未収録 | |||
18941208 | 軍国の急務 | 全集未収録 | |||
18941212 | 朝鮮人の教育 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18941218 | 降伏を納めゝに必要の一事 | 全集未収録 | |||
18941219 | 旅順に海底電信を通す可し | 全集未収録 | 旅順 | ||
18941221 | 講和の覚悟如何 | 全集未収録 | |||
18950101 | 明治二十八年 | 全集未収録 | |||
18950105 | 朝鮮の改革に外国の意向を憚る勿れ | ⑮11 | 朝鮮 | ||
18950106 | 昨年中の帝国議会と將来の政策 | 全集未収録 | |||
18950115 | 朝鮮の公債は我政府之を貸附す可し | ⑮18 | 朝鮮 | ||
18950122 | 東洋の平和 | 全集未収録 | |||
18950123 | 戦勝、偶然ならず | 全集未収録 | |||
18950130 | 貿易の好況 | 全集未収録 | |||
18950210 | 局外国の干渉 | 全集未収録 | |||
18950216 | 支那には敗算もなし | 全集未収録 | 支那 | ||
18950226 | 朝鮮国債に就て | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18950313 | 朝鮮の近況 | ⑮98 | 朝鮮 | ||
18950314 | 朝鮮政府の改革 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18950414 | 戦争の功績と外交の伎倆 | 全集未収録 | |||
18950419 | 外国干渉の説は無実なり | 全集未収録 | |||
18950501 | 万里の長城 | 全集未収録 | |||
18950528 | 外交の大方針を定む可し | 全集未収録 | |||
18950611 | 東洋に於ける英露の軋轢 | 全集未収録 | |||
18950613 | 国民の感情 | 全集未収録 | |||
18950614 | 朝鮮問題 | ⑮188 | 朝鮮 | ||
18950626 | 英政府の更迭 | 全集未収録 | |||
18950705 | 朝鮮の独立ますます扶植す可し | ⑮218 | 朝鮮 | ||
18950713 | 在韓日本人の取締を厳にす可し | ⑮230 | 韓 | ||
18950714 | 朝鮮の処分如何 | ⑮232 | 朝鮮 | ||
18950717 | 市内の電氣鉄道 | 全集未収録 | |||
18950719 | 朝鮮人を教育風化す可し | ⑮237 | 朝鮮 | ||
18950914 | 軍備拡張の真意 | 全集未収録 | |||
18950917 | 去年今日 | 全集未収録 | |||
18950918 | 朝鮮の商売に注意す可し | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18951011 | 世界周航 | 全集未収録 | |||
18951023 | 朝鮮の独立 | ⑮312 | 朝鮮 | ||
18951026 | 三浦公使等の処分 | 全集未収録 | |||
18951029 | 対韓貿易 | 全集未収録 | 韓 | ||
18951105 | 変後の朝鮮 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18951109 | 私権の保護 | 全集未収録 | |||
18951112 | 責任論 | 全集未収録 | |||
18951113 | 辞職勧告 | 全集未収録 | |||
18951120 | 当局者の心事 | 全集未収録 | |||
18951126 | 総理大臣の進退 | 全集未収録 | |||
18951128 | 朝鮮の近事 | ⑮324 | 朝鮮 | ||
18951207 | 二十八日の京城事変 | ⑮332 | 京城 | ||
18951213 | 中途にして面倒を他に分つ可らず | 全集未収録 | |||
18951221 | 土耳古に交る可し | 全集未収録 | 土耳古 | ||
