福沢健全期(1882~1898)『時事新報』社説における朝鮮

last updated: 2020-02-09

このテキストについて

平山氏の依頼により、 10月19日に奈良県天理市で開催された韓国日本近代学会で の口頭発表 由来の論文「福沢健全期(1882~1898)『時事新報』社説における朝鮮」を アップロードします。

本文

1. はじめに

自らが主宰する新聞『時事新報』(1882年3月1日創刊)で刻々変化していた朝鮮の状況を報じていた福沢諭吉(1835~1901)の作とされる社説に「脱亜論」(18850316(注1)昭和版『続福沢全集』〔1933、34〕岩波書店刊に初所収)がある。1951年の遠山茂樹による初紹介(注2)以降、1961年に竹内好により「有名である」(注3)とされてから、この社説は福沢の帝国主義的野心を示すものとされてきた。その後1981年の坂野潤治による甲申政変支援の敗北宣言とする新解釈(注4)をきっかけに、21世紀に入ってからはむしろ朝鮮への非介入への提言と理解されるようになった(注5)。 

同じ社説が一方で帝国主義的野心を示すものとされたり、また一方で非介入の提言とされたりするのは、ごく短い社説をそれだけのものとして解釈しようとするからである(注6)。福沢の朝鮮観を正確に理解するためには、彼の朝鮮への言及を網羅的にたどる必要がある。

ところがここに大きな問題がある。従来までの研究では『福沢諭吉全集』(現行版〔1959~1964〕岩波書店刊)21巻が使用されるのが通例だが、第7巻までの福沢署名入著作はともかくも、第8巻から第16巻までの「時事新報論集」所収の社説は全部無署名で、その中には先行する昭和版『続福沢全集』の編纂者だった石河幹明を初め、弟子である社説記者が執筆した分が含まれているからである。

そこで本論文は、次の2において2010年代の『時事新報』社説研究の進展を概説し、ついで3では重要と思われる2編の朝鮮関連全集未収録社説を紹介する。そして4では福沢健全期(注7)『時事新報』中の朝鮮関連社説について概観し、5では朝鮮関連社説の論調の変遷をたどる。そして最後の6において本論説により明らかになったことを項目化する。

2. 2010年代の『時事新報』社説研究の進展

論を進める前に『時事新報』社説を福沢の思想とみなす場合の問題について説明したい。従来の福沢研究は現行版『全集』(1959~1964)に基づいて立論されてきたが、そのもとになっている昭和版『続全集』の「時事論集」は弟子の石河幹明が選んだもので、福沢没後の政治的現実と背馳する社説は非採録となる傾向がある(注8)。すなわち、韓国併合(1910)や満州事変(1931)の現実と異なる将来を予想している福沢存命期の社説は、たとえ福沢作の社説でも落とされていて(注9)、結果福沢の朝鮮観に関する研究に歪みを生じさせてきた。現行版『全集』の絶大な権威のため、この問題の真相は明らかにされてこなかったのである。

現行版『全集』の「時事新報論集」への社説採録に関する全面的な疑問を初めて表明したのは平山洋『福沢諭吉の真実』(2004)であった。その内容をかいつまんで述べるならば、事実上の編纂者である石河幹明は無署名である社説を福沢の関与如何によって行ったのではなく、満州事変直後、すなわち1930年代初頭の時代状況に適合的な社説を優先させて採録していたということである(そのため石河幹明著『福沢諭吉伝』〔1932〕と『続全集』〔1933、34〕以後、アジア侵略論者としての福沢という像が強調されるようになった)。要するに現行版『全集』「時事新報論集」の社説採録は出鱈目であり、それだけを読んだところで福沢の真意は分からないのである。

そうであるなら福沢の真意はどこにあるのか。それは『時事新報』バックナンバーの中にある、ということになるが、ごく最近になるまでそれらを読むのは容易ではなかった。縮刷版を所蔵している図書館は少なく、また目当てをつけるための総目録も存在しなかったからである。

この困難な状況は2010年になって劇的に改善された。慶応義塾編『福沢諭吉事典』に「『時事新報』社説・漫言一覧」が掲載され、福沢存命期(1882~1901)社説の全タイトルと全集への採否が明らかになった。また、同時期にネット上で公開された「デジタルで読む福沢諭吉」(慶応義塾主宰)により、福沢名で刊行された全著作(ほぼ現行版『全集』第7巻まで)の語彙検索ができるようになった(このサイトは社説の真偽判定に有益である)。さらに2013年以降、平山を研究代表者とする科研費「福沢健全期『時事新報』社説起草者判定」の進捗により、全集未収録社説のテキスト化とネット上での公開が図られつつあるため、従来まではまったく望み得なかった、全集に入っていない社説の語彙検索が可能となったのである。

3. 朝鮮関連全集未収録社説の発見

こうしてテキスト化された全集未収録の社説群の中から発見されたのが「朝鮮変乱の禍源」(18850331)「朝鮮国の独立」(18850402)の2編で、いずれも「脱亜論」(18850316)の半月後の掲載となっている。1884年12月の甲申政変後の福沢の朝鮮観を知るうえで重要と思われる社説なのでここで紹介したい。

まず「朝鮮変乱の禍源」は、「国あれば人あり。人あれば其国の独立を欲せざるものなし。人類の習慣各国開闢の初より殆と人の性を成して復た変ず可らず。左れば国民独立の精神は必ずしも之を教るに及ばず」に始まる約2400文字で、論者はこの社説を福沢作と判定する(注10)。その内容を項目化するとおおよそ次のようになる。

(1)朝鮮の独立を支持する。

(2)人民の独立を求める心は自然の性で、これは金玉均ら独立党を追い出した事大党も同じである。

(3)にもかかわらず事大党員が清国追従を続けるのは、個人の出世のためである。

(4)旧習を踏襲するだけなので、無能な人間でもよく、そうした人々がポストを得て朝鮮政府に居座っている。

(5)そうした清国追従の無能な人々こそが朝鮮の混乱の原因である。

次に「脱亜論」の半月後に発表された「朝鮮国の独立」であるが、冒頭で「我輩は前日の紙上に於て、朝鮮の事大党が国辱をも忍て自から他の属邦たるを甘んずるは、畢竟その当路者が貴顕の地位を僥倖して、その僥倖を無理に守らんとするの熱心に出てたるものにして、遂に昨年十二月変乱の禍根たりしとの次第を開陳したり(三月卅一日時事新報)」と「朝鮮変乱の禍源」の続編であることが示されている。全部で約1900文字で語彙・文体からは福沢作と断定できず、あえて言えば中上川の文体に似ている(注11)。この「朝鮮国の独立」の内容を項目化すると次のようになる。

(1)朝鮮の独立を支持する。

(2)事大党員の功名心が朝鮮変乱の原因であるのは「朝鮮変乱の禍源」に書いたとおりである。

(3)だが甲申政変で事大党有力6大臣が独立党により暗殺されてしまったため、現政権の中心人物は、金宏集・金允権・魚允中ら穏健派ともいうべき人々になっている。

(4)さらに南人党(大院君党)という頑迷な集団があるが、今回の政変後に清国が介入してきたのを見て、にわかに独立精神を発揮し始めた。

(5)清国により幽閉中の大院君については独立党も朝鮮独立の象徴として担ぐことを検討していた。

(6)今後大院君帰還運動を中心に再び独立運動が盛り上がる可能性があるが、何分朝鮮政府には軍事力も資金力もない。

(7)当面は外国の協力を得るよう務めることで将来の独立を実現することが望まれる。

ここで朝鮮の独立を支持する外国とは、まずは米国が想定されている。というのは、1885年4月現在では甲申政変の失敗により親日派独立党が壊滅してしまったため、日本が介入できる状況ではなくなっていたからである。

ところでこの、「朝鮮国の独立を支持する」という時事新報社説2編は現行版の『福沢諭吉全集』で未収録となっている。そうなった理由はおそらく、日本による韓国併合から22年後という『福沢諭吉伝』が刊行された1932年の現実と背馳するからなのである。

4. 福沢健全期『時事新報』中の朝鮮関連社説

ここで『時事新報』中の朝鮮関連社説とは、同紙「時事新報」欄(社説欄と通称)に掲載された論説のうち、朝鮮(韓)に言及しているもの総てをさす。『時事大勢論』(1882)から『実業論』(1893)までの単行本は「時事新報」欄に掲載されたので社説に属するが、『福翁百話』(1896)以降の著作は特別欄掲載のため含まれない。

現行版『全集』収録分については第21巻所収の「福沢諭吉年譜」による。『時事新報』掲載社説のうち、「朝鮮」「韓」(または朝鮮の地名)が表題に使用されているものを中心に採録した。全文検索は個人では実際上不可能であるため、「朝鮮」や「韓」が使用されている全集収録済の社説は他にもあると推測できる。全集未収録社説については平山洋のサイト「福沢健全期『時事新報』社説起草者判定」の語彙検索(朝鮮・韓)による。こちらは機械的に選別されるので全部である。

社説はあくまで法人『時事新報』の見解であるから、すべてが福沢の個人的意見と一致するわけではない。ただ1892年春までの社説は福沢の個人的意見とほぼ同じであるというのが論者の見解(注12)であり、また学界の共通理解でもある。