18960112 | 米国の新勢力 | 全集未収録 | 米国 | ||
18960122 | 半島問題と大陸問題 | 全集未収録 | |||
18960123 | 朝鮮政府に金を貸す可し | ⑮367 | 朝鮮 | ||
18960201 | 政府の精神果して如何 | 全集未収録 | |||
18960206 | 航海奨励法案 | 全集未収録 | |||
18960214 | 京城の事変 | ⑮377 | 京城 | ||
18960215 | 朝鮮政府の転覆 | ⑮379 | 朝鮮 | ||
18960216 | 議会に望む | 全集未収録 | |||
18960220 | 朝鮮新政府の前途 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18960226 | 朝鮮事変の善後策 | ⑮387 | 朝鮮 | ||
18960227 | 朝鮮平和の維持策 | ⑮390 | 朝鮮 | ||
18960301 | 支那の運命 | 全集未収録 | 支那 | ||
18960303 | 対朝鮮の目的 | ⑮392 | 朝鮮 | ||
18960307 | 朝鮮の騒動を如何せん | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18960327 | 朝鮮国王と露国公使・朝鮮の暴徒を鎮圧す可し | 全集未収録 | 朝鮮 | 露国 | |
18960402 | 錬鉄業の計画 | 全集未収録 | |||
18960408 | 朝鮮人自から考ふ可し | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18960505 | 一種の鎖国説 | 全集未収録 | |||
18960509 | 朝鮮に対する政策 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18960605 | 朝鮮駐在の守備隊 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18960704 | 外交向背の機会 | 全集未収録 | |||
18960901 | 米国の銀論 | 全集未収録 | 米国 | ||
18961027 | 先づ朝鮮より始む可し | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18961210 | 武尊商卑 | 全集未収録 | |||
18970103 | 楽天主義 | 全集未収録 | |||
18970107 | 古風の人物を用ふ可らず | 全集未収録 | |||
18970226 | 露清韓駐在公使 | 全集未収録 | 韓 | 清 | 露 |
18970411 | 布哇移住民拒絶事件 | 全集未収録 | 布哇 | ||
18970425 | 銀価下落と支那貿易 | 全集未収録 | 支那 | ||
18970428 | 露兵傭聘の議に就て | 全集未収録 | 露 | ||
18970507 | 伊藤博文氏の欧行・列国の去就・変死者の始末 | 全集未収録 | |||
18971002 | 台湾の事急なり | 全集未収録 | 台湾 | ||
18971125 | 内政外交 | 全集未収録 | |||
18971203 | 国家の大事、元老の合同 | 全集未収録 | |||
18971219 | 日本の文明未だ誇るに足らず | 全集未収録 | 日本 | ||
18971226 | 露国の挙動 | 全集未収録 | 露国 | ||
18980106 | 応急の用意 | 全集未収録 | |||
18980107 | 貨幣法実施の結果 | 全集未収録 | |||
18980116 | 膠州湾の割讓 | 全集未収録 | 膠州湾 | ||
18980301 | 外交上の進退 | 全集未収録 | |||
18980329 | 政府の責任重し | 全集未収録 | |||
18980428 | 対韓の方針 | ⑯326 | 韓 | ||
18980429 | 対韓の方略 | ⑯329 | 韓 | ||
18980504 | 朝鮮独立の根本を養ふ可し | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18980512 | 京釜鉄道は朝鮮文明の先駆なり | 全集未収録 | 朝鮮京釜 | ||