朝鮮に言及している福沢の署名著作と併せてこれらの無署名社説を通覧すると、福沢(時事新報)の朝鮮観がどのようなものであったかが浮き彫りとなる。

福沢健全期(1882~1898)『時事新報』の朝鮮関連社説一覧

掲載年月日社説題名全集収録状況使用地名
朝鮮関連
使用地名
中国関連
使用地名
その他
18820309朝鮮国の変乱全集未収録朝鮮
18820311朝鮮の交際を論ず⑧28朝鮮
18820420花房公使赴任全集未収録
18820425朝鮮元山の変報⑧83朝鮮
18820508朝鮮国元山津の近況全集未収録朝鮮
18820512朝鮮政府へ要求す可し⑧96朝鮮
18820731朝鮮の変事(1)⑧243朝鮮
18820801朝鮮の変事(2)⑧247朝鮮
18820802朝鮮政略(1)⑧251 朝鮮
18820803朝鮮政略(2)⑧254朝鮮
18820804朝鮮政略(3)⑧256朝鮮
18820805朝鮮政略備考(1)⑧275朝鮮
18820807朝鮮事変続報全集未収録朝鮮
18820808朝鮮事変続報余論(1)⑧264朝鮮
18820809朝鮮事変続報余論(2)⑧267朝鮮
18820810朝鮮事変続報余論(3)⑧270朝鮮
18820811朝鮮政略備考(2)⑧277朝鮮
18820812朝鮮政略備考(3)⑧299朝鮮
18820814朝鮮政略備考(4)⑧282朝鮮
18820815大院君の政略(1)⑧285
18820816大院君の政略(2)⑧288
18820817人和論全集未収録
18820818出兵の要⑧290
18820819朝鮮の事に関して新聞紙を論ず⑧294朝鮮
18820821日支韓三国の関係(1)⑧296
18820822花房公使入京の電報全集未収録
18820823日支韓三国の関係(2)⑧298
18820824日支韓三国の関係(3)⑧301
18820825日支韓三国の関係(4)⑧303
18820826兵を用るは強大にして速なるを貴ぶ⑳240
18820828竹添大書記官帰京全集未収録
18820902偶感全集未収録
18820904朝鮮事件談判の結果⑧326朝鮮
18820905馬建忠大院君を以して帰る全集未収録
18820906朝鮮新約の実行⑧330朝鮮
18820907朝鮮交際の多事に処するの政略如何全集未収録朝鮮
18820908朝鮮の償金五十万円⑧334朝鮮
18820918朝鮮談判後急施を要するの件々全集未収録朝鮮
18820919支那政府の挙動全集未収録支那
18820920帝室費全集未収録
18820926不愉快なる地位全集未収録
18820927朝鮮滞在の兵員全集未収録朝鮮
18820928花房弁理公使朝鮮より帰る全集未収録朝鮮
18821002韓地死傷者の扶助全集未収録
18821020真宗の運命久しからず全集未収録
18821100兵論(署名入単行本・連載0909~1018・全18回)⑤297
18821201日本支那の関係全集未収録支那日本
18821214朝鮮開国の先鞭者は誰そ全集未収録朝鮮
18821222朝鮮の独立覚束なし全集未収録朝鮮
18821228政治社会の多事全集未収録
18830110参議長を置くの風説全集未収録
18830111牛場卓造君朝鮮に行く(1)⑧497朝鮮
18830112牛場卓造君朝鮮に行く(2)⑧500朝鮮
18830113牛場卓造君朝鮮に行く(3)⑧503朝鮮
18830117支那朝鮮の関係(1)⑧507朝鮮支那
18830118支那朝鮮の関係(2)⑧510朝鮮支那
18830119支那朝鮮の関係(3)⑧513朝鮮支那
18830313朝鮮国を如何すべきや⑧579朝鮮
18830314仁川の定期航海速に開かさる可らず全集未収録仁川
18830423永遠無窮人後に瞠若たらんとするか全集未収録
18830514支那人の朝鮮策略果して如何全集未収録支那
18830525支那果して東京を争ふの決意あるか全集未収録支那
18830528日本人は果して朝鮮の誘導者たるか全集未収録朝鮮日本
18830601朝鮮政略の急は我資金を彼に移用するに在り⑨5朝鮮
18830602日本の資本を朝鮮に移用するも危険あることなし⑨7朝鮮日本
18830605朝鮮国に資本を移用すれば我を利すること大なり⑨10朝鮮
18830706清仏の談判如何全集未収録
18830707仁川居留貿易商人の地位全集未収録仁川
18830710清仏の和戦如何全集未収録
18830809朝鮮開国の名誉米国人に帰せんとす全集未収録朝鮮米国
18830827支那の両政党全集未収録支那
18830903支那は能く為すことなきなり全集未収録支那
18830921朝鮮政務監理の派遣如何全集未収録朝鮮
18831022安南朝鮮地を換へば如何なりしか⑨222朝鮮安南
18831023朝鮮国に於て日本人民貿易の規則並に税則全集未収録朝鮮日本
18831211朝鮮国との貿易手続全集未収録朝鮮
18831220英独両国の朝鮮条約は我日本人民に何等の関係あるか全集未収録朝鮮英独日本
18840407帝国支那政府是より將さに多事ならんとす全集未収録支那
18840408公使皆其任に在らず全集未収録
18840414支那政府軍機大臣の更迭全集未収録支那
18840422眼を朝鮮に注ぐべし⑨466朝鮮
18840509支那政府の更迭並に安南事件全集未収録支那安南
18840510仏国公使将に北京に入らんとす全集未収録北京仏国
18840516仏蘭西支那両国間の和約成る全集未収録支那仏蘭西
18840623英韓条約は日本人に直接の関係あり全集未収録英日本
18840624朝鮮人は英韓条約を何と心得るや全集未収録朝鮮
18840818腐敗正に極まる全集未収録
18840820支那国の運命全集未収録支那
18840825我国の局外中立全集未収録
18841018東隣の大統領全集未収録
18841210朝鮮の貿易全集未収録朝鮮
18841215朝鮮事変⑩137朝鮮
18841216何は差し置き保護せざるべからず全集未収録
18841217朝鮮国に日本党なし⑩141朝鮮日本
18841222朝鮮革命政府の計画全集未収録朝鮮
18841223朝鮮事変の処分法⑩147朝鮮
18841225人に敬畏せられざれば国重からず全集未収録
18841229栄辱の决する所此一挙に在り全集未収録
18850105談判は有形の実物を以て結了すること緊要なり全集未収録
18850106和戦共に支那を侮る可らず全集未収録支那
18850107日本を誣ひ日本を瞞着す全集未収録日本
18850109国交際に外陪臣あるの筈なし全集未収録
18850110二度の朝鮮事変全集未収録朝鮮
18850112日本男児は人に倚りて事を為さず全集未収録日本
18850113朝鮮丈は片付きたり⑩187朝鮮
18850116支那の暴兵は片時も朝鮮の地に留む可らず全集未収録朝鮮支那
18850123京城駐在日支の兵は如何す可きや全集未収録京城日本
18850127天下の大勢全集未収録
18850128主戦非戦の別全集未収録
18850130外交政治社会の日月全集未収録
18850202国権拡張は政府の基礎たり全集未収録
18850203フウト公使来る全集未収録
18850204支那との談判全集未収録支那
18850209日清事件と仏清事件全集未収録仏日
18850210在京城支那兵の撤回全集未収録京城支那
18850211正当防御怠るべからす全集未収録
18850212日本を知らざるの罪なり全集未収録日本
18850213朝鮮に行く日本公使の人撰全集未収録朝鮮日本
18850214未だ安心す可からす全集未収録