18980514 | 朝鮮に銀行を設立す可し | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18980515 | 朝鮮移民に付き僧侶の奮発を望む | ⑯344 | 朝鮮 | ||
18980521 | 外資輸入の制限を解く可し | 全集未収録 | |||
18980531 | 同盟と海軍・航海奨励の一法 | 全集未収録 | |||
18980706 | 朝鮮沿海の漁業 | 全集未収録 | 朝鮮 | ||
18980910 | 外交は如何 | 全集未収録 | |||
18980917 | 酒精並に外国酒の輸入 | 全集未収録 | |||
18980928 | 支那の政変に就て | 全集未収録 | 支那 |
以上が「福沢健全期(1882~1898)『時事新報』の朝鮮関連社説一覧」であるが、本節冒頭にも書いたように、完璧な採録ではない。また、平山洋のサイト「福沢健全期『時事新報』社説起草者判定」と現行版『全集』「時事新報論集」からの社説抽出は掲載日毎だが、署名著作掲載分については単行本全体の表題のみの表示である。例えば1882年11月刊行の『兵論』は、9月9日初回掲載、10月18日最終回の全18回であるが、各回の掲載日を示すことはなく、刊行月での一括表示となっている。
5. 朝鮮関連社説の論調の変遷
前節でも述べたように、朝鮮関連社説一覧は完璧ではないとはいえ、それでも論調の傾向を探る客観性は備えている。まずは一覧に掲げられた社説の総日数は404日分あり、これは健全期の全号数の約7.5%にあたる。均してみると読者は2週間に1回は朝鮮に言及した社説を目にしていたということになるが、実際のところ掲載の頻度にははなはだしいばらつきがある。
掲載年毎の朝鮮関連社説の掲載数
掲載年 | 全日数 | 全集収録済 | 全集未収録 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1882 | 67 | 45 | 22 | 10か月分・7月壬午軍乱 |
1883 | 27 | 11 | 16 | |
1884 | 21 | 4 | 17 | 12月甲申政変 |
1885 | 64 | 12 | 52 | |
1886 | 25 | 2 | 23 | |
1887 | 6 | 1 | 5 | |
1888 | 6 | 0 | 6 | |
1889 | 3 | 0 | 3 | |
1890 | 4 | 0 | 4 | |
1891 | 5 | 1 | 4 | |
1892 | 8 | 3 | 5 | |
1893 | 13 | 8 | 5 | |
1894 | 60 | 28 | 32 | 3月東学党の乱・7月日清戦争開始 |
1895 | 42 | 11 | 31 | |
1896 | 24 | 6 | 18 | |
1897 | 12 | 0 | 12 | |
1898 | 17 | 3 | 14 | 9か月分 |
計 | 404 | 135 | 269 |
見られるように、壬午軍乱のあった1882年67日分、甲申政変直後の1885年64日分、日清戦争があった1894年60日分、95年42日分となっていて、この4年間だけで合計233日分、全体の58%を占めている。その一方、甲申政変の事後処理が終息した1886年から日清戦争が始まる前年である1893年までの8年間は合計で70日分(17%)にすぎず、とりわけ1887年から1892年までの6年に絞ると32日分(8%)にまで減ってしまう。1887年に中上川主筆が退任したためこの時期の福沢は『時事新報』の論調に深く関係していたのであるが、当時の朝鮮政府が日本と対立する事大党によって運営されていたため、言及する意欲を失っていたのではないか、といううがった見方もできる。
論調の変遷を見るために、全体を8期に区切ることにする。
第Ⅰ期「前壬午軍乱期」―「朝鮮国の変乱」(18820309)~「朝鮮政府へ要求す可し」(18820512)・6日分
第Ⅱ期「壬午軍乱期」―「朝鮮の変事(1)」(18820731)~『兵論』(18821100)・57日分
第Ⅲ期「壬午甲申間期」―「日本支那の関係」(18821201)~「朝鮮の貿易」(18841210)・45日分
第Ⅳ期「甲申政変期」―「朝鮮事変」(18841215)~「朝鮮事情」(18860306)・76日分
第Ⅴ期「対清国牽制期」―「去就進退を決すべし」(18860731)~「支那朝鮮の外国交際」(18870924)・24日分
第Ⅵ期「防穀政策対応期」―「米価論」(18880127)~「多策却以總無策」(18930910)・40日分
第Ⅶ期「日清戦争期」―「進取と平和」(18940209)~「先づ朝鮮より始む可し」(18961027)・126日分
第Ⅷ期「対露国牽制期」―「武尊商卑」(18961210)~「支那の政変に就て」(18980928)・30日分
第Ⅰ期「前壬午軍乱期」は、創刊から3か月のわずか6日分の社説でしかないが、すでにその後30年にわたる朝鮮と日本の間の葛藤を予期させるに十分である。「朝鮮国の変乱」(18820309)は、前年8月に起こった反乱未遂事件の顛末を記した報道で、大院君ら守旧派が当時の閔氏政権の排除を企てて失敗、大院君の長男(高宗国王の異母兄)が処刑されたとある。ほぼ1年後に起こった壬午軍乱と同じ構図の事件であるが、今日の日本で忘れられているのは、攻撃の対象に日本軍の軍事顧問が含まれていなかったためである。
また、「朝鮮元山の変報」(18820425)以下3編は、日本人居留地から不用意に出てしまった日本人が殺傷された事件について扱っていて、「朝鮮政府へ要求す可し」(18820512)では、朝鮮政府に日本人の自由通行と賠償金の請求を行うよう提案している。
第Ⅱ期「壬午軍乱期」は、変の勃発を伝える7月31日付の「朝鮮の変事」から11月の『兵論』刊行までの57日分である。この間はおよそ4か月であるから、ほぼ隔日の頻度で朝鮮関連社説が掲載されていたことになる。
事の発端は給料の未支給に憤った朝鮮の旧式軍の兵士が反乱を起こしたところから始まった。軍乱の過程で新式軍の日本人軍事顧問が殺害されたことにより日本は派兵を検討したが、清国が先に派兵を決めたため断念した。旧式軍を扇動した大院君は閔氏政権の要人を排除して一時は政権を掌握したが、清国軍は大院君を天津に護送して閔氏政権の回復を図った。この軍乱により独立党は勢力を失い、それがまた2年後の甲申政変の原因となった。
社説の論調を見ると全集未収録の「竹添大書記官帰郷」(18820828)から大きく変化している。相手が朝鮮政府のみの最初の4週間は強硬一辺倒だったのに、清国の介入が伝えられて以降弱腰になっているのである。この論調の変化は全集収録済み社説を読んだだけでは看取しにくいが、やはり未収録の社説「朝鮮談判後急施を要するの件々」(18820918)に、大院君の護送後も、「朝鮮の小弱を利して自大の武威を示さんとし、六営三千の兵士は依然として漢城に拠守して、軍艦七隻は自今南陽湾を常所と定め其挙動甚た不審に堪えさるものあ(り)」とあることから、日本の軍事力の劣勢に由来していることがはっきりする。
第Ⅲ期「壬午甲申間期」は、閔氏政権の背後に清国の軍事力があるという中で、独立党の勢力拡大も思うに任せないという状況下での社説群である。注目される朝鮮関連社説としては、「朝鮮の独立覚束なし」(18821222)がまずは挙げられる。文体と語彙からいって社説記者(論説委員・後に天津領事)の波多野承五郎が起筆したと論者は推測する。この社説は1875年以降日本が朝鮮の独立のために尽くしてきたことを記述し、ついで壬午軍乱の結果「朝鮮は内治外交其自主に任ずと云ひしにも抅はらず、近来は公に私に殊更声高に朝鮮為中国之所属と言触らし、朝鮮の政府人民に対しては勿論、我日本政府にも属邦朝鮮の始末は我中国其責に任すべしと迄に申出でしことあり、とか云へり」と清国がますます朝鮮の内政に干渉していることを批判している。とはいえ当時の日本にできることは限られていて、8月26日締結の済物浦条約の結果として公使館警備を目的とする日本軍の駐屯権が認められたくらいである。この乱間期ともいうべき時期の社説は、朝鮮への介入について清国を批判するものと、日本からの投資を奨励するものが多い。