18850216朝鮮使節来る全集未収録朝鮮
18850217支那談判に付き文明諸国人は必ず我意見を賛成す可し全集未収録支那
18850221留めんか遣らんか全集未収録
18850223朝鮮独立党の処刑(1)⑩221朝鮮
18850224遣清大使全集未収録
18850225北京の談判全集未収録北京
18850226朝鮮独立党の処刑(2)⑩224朝鮮
18850228要求の程度は害辱の量に準ず全集未収録
18850303外交事情報道の必要全集未収録
18850304京城の支那兵は如何して引く可きや全集未収録京城支那
18850307条約改正と北京の談判全集未収録北京
18850310日清談判、英国の喜憂全集未収録英国日
18850313不換紙幣全集未収録
18850316脱亜論⑩238
18850319朝鮮国全集未収録朝鮮
18850321仏国未来の成算果して如何全集未収録仏国
18850324朝鮮の近状全集未収録朝鮮
18850331朝鮮変乱の禍源全集未収録朝鮮
18850402朝鮮国の独立全集未収録朝鮮
18850403仏国内閣の更迭其影響如何全集未収録仏国
18850406仏国内閣の更迭全集未収録仏国
18850409ご発輦近きに在り全集未収録
18850410支那将官の罪全集未収録支那
18850411朝鮮国の始末も亦心配なる哉⑩253朝鮮
18850414英国と魯国全集未収録英国魯国
18850427此不景気を如何せん全集未収録
18850529独逸国の着実極まるは如何ん全集未収録独逸
18850627巨文島に関する朝鮮政府の処置⑩312巨文島
18850630九州までの鉄道全集未収録九州
18850722己れを知らざる者は危し全集未収録
18850813朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す⑩379朝鮮
18850825日本国の工芸全集未収録日本
18850829処世の覚悟全集未収録
18850924大院君の帰国⑩436
18851001井上角五郎氏再び朝鮮に赴かんとす全集未収録朝鮮
18851022開国雑居一日も遅疑すべからず全集未収録
18851030朝鮮の大院君帰国したり(1)⑩455朝鮮
18851031朝鮮の大院君帰国したり(2)⑩458朝鮮
18851113日本今日の外国交通は未だ十分ならず全集未収録日本
18851212支那人の挙動全集未収録支那
18851218朝鮮の多事⑩497朝鮮
18851219朝鮮の事⑩499朝鮮
18860106朝鮮国小なるも日本との関係は小ならず全集未収録朝鮮
18860107敵は国外に在り全集未収録
18860114請ふ其次を聞かん全集未収録
18860121支那人の英断全集未収録支那
18860225山県伯沖縄県に出張す全集未収録沖縄
18860306朝鮮事情全集未収録朝鮮
18860731去就進退を決すべし全集未収録
18860804日本酒税全集未収録日本
18860811金玉均氏⑪79
18860823目下新聞紙の記事論説は如何して可ならん全集未収録
18860825小笠原島の金玉均氏⑪88
18860827支那外交官に一言全集未収録支那
18860901支那人の活溌なるは文明の利器に由るものなり全集未収録支那
18860904政策二つ進むと退くとのみ全集未収録
18860908朝鮮の国難は日本の国難なり全集未収録朝鮮日本
18860909直に釜山京城間の電線を架設せしむ可し全集未収録釜山京城
18860910朝鮮の内憂は日清両国の福に非ず全集未収録朝鮮
18860917太平洋電線は小笠原島を経るを要す全集未収録小笠原
18860924露国の攻略全集未収録露国
18861006朝鮮人の小計略は日本人の患なり全集未収録朝鮮日本
18861015外交の軽重は実利に在て存す全集未収録
18861019支那の交際亦難い哉全集未収録支那
18861103商売社会の安寧は重んぜざる可らず全集未収録
18861222日本人と支那人全集未収録支那日本
18861223独逸の東洋政略如何全集未収録独逸
18870106朝鮮は日本の藩屏なり⑪175朝鮮日本
18870129巨文島抛棄の事如何全集未収録巨文島
18870203長崎事件、支那の外交官に告ぐ全集未収録支那長崎
18870512養蚕論全集未収録
18870525閔泳翊氏復た朝鮮に帰り来らんとす全集未収録朝鮮
18870924支那朝鮮の外国交際全集未収録朝鮮支那
18880127米価論全集未収録
18880402名を好むの熱欲を節す可し全集未収録
18880529肥料論全集未収録
18881123在外公館の数全集未収録
18881214東洋問題全集未収録
18881217東洋問題(一昨日の続)全集未収録
18890107朝鮮の独立全集未収録朝鮮
18890522巴奈馬地峽開鑿工事の中止を憾む全集未収録巴奈馬
18891216国帽の説全集未収録
18900212朝鮮の防穀事件全集未収録朝鮮
18900513商業上の国是、英吉利の事例全集未収録英吉利
18900604朝鮮近海不穩の風説全集未収録朝鮮
18900916鉄道攻略一新を期す可し全集未収録
18910322露国皇太子の来遊全集未収録露国
18910329朝鮮国王の廃立全集未収録朝鮮
18910927朝鮮の警鐘を敏捷ならしむ可し⑬195朝鮮
18910930海軍士官養成に就て全集未収録
18911128鉄道買上全集未収録
18920624朝鮮の変乱⑬400朝鮮
18920712决して安んず可らず全集未収録
18920714避暑旅行全集未収録
18920715北海道の漫遊全集未収録北海道
18920719一大英断を要す(1)⑬412
18920720一大英断を要す(2)⑬415
18920825朝鮮政略は他国と共にす可らず⑬463朝鮮
18920925多を望まず全集未収録
18921215朝鮮国紙幣の発行全集未収録朝鮮
18930418朝鮮の政情⑭29朝鮮
18930419閔族の地位⑭31
18930517防穀事件の談判⑭51
18930518防穀の談判急にす可し⑭54
18930519談判の結局如何⑭56
18930520両国民相接するの機会を開く可し⑭59
18930523朝鮮談判、大石公使の挙動⑭61朝鮮
18930604朝鮮の近情⑭66朝鮮
18930608大に対韓の手段を定む可し全集未収録
18930815清韓居留民を安からしむ可し全集未収録
18930823方今の対外思想全集未収録
18930827御巡幸の屡ばならんことを祈る全集未収録
18930910多策却似総無策全集未収録
18940209進取と平和全集未収録
18940330金玉均氏⑭330
18940413金玉均暗殺に付き清韓政府の処置⑭339清国
18940419韓人の治安妨害⑭347
18940426一刀両断、事の結末を告ぐ可し全集未収録
18940427感情を一掃す可し全集未収録
18940530朝鮮東学党の騒動に就て⑭386朝鮮
18940607新聞記事取締の注意全集未収録
18940608朝鮮事件と山陽鉄道⑭395朝鮮
18940610朝鮮の独立と所属と⑭399朝鮮
18940612京城釜山間の通信を自由ならしむ可し⑭402京城釜山
18940616韓廷の策略に誤らるること勿れ全集未収録
18940617朝鮮の文明事業を助長せしむ可し⑭410朝鮮
18940623我兵の操練に就き全集未収録
18940624支那兵増発の目的如何全集未収録支那
18940626彼れ果して何を為さんとするか全集未収録
18940627朝鮮問題の関係廣し全集未収録朝鮮