第Ⅳ期「甲申政変期」は「朝鮮事変」(18841215)に始まるが、政変の勃発は12月4日であったから、これは当時としては異例の速報である。その事情は別のところで書いた(注13)が、要するに時事新報社派遣の漢城駐在員井上角五郎が速やかに長崎に避難し、そこから打電した電報が第一報となったのである。後年政治家になった井上は韓国併合後に甲申政変の黒幕を福沢と暴露したが、それは怪しい。とはいえ時事新報の朝鮮への関心は従来から並々ならぬものがあったので、その情報の水準は他紙を圧倒するものがあった。乱後独立党の天下は短期間に終わり、清国軍の介入で閔氏政権は迅速に立て直された。日本と清国の間で結ばれた天津条約は朝鮮を一種の中立地帯とすることが取り決められた。朝鮮領内で捕縛された独立党の協力者への処分は過酷で、その措置を批判する「朝鮮独立党の処刑」(18850223、0225)や「脱亜論」(18850316)が掲載されたのは、閔氏政権による乱の事後処理が行われていた時期であった。
甲申政変の首謀者たちは密かに日本に亡命し、一時期は福沢邸に匿われていたが、当然ながら『時事新報』はその事実に触れていない。そのかわり、ときの朝鮮政府を操縦しているとされた清国への批判記事が多く掲載されている。甲申政変の余波というべき社説は「朝鮮事情」(18860308)まで継続的に載っているが、その後は「去就進退を決すべし」(18860731)まで5か月弱の中断期がある。
第Ⅴ期「対清国牽制期」は、朝鮮への表立った関心が薄れて、その背景となっている清国を牽制する社説が掲載されている時期である。「去就進退を決すべし」(18860731)から「支那朝鮮の外国交際」(18870924)まで24日分あるが、そのうち全集に収録されているのは日本に亡命していた独立党員に取材した「金玉均氏」(18860804)・「小笠原島の金玉均氏」(18860811)と、従来までの持論を繰り返しただけの「朝鮮は日本の藩屏なり」(18870106)の3日分だけである。14か月中の3日分であるから、全集からだけでは『時事新報』は朝鮮に関心を失ったかのようにも見えるわけである。第Ⅴ期と第Ⅵ期の間にも4ヶ月の空白期がある。
第Ⅵ期「防穀政策対応期」は、「米価論」(18880127)から「多策却以総無策」(18930910)までの40日分で、主として朝鮮政府による日本への米穀類禁輸措置である防穀令への対応が扱われている。
防穀令事件は、1889年に朝鮮の地方官が不作となった大豆の日本への輸出を禁止したことが発端になっている。実施の予告期間が短すぎたために損害が発生したとして日本商人は朝鮮政府に賠償を要求したが、その解決は結局1893年まで持ち越された。この事件は日本の議会でも問題となり、対朝鮮強硬派による政府攻撃の材料となった。日本の大石公使は国内の強硬論に押されて外交官としての習慣や儀礼を無視、無茶な強硬方針を以て朝鮮と交渉した。
防穀令をめぐる外交交渉は、日本・朝鮮両政府間にしこりを残した。第Ⅴ期までの論調は、悪いのは清国で朝鮮ではないという主張が目立っていたが、第Ⅵ期には朝鮮政府への不信感を露わにした記事が見られるようになる。全集収録済みの「一大英断を要す」(18920719、0720)(注14)等がそれであるが、一方では未収録の「朝鮮政府の防穀令」(18931028)のように「朝鮮政府の為したることにして日本に不利なるものとあれば、一も二もなく条約違犯なりと称し、碌々事実をも取調べずして始めより喧嘩仕掛の談判を試んとするが如きは、外交策の熱度高きに過るものにして、我輩の同意すること能はざる所なり」と従来と同様の見解が示されている社説もある(注15)。
第Ⅶ期「日清戦争期」は、5か月の中断後「進取と平和」(18940209)に始まる。日本・朝鮮両国民の間に不信感が残っている間に、1894年には3月に上海で金玉均が暗殺されるや5月には東学党の乱(甲午農民戦争)が始まった。閔氏政権の要請により清国軍が朝鮮領内に入ると、日本軍も天津条約によって派兵を行い、両軍は乱の平定後も半島内で対峙することになった。7月末に開戦となり、連日の戦争報道となるが、多くは戦況を伝えるものである。また、この時期となると福沢自身が執筆した社説は少なくなるが、草稿が残存している「土地は併呑す可らず国事は改革す可し」(18940705)(注16)は、朝鮮併合反対論として当時の福沢の考えをよく伝えている。
日清間に講和が成り、朝鮮半島から清国の軍事的政治的影響力が消滅したことによって、朝鮮では独立党を主軸とする政府による改革が進められた。しかし国王高宗は日本の影響下にある政府を嫌ってロシア領事館に移ったことで独立党政府は崩壊し、1896年2月に親露政権が発足した。
第Ⅷ期「対露国牽制期」は、朝鮮政府自体が親露派によって占められていることを前提に、ロシアとの関係を調整しつつ朝鮮(大韓帝国)との交流を再構築しようとしていた時期である。
全集未収録の「露清韓駐在公使」(18970226)には、前外務次官・前駐清国公使の林董が今度は駐露国公使として任地に赴任する旨の報道がなされている。この林は1896年夏に時事新報社社長に就任した福沢捨次郎の義父である。
大韓帝国政府はすでに親露派によって占められていたため、かつてのような直接の関係は結ぶことはできない。そこで紙面には、韓国の独立支援はあきらめて、日本による直接統治を企図するかにも読める「対韓の方針」(18980428)という社説も掲載されるようになる。この社説は福沢が韓国併合容認へと転向した証拠として重要視されている(注17)が、論者の判定では起筆者は石河幹明である。
一方、約1週間後に掲載された全集未収録社説「朝鮮独立の根本を養ふ可し」(18980504)の起草者を福沢と判定する。そこには、「露国人が一時大に尽力して兵事に財政に樣々干渉を逞うして頓に手を収めたるが如き、断じて学ぶ可きに非ず。我輩の本志は唯彼の憐む可き国民の心を開発して文明の門に入らしめ、呼べば答へんと欲する両岸相対して共に天与の幸福を興にせんとするに在るのみ。一国の独立富強は紙上の空論に非ず先だつものは国民の衣食にして、衣食足りて士気も振ふ可し国防も構ず可し」とあって、先ずは韓国人の生活の向上につながる鉄道建設のような投資を行うことで独立心を養うことが肝要であるとしている。
以上が福沢健全期の朝鮮関連社説の論調であるが、論者の見るところ、福沢の主張はその間一貫して朝鮮(韓国)の独立を支援するという点で、ぶれるところはなかったのである。
6.おわりに
最後に「福沢健全期(1882~1898)『時事新報』の朝鮮関連社説一覧」中の社説から読み取れることを項目化したい。
(1)福沢健全期の『時事新報』での朝鮮関連社説は確認できる分だけでも404日分ある。
これは同期間の全社説中のおおよそ7.5%に相当する。キリスト教関連社説が約1%(注18)であったのに比べて同紙の朝鮮への関心は高かったと言うことができる。
(2)全集への採録・非採録を問わず、日本による朝鮮の領有への志向を明確に示す社説は発見できなかった。「脱亜論」(18850316・推定福沢起筆)は清国と朝鮮への不介入を提唱している。大正版収録社説としては異色を放っている「一大英断を要す」(18920719、0720・推定石河起筆)でも、一時しのぎに朝鮮との紛争を起こすべきであるという主張が開陳されているだけである。独立支援をあきらめるという内容の「対韓の方針」(18980428・推定石河起筆)から1週間以内に掲載された全集未収録の「朝鮮独立の根本を養う可し」(18980504・推定福沢起筆)は、朝鮮政府に資金を貸与して鉄道建設を推進することにより独立の基礎とするべきだ、という従来と同じ見解である。
(3)『福沢諭吉の真実』(200408)の刊行まで定説とされてきた、福沢は早くから朝鮮の独立は不可能だと考えていた、という見解は、石河幹明著『福沢諭吉伝』第三巻(1932)中の「朝鮮問題」編に由来している。しかしそこで下敷きにされている社説「対韓の方針」(18980428)には、(2)でも述べたように、より積極的な日本による介入が示唆されているだけである。しかも、その起筆者は、論者の判定では、石河自身であった可能性が高い。
(4)福沢が一貫して希望していたのは日本と同じ価値観を有する独立した朝鮮国であった。その独立朝鮮国と通商や軍事での協定を結ぶことにより、両者にとって利益のある外交関係が築けると福沢は信じていたのである。
【参考文献】
- 慶応義塾(2010)『福沢諭吉事典』慶応義塾
- 竹内好(1961)「日本とアジア」『近代日本思想史講座』第8巻、筑摩書房
- 遠山茂樹(1951)「日清戦争と福沢諭吉」『福沢研究』第6号、福沢研究会
- 西村幸祐(2015)『21世紀の「脱亜論」‐中国・韓国との決別』祥伝社
- 坂野潤治(1981)「解説」『福沢諭吉選集』第7巻、岩波書店
- 平山洋(2004)『福沢諭吉の真実』文芸春秋