18940628支那人の心算齟齬せざるや否や全集未収録支那
18940630速に韓廷と相談を遂ぐ可し⑭430
18940701釜山京城閒の鉄道速に着手す可し全集未収録釜山京城
18940704兵力を用るの必要⑭434
18940705土地は併呑す可らず国事は改革す可し⑭436
18940706改革の着手は猶予す可らず⑭439
18940711在韓軍人の糧食に就き全集未収録
18940712朝鮮の改革は支那人と共にするを得ず⑭451朝鮮支那
18940713朝鮮の改革掛念す可きものあり⑭454朝鮮
18940715朝鮮改革の手段⑭460朝鮮
18940718故岩倉公の紀念に就て全集未収録
18940719袁世凱を退去せしむること容易ならず全集未収録
18940724支那朝鮮両国に向て直に戦を開く可し⑭479朝鮮支那
18940731平和を破る者は支那政府なり全集未収録支那
18940808日本人の天職全集未収録
18940822清国当局者の感如何全集未収録清国
18940907朝鮮の改革に因循す可らず⑭555朝鮮
18940912朝鮮の改革難全集未収録朝鮮
18940918平壌陥りたり⑭568平壌
18940920朝鮮の刑罰全集未収録朝鮮
18940929朝鮮の独立⑭580朝鮮
18941010文明の要素全集未収録
18941011有志の壮丁を使用す可し全集未収録
18941014井上伯の朝鮮行⑭597朝鮮
18941016井上伯の渡韓を送る⑭600
18941024朝鮮改革と井上伯全集未収録朝鮮
18941103朝鮮国の革新甚だ疑ふ可し⑭624朝鮮
18941106朝鮮の警察組織全集未収録朝鮮
18941108十数年来の戦勝全集未収録
18941109朝鮮政府は何が故に朴徐輩を疎外するや⑭631朝鮮
18941111朝鮮の改革⑭634朝鮮
18941120朝鮮の改革その機会に後るる勿れ⑭647朝鮮
18941121黄海戦評全集未収録黄海
18941123朝鮮国の弊事(1)⑭649朝鮮
18941124朝鮮国の弊事(2)⑭651朝鮮
18941125旅順口の占領全集未収録旅順
18941128朝鮮国の弊事(3)⑭654朝鮮
18941207奴婢の事/内官の事全集未収録
18941208軍国の急務全集未収録
18941212朝鮮人の教育全集未収録朝鮮
18941218降伏を納めゝに必要の一事全集未収録
18941219旅順に海底電信を通す可し全集未収録旅順
18941221講和の覚悟如何全集未収録
18950101明治二十八年全集未収録
18950105朝鮮の改革に外国の意向を憚る勿れ⑮11朝鮮
18950106昨年中の帝国議会と將来の政策全集未収録
18950115朝鮮の公債は我政府之を貸附す可し⑮18朝鮮
18950122東洋の平和全集未収録
18950123戦勝、偶然ならず全集未収録
18950130貿易の好況全集未収録
18950210局外国の干渉全集未収録
18950216支那には敗算もなし全集未収録支那
18950226朝鮮国債に就て全集未収録朝鮮
18950313朝鮮の近況⑮98朝鮮
18950314朝鮮政府の改革全集未収録朝鮮
18950414戦争の功績と外交の伎倆全集未収録
18950419外国干渉の説は無実なり全集未収録
18950501万里の長城全集未収録
18950528外交の大方針を定む可し全集未収録
18950611東洋に於ける英露の軋轢全集未収録
18950613国民の感情全集未収録
18950614朝鮮問題⑮188朝鮮
18950626英政府の更迭全集未収録
18950705朝鮮の独立ますます扶植す可し⑮218朝鮮
18950713在韓日本人の取締を厳にす可し⑮230
18950714朝鮮の処分如何⑮232朝鮮
18950717市内の電氣鉄道全集未収録
18950719朝鮮人を教育風化す可し⑮237朝鮮
18950914軍備拡張の真意全集未収録
18950917去年今日全集未収録
18950918朝鮮の商売に注意す可し全集未収録朝鮮
18951011世界周航全集未収録
18951023朝鮮の独立⑮312朝鮮
18951026三浦公使等の処分全集未収録
18951029対韓貿易全集未収録
18951105変後の朝鮮全集未収録朝鮮
18951109私権の保護全集未収録
18951112責任論全集未収録
18951113辞職勧告全集未収録
18951120当局者の心事全集未収録
18951126総理大臣の進退全集未収録
18951128朝鮮の近事⑮324朝鮮
18951207二十八日の京城事変⑮332京城
18951213中途にして面倒を他に分つ可らず全集未収録
18951221土耳古に交る可し全集未収録土耳古
18960112米国の新勢力全集未収録米国
18960122半島問題と大陸問題全集未収録
18960123朝鮮政府に金を貸す可し⑮367朝鮮
18960201政府の精神果して如何全集未収録
18960206航海奨励法案全集未収録
18960214京城の事変⑮377京城
18960215朝鮮政府の転覆⑮379朝鮮
18960216議会に望む全集未収録
18960220朝鮮新政府の前途全集未収録朝鮮
18960226朝鮮事変の善後策⑮387朝鮮
18960227朝鮮平和の維持策⑮390朝鮮
18960301支那の運命全集未収録支那
18960303対朝鮮の目的⑮392朝鮮
18960307朝鮮の騒動を如何せん全集未収録朝鮮
18960327朝鮮国王と露国公使・朝鮮の暴徒を鎮圧す可し全集未収録朝鮮露国
18960402錬鉄業の計画全集未収録
18960408朝鮮人自から考ふ可し全集未収録朝鮮
18960505一種の鎖国説全集未収録
18960509朝鮮に対する政策全集未収録朝鮮
18960605朝鮮駐在の守備隊全集未収録朝鮮
18960704外交向背の機会全集未収録
18960901米国の銀論全集未収録米国
18961027先づ朝鮮より始む可し全集未収録朝鮮
18961210武尊商卑全集未収録
18970103楽天主義全集未収録
18970107古風の人物を用ふ可らず全集未収録
18970226露清韓駐在公使全集未収録
18970411布哇移住民拒絶事件全集未収録布哇
18970425銀価下落と支那貿易全集未収録支那
18970428露兵傭聘の議に就て全集未収録
18970507伊藤博文氏の欧行・列国の去就・変死者の始末全集未収録
18971002台湾の事急なり全集未収録台湾
18971125内政外交全集未収録
18971203国家の大事、元老の合同全集未収録
18971219日本の文明未だ誇るに足らず全集未収録日本
18971226露国の挙動全集未収録露国
18980106応急の用意全集未収録
18980107貨幣法実施の結果全集未収録
18980116膠州湾の割讓全集未収録膠州湾
18980301外交上の進退全集未収録
18980329政府の責任重し全集未収録
18980428対韓の方針⑯326
18980429対韓の方略⑯329
18980504朝鮮独立の根本を養ふ可し全集未収録朝鮮
18980512京釜鉄道は朝鮮文明の先駆なり全集未収録朝鮮京釜
18980514朝鮮に銀行を設立す可し全集未収録朝鮮
18980515朝鮮移民に付き僧侶の奮発を望む⑯344朝鮮
18980521外資輸入の制限を解く可し全集未収録
18980531同盟と海軍・航海奨励の一法全集未収録
18980706朝鮮沿海の漁業全集未収録朝鮮
18980910外交は如何全集未収録
18980917酒精並に外国酒の輸入全集未収録
18980928支那の政変に就て全集未収録支那