- 平山洋(2012)『アジア独立論者福沢諭吉‐脱亜論・朝鮮滅亡論・尊王論をめぐって』ミネルヴァ書房
- 平山洋(2017)『「福沢諭吉」とは誰か‐先祖考から社説真偽判定まで』ミネルヴァ書房
- 福沢諭吉(1959~1964)『福沢諭吉全集』岩波書店
- 福沢諭吉(1933,1934)『続福沢全集』岩波書店
- 福沢諭吉(1925,1926)『福沢全集』国民図書
- 松沢弘陽(1993)『近代日本の形成と西洋経験』岩波書店
- 渡辺利夫(2017)『決定版・脱亜論‐今こそ明治維新のリアリズムに学べ』扶桑社
脚注
- (1)
- 1885年3月16日掲載を示す。
- (2)
- 「日清戦争と福沢諭吉」『福沢研究』第6号(195111・福沢研究会刊)所収。
- (3)
- 「日本とアジア」『近代日本思想史講座』第8巻(196106・筑摩書房刊)所収。
- (4)
- 「解説」『福沢諭吉選集』第7巻(198103・岩波書店刊)所収。
- (5)
- 西村幸祐著『21世紀の「脱亜論」 中国・韓国との訣別』(201504・祥伝社刊)、渡辺利夫著『決定版・脱亜論 今こそ明治維新のリアリズムに学べ』(201712・扶桑社刊)等。
- (6)
- 社説「脱亜論」がいかにして有名になったのかについては、平山洋著『福沢諭吉の真実』(文芸春秋社刊・200408)第5章「何が「脱亜論」を有名にしたのか」を参照のこと。
- (7)
- 『時事新報』創刊の1882年3月1日から福沢が脳卒中に倒れた直後の1898年9月30日までの期間である。
- (8)
- 『福沢諭吉の真実』第3章「検証・石河は誠実な仕事をしたのか」第5節「石河は何を基準にして「時事論集」への採否を決めたのか」を参照のこと。本論文中に掲げた「福沢健全期(1882~1898)『時事新報』中朝鮮関連社説一覧」でも、「朝鮮の独立覚束なし」(18821222)・「朝鮮国の独立」(18850402)・「朝鮮の独立」(18890107)・「朝鮮独立の根本を養ふ可し」(18980504)など朝鮮の独立を明確に支持する社説は採録されていない。
- (9)
- 石河が福沢作の社説をそうと知りながら全集から排除した証拠については平山洋「福沢署名著作の原型について」(『「福沢諭吉」とは誰か‐先祖考から社説真偽判定まで』〔201711・ミネルヴァ書房刊〕所収)を参照のこと。
- (10)
- 本社説は発表者の基準(福沢語彙3語以上を含む)に照らすと、「成跡」「放頓」「入組」の3語彙を含むことにより福沢直筆とみなせる(平山洋「石河幹明入社前『時事新報』社説の起草者推定-明治 15 年 3 月から明治 18 年 3 月まで-」国際関係比較文化研究第 13 巻第 1 号後 1-17 頁〔静岡県立大学刊・201409 〕参照)。また、「デジタルで読む福沢諭吉」で「禍源」「貴顯栄華」「驥尾」「舊套」「譏誉」を検索したところ、いずれも使用例があった。
- (11)
- 本社説は発表者が指定した福沢語彙3つ以上含んではいないため、全文を福沢が書いたと断定することはできない。文体は中上川彦次郎主筆に似ている。あくまで推測だが、福沢自身が書いた「朝鮮変乱の禍源」を手本に、独立党・事大党とも異なる南人党(大院君党)の存在を明らかにすることで、朝鮮人の独立精神の独特な在り方を読者に知らせるよう中上川に指示したとも考えられる。
- (12)
- 『福沢諭吉の真実』第3章第3節「石河が『時事新報』社説で主導権を握った時期はいつか」を参照のこと。
- (13)
- 平山洋著『アジア独立論者福沢諭吉』(201209・ミネルヴァ書房刊)第四章「福沢諭吉は朝鮮甲申政変の黒幕か」参照のこと。
- (14)
- 論者は本社説の執筆者を石河幹明と推定する。『アジア独立論者』第十一章第3節を参照のこと。
- (15)
- この論調の不一致を論者は紙面から手を引きつつあった福沢と関与を強めつつあった石河幹明との持論の違いと見る。
- (16)
- 本社説は石河編の『続全集』に採録されていない。草稿発見により現行版『全集』に収録された。
- (17)
- 松沢弘陽著『近代日本の形成と西洋経験』(199310・岩波書店刊)第Ⅴ章「文明論における「始造」と「独立」」362~366頁。
- (18)
- 平山洋「福沢健全期『時事新報』のキリスト教関連社説」(20190913)キリスト教史学会2019年度大会発表。