以上が「福沢健全期(1882~1898)『時事新報』の朝鮮関連社説一覧」であるが、本節冒頭にも書いたように、完璧な採録ではない。また、平山洋のサイト「福沢健全期『時事新報』社説起草者判定」と現行版『全集』「時事新報論集」からの社説抽出は掲載日毎だが、署名著作掲載分については単行本全体の表題のみの表示である。例えば1882年11月刊行の『兵論』は、9月9日初回掲載、10月18日最終回の全18回であるが、各回の掲載日を示すことはなく、刊行月での一括表示となっている。

5. 朝鮮関連社説の論調の変遷

前節でも述べたように、朝鮮関連社説一覧は完璧ではないとはいえ、それでも論調の傾向を探る客観性は備えている。まずは一覧に掲げられた社説の総日数は404日分あり、これは健全期の全号数の約7.5%にあたる。均してみると読者は2週間に1回は朝鮮に言及した社説を目にしていたということになるが、実際のところ掲載の頻度にははなはだしいばらつきがある。

掲載年毎の朝鮮関連社説の掲載数

掲載年全日数全集収録済全集未収録備考
188267452210か月分・7月壬午軍乱
1883271116
18842141712月甲申政変
1885641252
188625223
1887615
1888606
1889303
1890404
1891514
1892835
18931385
18946028323月東学党の乱・7月日清戦争開始
1895421131
189624618
189712012
1898173149か月分
404135269

見られるように、壬午軍乱のあった1882年67日分、甲申政変直後の1885年64日分、日清戦争があった1894年60日分、95年42日分となっていて、この4年間だけで合計233日分、全体の58%を占めている。その一方、甲申政変の事後処理が終息した1886年から日清戦争が始まる前年である1893年までの8年間は合計で70日分(17%)にすぎず、とりわけ1887年から1892年までの6年に絞ると32日分(8%)にまで減ってしまう。1887年に中上川主筆が退任したためこの時期の福沢は『時事新報』の論調に深く関係していたのであるが、当時の朝鮮政府が日本と対立する事大党によって運営されていたため、言及する意欲を失っていたのではないか、といううがった見方もできる。

論調の変遷を見るために、全体を8期に区切ることにする。

第Ⅰ期「前壬午軍乱期」―「朝鮮国の変乱」(18820309)「朝鮮政府へ要求す可し」(18820512)・6日分

第Ⅱ期「壬午軍乱期」―「朝鮮の変事(1)」(18820731)~『兵論』(18821100)・57日分

第Ⅲ期「壬午甲申間期」―「日本支那の関係」(18821201)「朝鮮の貿易」(18841210)・45日分

第Ⅳ期「甲申政変期」―「朝鮮事変」(18841215)~「朝鮮事情」(18860306)・76日分

第Ⅴ期「対清国牽制期」―「去就進退を決すべし」(18860731)「支那朝鮮の外国交際」(18870924)・24日分

第Ⅵ期「防穀政策対応期」―「米価論」(18880127)「多策却以總無策」(18930910)・40日分

第Ⅶ期「日清戦争期」―「進取と平和」(18940209)「先づ朝鮮より始む可し」(18961027)・126日分

第Ⅷ期「対露国牽制期」―「武尊商卑」(18961210)「支那の政変に就て」(18980928)・30日分

第Ⅰ期「前壬午軍乱期」は、創刊から3か月のわずか6日分の社説でしかないが、すでにその後30年にわたる朝鮮と日本の間の葛藤を予期させるに十分である。「朝鮮国の変乱」(18820309)は、前年8月に起こった反乱未遂事件の顛末を記した報道で、大院君ら守旧派が当時の閔氏政権の排除を企てて失敗、大院君の長男(高宗国王の異母兄)が処刑されたとある。ほぼ1年後に起こった壬午軍乱と同じ構図の事件であるが、今日の日本で忘れられているのは、攻撃の対象に日本軍の軍事顧問が含まれていなかったためである。

また、「朝鮮元山の変報」(18820425)以下3編は、日本人居留地から不用意に出てしまった日本人が殺傷された事件について扱っていて、「朝鮮政府へ要求す可し」(18820512)では、朝鮮政府に日本人の自由通行と賠償金の請求を行うよう提案している。

第Ⅱ期「壬午軍乱期」は、変の勃発を伝える7月31日付の「朝鮮の変事」から11月の『兵論』刊行までの57日分である。この間はおよそ4か月であるから、ほぼ隔日の頻度で朝鮮関連社説が掲載されていたことになる。

事の発端は給料の未支給に憤った朝鮮の旧式軍の兵士が反乱を起こしたところから始まった。軍乱の過程で新式軍の日本人軍事顧問が殺害されたことにより日本は派兵を検討したが、清国が先に派兵を決めたため断念した。旧式軍を扇動した大院君は閔氏政権の要人を排除して一時は政権を掌握したが、清国軍は大院君を天津に護送して閔氏政権の回復を図った。この軍乱により独立党は勢力を失い、それがまた2年後の甲申政変の原因となった。

社説の論調を見ると全集未収録の「竹添大書記官帰郷」(18820828)から大きく変化している。相手が朝鮮政府のみの最初の4週間は強硬一辺倒だったのに、清国の介入が伝えられて以降弱腰になっているのである。この論調の変化は全集収録済み社説を読んだだけでは看取しにくいが、やはり未収録の社説「朝鮮談判後急施を要するの件々」(18820918)に、大院君の護送後も、「朝鮮の小弱を利して自大の武威を示さんとし、六営三千の兵士は依然として漢城に拠守して、軍艦七隻は自今南陽湾を常所と定め其挙動甚た不審に堪えさるものあ(り)」とあることから、日本の軍事力の劣勢に由来していることがはっきりする。

第Ⅲ期「壬午甲申間期」は、閔氏政権の背後に清国の軍事力があるという中で、独立党の勢力拡大も思うに任せないという状況下での社説群である。注目される朝鮮関連社説としては、「朝鮮の独立覚束なし」(18821222)がまずは挙げられる。文体と語彙からいって社説記者(論説委員・後に天津領事)の波多野承五郎が起筆したと論者は推測する。この社説は1875年以降日本が朝鮮の独立のために尽くしてきたことを記述し、ついで壬午軍乱の結果「朝鮮は内治外交其自主に任ずと云ひしにも抅はらず、近来は公に私に殊更声高に朝鮮為中国之所属と言触らし、朝鮮の政府人民に対しては勿論、我日本政府にも属邦朝鮮の始末は我中国其責に任すべしと迄に申出でしことあり、とか云へり」と清国がますます朝鮮の内政に干渉していることを批判している。とはいえ当時の日本にできることは限られていて、8月26日締結の済物浦条約の結果として公使館警備を目的とする日本軍の駐屯権が認められたくらいである。この乱間期ともいうべき時期の社説は、朝鮮への介入について清国を批判するものと、日本からの投資を奨励するものが多い。

第Ⅳ期「甲申政変期」は「朝鮮事変」(18841215)に始まるが、政変の勃発は12月4日であったから、これは当時としては異例の速報である。その事情は別のところで書いた(注13)が、要するに時事新報社派遣の漢城駐在員井上角五郎が速やかに長崎に避難し、そこから打電した電報が第一報となったのである。後年政治家になった井上は韓国併合後に甲申政変の黒幕を福沢と暴露したが、それは怪しい。とはいえ時事新報の朝鮮への関心は従来から並々ならぬものがあったので、その情報の水準は他紙を圧倒するものがあった。乱後独立党の天下は短期間に終わり、清国軍の介入で閔氏政権は迅速に立て直された。日本と清国の間で結ばれた天津条約は朝鮮を一種の中立地帯とすることが取り決められた。朝鮮領内で捕縛された独立党の協力者への処分は過酷で、その措置を批判する「朝鮮独立党の処刑」(18850223、0225)「脱亜論」(18850316)が掲載されたのは、閔氏政権による乱の事後処理が行われていた時期であった。

甲申政変の首謀者たちは密かに日本に亡命し、一時期は福沢邸に匿われていたが、当然ながら『時事新報』はその事実に触れていない。そのかわり、ときの朝鮮政府を操縦しているとされた清国への批判記事が多く掲載されている。甲申政変の余波というべき社説は「朝鮮事情」(18860308)まで継続的に載っているが、その後は「去就進退を決すべし」(18860731)まで5か月弱の中断期がある。

第Ⅴ期「対清国牽制期」は、朝鮮への表立った関心が薄れて、その背景となっている清国を牽制する社説が掲載されている時期である。「去就進退を決すべし」(18860731)から「支那朝鮮の外国交際」(18870924)まで24日分あるが、そのうち全集に収録されているのは日本に亡命していた独立党員に取材した「金玉均氏」(18860804)「小笠原島の金玉均氏」(18860811)と、従来までの持論を繰り返しただけの「朝鮮は日本の藩屏なり」(18870106)の3日分だけである。14か月中の3日分であるから、全集からだけでは『時事新報』は朝鮮に関心を失ったかのようにも見えるわけである。第Ⅴ期と第Ⅵ期の間にも4ヶ月の空白期がある。

第Ⅵ期「防穀政策対応期」は、「米価論」(18880127)から「多策却以総無策」(18930910)までの40日分で、主として朝鮮政府による日本への米穀類禁輸措置である防穀令への対応が扱われている。

防穀令事件は、1889年に朝鮮の地方官が不作となった大豆の日本への輸出を禁止したことが発端になっている。実施の予告期間が短すぎたために損害が発生したとして日本商人は朝鮮政府に賠償を要求したが、その解決は結局1893年まで持ち越された。この事件は日本の議会でも問題となり、対朝鮮強硬派による政府攻撃の材料となった。日本の大石公使は国内の強硬論に押されて外交官としての習慣や儀礼を無視、無茶な強硬方針を以て朝鮮と交渉した。

防穀令をめぐる外交交渉は、日本・朝鮮両政府間にしこりを残した。第Ⅴ期までの論調は、悪いのは清国で朝鮮ではないという主張が目立っていたが、第Ⅵ期には朝鮮政府への不信感を露わにした記事が見られるようになる。全集収録済みの「一大英断を要す」(18920719、0720)(注14)等がそれであるが、一方では未収録の「朝鮮政府の防穀令」(18931028)のように「朝鮮政府の為したることにして日本に不利なるものとあれば、一も二もなく条約違犯なりと称し、碌々事実をも取調べずして始めより喧嘩仕掛の談判を試んとするが如きは、外交策の熱度高きに過るものにして、我輩の同意すること能はざる所なり」と従来と同様の見解が示されている社説もある(注15)

第Ⅶ期「日清戦争期」は、5か月の中断後「進取と平和」(18940209)に始まる。日本・朝鮮両国民の間に不信感が残っている間に、1894年には3月に上海で金玉均が暗殺されるや5月には東学党の乱(甲午農民戦争)が始まった。閔氏政権の要請により清国軍が朝鮮領内に入ると、日本軍も天津条約によって派兵を行い、両軍は乱の平定後も半島内で対峙することになった。7月末に開戦となり、連日の戦争報道となるが、多くは戦況を伝えるものである。また、この時期となると福沢自身が執筆した社説は少なくなるが、草稿が残存している「土地は併呑す可らず国事は改革す可し」(18940705)(注16)は、朝鮮併合反対論として当時の福沢の考えをよく伝えている。

日清間に講和が成り、朝鮮半島から清国の軍事的政治的影響力が消滅したことによって、朝鮮では独立党を主軸とする政府による改革が進められた。しかし国王高宗は日本の影響下にある政府を嫌ってロシア領事館に移ったことで独立党政府は崩壊し、1896年2月に親露政権が発足した。

第Ⅷ期「対露国牽制期」は、朝鮮政府自体が親露派によって占められていることを前提に、ロシアとの関係を調整しつつ朝鮮(大韓帝国)との交流を再構築しようとしていた時期である。

全集未収録の「露清韓駐在公使」(18970226)には、前外務次官・前駐清国公使の林董が今度は駐露国公使として任地に赴任する旨の報道がなされている。この林は1896年夏に時事新報社社長に就任した福沢捨次郎の義父である。

大韓帝国政府はすでに親露派によって占められていたため、かつてのような直接の関係は結ぶことはできない。そこで紙面には、韓国の独立支援はあきらめて、日本による直接統治を企図するかにも読める「対韓の方針」(18980428)という社説も掲載されるようになる。この社説は福沢が韓国併合容認へと転向した証拠として重要視されている(注17)が、論者の判定では起筆者は石河幹明である。

一方、約1週間後に掲載された全集未収録社説「朝鮮独立の根本を養ふ可し」(18980504)の起草者を福沢と判定する。そこには、「露国人が一時大に尽力して兵事に財政に樣々干渉を逞うして頓に手を収めたるが如き、断じて学ぶ可きに非ず。我輩の本志は唯彼の憐む可き国民の心を開発して文明の門に入らしめ、呼べば答へんと欲する両岸相対して共に天与の幸福を興にせんとするに在るのみ。一国の独立富強は紙上の空論に非ず先だつものは国民の衣食にして、衣食足りて士気も振ふ可し国防も構ず可し」とあって、先ずは韓国人の生活の向上につながる鉄道建設のような投資を行うことで独立心を養うことが肝要であるとしている。

以上が福沢健全期の朝鮮関連社説の論調であるが、論者の見るところ、福沢の主張はその間一貫して朝鮮(韓国)の独立を支援するという点で、ぶれるところはなかったのである。

6.おわりに

最後に「福沢健全期(1882~1898)『時事新報』の朝鮮関連社説一覧」中の社説から読み取れることを項目化したい。

(1)福沢健全期の『時事新報』での朝鮮関連社説は確認できる分だけでも404日分ある。

これは同期間の全社説中のおおよそ7.5%に相当する。キリスト教関連社説が約1%(注18)であったのに比べて同紙の朝鮮への関心は高かったと言うことができる。

(2)全集への採録・非採録を問わず、日本による朝鮮の領有への志向を明確に示す社説は発見できなかった。「脱亜論」(18850316・推定福沢起筆)は清国と朝鮮への不介入を提唱している。大正版収録社説としては異色を放っている「一大英断を要す」(18920719、0720・推定石河起筆)でも、一時しのぎに朝鮮との紛争を起こすべきであるという主張が開陳されているだけである。独立支援をあきらめるという内容の「対韓の方針」(18980428・推定石河起筆)から1週間以内に掲載された全集未収録の「朝鮮独立の根本を養う可し」(18980504・推定福沢起筆)は、朝鮮政府に資金を貸与して鉄道建設を推進することにより独立の基礎とするべきだ、という従来と同じ見解である。

(3)『福沢諭吉の真実』(200408)の刊行まで定説とされてきた、福沢は早くから朝鮮の独立は不可能だと考えていた、という見解は、石河幹明著『福沢諭吉伝』第三巻(1932)中の「朝鮮問題」編に由来している。しかしそこで下敷きにされている社説「対韓の方針」(18980428)には、(2)でも述べたように、より積極的な日本による介入が示唆されているだけである。しかも、その起筆者は、論者の判定では、石河自身であった可能性が高い。

(4)福沢が一貫して希望していたのは日本と同じ価値観を有する独立した朝鮮国であった。その独立朝鮮国と通商や軍事での協定を結ぶことにより、両者にとって利益のある外交関係が築けると福沢は信じていたのである。

【参考文献】

  • 慶応義塾(2010)『福沢諭吉事典』慶応義塾
  • 竹内好(1961)「日本とアジア」『近代日本思想史講座』第8巻、筑摩書房
  • 遠山茂樹(1951)「日清戦争と福沢諭吉」『福沢研究』第6号、福沢研究会
  • 西村幸祐(2015)『21世紀の「脱亜論」‐中国・韓国との決別』祥伝社
  • 坂野潤治(1981)「解説」『福沢諭吉選集』第7巻、岩波書店
  • 平山洋(2004)『福沢諭吉の真実』文芸春秋
  • 平山洋(2012)『アジア独立論者福沢諭吉‐脱亜論・朝鮮滅亡論・尊王論をめぐって』ミネルヴァ書房
  • 平山洋(2017)『「福沢諭吉」とは誰か‐先祖考から社説真偽判定まで』ミネルヴァ書房
  • 福沢諭吉(1959~1964)『福沢諭吉全集』岩波書店
  • 福沢諭吉(1933,1934)『続福沢全集』岩波書店
  • 福沢諭吉(1925,1926)『福沢全集』国民図書
  • 松沢弘陽(1993)『近代日本の形成と西洋経験』岩波書店
  • 渡辺利夫(2017)『決定版・脱亜論‐今こそ明治維新のリアリズムに学べ』扶桑社

脚注

(1)
1885年3月16日掲載を示す。
(2)
「日清戦争と福沢諭吉」『福沢研究』第6号(195111・福沢研究会刊)所収。
(3)
「日本とアジア」『近代日本思想史講座』第8巻(196106・筑摩書房刊)所収。
(4)
「解説」『福沢諭吉選集』第7巻(198103・岩波書店刊)所収。
(5)
西村幸祐著『21世紀の「脱亜論」 中国・韓国との訣別』(201504・祥伝社刊)、渡辺利夫著『決定版・脱亜論 今こそ明治維新のリアリズムに学べ』(201712・扶桑社刊)等。
(6)
社説「脱亜論」がいかにして有名になったのかについては、平山洋著『福沢諭吉の真実』(文芸春秋社刊・200408)第5章「何が「脱亜論」を有名にしたのか」を参照のこと。
(7)
『時事新報』創刊の1882年3月1日から福沢が脳卒中に倒れた直後の1898年9月30日までの期間である。
(8)
『福沢諭吉の真実』第3章「検証・石河は誠実な仕事をしたのか」第5節「石河は何を基準にして「時事論集」への採否を決めたのか」を参照のこと。本論文中に掲げた「福沢健全期(1882~1898)『時事新報』中朝鮮関連社説一覧」でも、「朝鮮の独立覚束なし」(18821222)「朝鮮国の独立」(18850402)「朝鮮の独立」(18890107)「朝鮮独立の根本を養ふ可し」(18980504)など朝鮮の独立を明確に支持する社説は採録されていない。
(9)
石河が福沢作の社説をそうと知りながら全集から排除した証拠については平山洋「福沢署名著作の原型について」(『「福沢諭吉」とは誰か‐先祖考から社説真偽判定まで』〔201711・ミネルヴァ書房刊〕所収)を参照のこと。
(10)
本社説は発表者の基準(福沢語彙3語以上を含む)に照らすと、「成跡」「放頓」「入組」の3語彙を含むことにより福沢直筆とみなせる(平山洋「石河幹明入社前『時事新報』社説の起草者推定-明治 15 年 3 月から明治 18 年 3 月まで-」国際関係比較文化研究第 13 巻第 1 号後 1-17 頁〔静岡県立大学刊・201409 〕参照)。また、「デジタルで読む福沢諭吉」で「禍源」「貴顯栄華」「驥尾」「舊套」「譏誉」を検索したところ、いずれも使用例があった。
(11)
本社説は発表者が指定した福沢語彙3つ以上含んではいないため、全文を福沢が書いたと断定することはできない。文体は中上川彦次郎主筆に似ている。あくまで推測だが、福沢自身が書いた「朝鮮変乱の禍源」を手本に、独立党・事大党とも異なる南人党(大院君党)の存在を明らかにすることで、朝鮮人の独立精神の独特な在り方を読者に知らせるよう中上川に指示したとも考えられる。
(12)
『福沢諭吉の真実』第3章第3節「石河が『時事新報』社説で主導権を握った時期はいつか」を参照のこと。
(13)
平山洋著『アジア独立論者福沢諭吉』(201209・ミネルヴァ書房刊)第四章「福沢諭吉は朝鮮甲申政変の黒幕か」参照のこと。
(14)
論者は本社説の執筆者を石河幹明と推定する。『アジア独立論者』第十一章第3節を参照のこと。
(15)
この論調の不一致を論者は紙面から手を引きつつあった福沢と関与を強めつつあった石河幹明との持論の違いと見る。
(16)
本社説は石河編の『続全集』に採録されていない。草稿発見により現行版『全集』に収録された。
(17)
松沢弘陽著『近代日本の形成と西洋経験』(199310・岩波書店刊)第Ⅴ章「文明論における「始造」と「独立」」362~366頁。
(18)
平山洋「福沢健全期『時事新報』のキリスト教関連社説」(20190913)キリスト教史学会2019年度大会発表。